アララット山(5165m)登頂とトルコ旅行記2006年8月4日〜8月13日の記録2006年8月16日、栗本俊和(記) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参加者;10名。参加者名簿の順に、 古瀬(東京)、栗本(東京)、MS河添(高知)、MS水上(茨城)、MS及川(岩手)、MS石川(東京)、田中(東京)、中谷(東京)、室井(埼玉)、水谷(愛知)。男性6名、女性4名。 ツアーリーダ兼ガイド;北村俊之(富山、アトラストレック) 現地ガイド;ケナン(旅行)、ヨセフ(山岳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
行程: 1.8月4日(金) 成田空港発1250(トルコ航空51)→1920イスタンブール、ホテル(泊) 2.8月5日(土) イスタンブール820(TK668)→1020ワン=ドウバヤジット、ホテル(泊) 3.8月6日(日) ドウバヤジット=エリ村−ベースキャンプ(3330m、テント泊) 4.8月7日(月) BC−アタックキャンプ(4110m、テント泊) 5.8月8日(火) AC−アララット山頂上(5165m)−AC−BC(テント泊) 6.8月9日(水) BC−エリ村=ドウバヤジット、ホテル(泊) 7.8月10日(木) ドウバヤジット観光、ホテル泊 8.8月11日(金) ドウバヤジット=エルズルム1515(TK669)→1715イスタンブール、ホテル(泊) 9.8月12日(土) 市内観光、イスタンブール1730(トルコ航空50)→機内(泊) 10.8月13日(日) →1100成田空港着 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アララット山は、トルコの最高峰です。「旧約聖書」にでてくるノアの箱舟伝説の山として有名で、位置的には、トルコ、イラン、アルメニア3国の境に近いトルコ国内にあり、富士山に似た独立峰の死火山です。 複雑な政治情勢、民族問題などで何度か外国人の登山が禁止されたが、最近、外国人への登山が解禁された。 しかし、登山には、政府と地元軍隊の許可が事前に必要であり、その許可申請のために、ツアー会社の申し込み締め切り日が4月28日となっていた。それで5月連休のツブカル山へ行く前の慌ただしい4月中旬に参加を決定し、申し込みをした。その時の参加者は、5〜6名との話であったが、締切り日までに10名に達したのであろう。そして、その10名のうち、一人のキャンセルもなく10名全員が参加することとなった。 今夏はイランのダマバンド(5617m)あたりを漠然と考えていた。ツアーは人が集まり催行されるかどうか1ケ月前までわからないのが難点であるが、このツアーは4月の時点でほぼ催行されそうとの集まり具合であり、申し込むことにした。 自分を含めてキャンセル者が出る恐れもあったのであるがそれもなかった。例え、一人や二人のキャンセルが出ても催行そのものには影響なさそうな人数が集まっており、あとは、クルド人が不穏な動きをするとトルコ政府がビザを出さない恐れもあったが、それも、杞憂に終わった。(トルコは3ケ月までの観光滞在はビザを必要としないが、この登山は必要。)
8月4日の夕方に、イスタンブールに到着した。ガイドのケナンさんの出迎えを受ける。ヒルトンホテルには夜の到着でボスポラス海峡の夜景が広がっていた(上の写真は帰国前の11日に撮影したものです)。海峡を挟んでアジア側がよく望めます。
8月5日、空路、トルコ東部の高原都市ワンへ向かう。送迎車に荷物を積み込み、ワン湖の南岸にあるレストランで昼食。魚料理に人気が集まった。レストランからはアクダマル島が見渡せ、島に渡る連絡船の発着所となっている。ワン湖はびわ湖の5倍もある大きな湖で、流入河川はあるが、流出河川が少ないため、塩湖。場所により濃度が違い、七色に湖面が変化するという美しい湖面を見せてくれる。 昼食後、アララット山の麓の町であるドウバヤジットに向かう。途中の峠でアララット山が眼の前に現れる。全員で写真撮影。 ドウバヤジットの町から離れたところに我々のホテルはあった。ここからはアララット山がきれいに望める。(TOPの写真)
8月6日、登山靴に履き替えて、車に乗り込み、オフロードを走り、登山口のエリ村へ向かう。ここから荷物をロバに積み、ベースキャンプへ向けて出発する(0950)。 14時、グリーンキャンプと呼ばれているベースキャンプ(3330m)に到着した。曇っていた空が晴れて、頂上が見えてきた。3000mを越えた最初の高所キャンプ、歩行速度が少し早かった面もあり、お茶で疲れを取る。 古瀬と栗本のピッケルとストックを入れた袋が見つからない。電話連絡のやりとりで、車の中に残されていたことがわかった。別パーティのピッケルを借用することで1件落着。
8月7日、ベースキャンプの朝、各国のテントが望める。登山許可申請のこともあり登山客は少ないものと考えていたが、結構多い。毎日、晴れが続き天気が安定しているので、登山の最盛期と思われる。 8時25分アタックキャンプへ向けて出発。前日のリーダからの説明で今日は3800mキャンプまでという話であったので、午前中に着く予定で出発。10時10分に3800mキャンプに到着。実際には3730m程度の高度だ。 わずか400mしか登っていないし、明日の高度差を考えるともう少し上に登る必要がある。他パーティもすべて4100mキャンプをアタックキャンプと考えている。相談の結果、4100mキャンプまで上がることに決定。11時55分に4110mキャンプ着。 昼食のあと、4300mまで高所順化に出かける。何箇所かキャンプサイトが見られる。我々のキャンプサイトは後から位置取りしたためか狭くてあまり良い場所ではなく、テント場の整地に時間をかけていた。
8月8日、アタック日。 出発は1時10分。満月前夜の空は晴れて明るい。ライトを点けて一列になって登る。3ピッチ目からは30分ピッチに切り替えて登る。 5時35分に4920mの稜線に着く。ここでアイゼンを着ける。このころ一番気温が下がり、-5℃程度だった。 頂上へは雪の斜面をアイゼンを利かせてちょうど1時間ほどのアルバイトで、6時55分に登頂した。少し遅れた人もいたが、全員揃って記念写真が撮れた。晴天に恵まれ、風も吹かず良い登山日和だった。20分程で頂上を後にして、10時頃にアタックキャンプへ下山した。 休憩、昼食、テント撤収の後、11時50分にベースキャンプに向かう。13時40分、ベースキャンプ着。夜のテントからは満月が見られた。
8月9日、ベースキャンプを9時に出発。エリ村先の送迎車の所に11時10分に着いた。そして、暑い埃っぽい車で、ドウバヤジットのホテルには12時に帰着。無事登山は終了した。 13時からは、ホテルの中庭で昼食。やっとビールにありつけた。皆で乾杯。
8月10日は、ドウバジャジット周辺の観光。まず、イランとの国境に向かい、国境検問所を車の中から眺める。大きなトラックが列をなして順番待ちをしている。その近くに、メテオ・ホール meteor crater という巨大な隕石が落ちてできた大きな穴がある。1892年とのこと、大きさは、直径35m、深さ60m。 次に、ノアの方舟に向かう。方舟伝説の遺物が山の麓にある。方舟の形に隆起しているが、科学的根拠は不明とのこと。小さな博物館がある。 そして、一番有名なイサク・パシャ宮殿。クルド人の地方知事の宮殿。 ホテルに戻って、化石採掘ツアーの後、ホテルで夕食。
8月11日、今日はエルズルムまで4時間ほど車で走り、空路イスタンブールに戻る予定。 クーラなしの車に4時間、かつ窓際で太陽に照らされてか?一人が体調を崩して、エルズルムに着いた時にダウンした。また、昼食で写真にあるケバブとデザートのケーキを食べたが、これが次の日の夜イスタンブールで皆が体調を崩したが、その食あたりの原因とされているものです。 (帰国後のある人の診察結果から「毒素原性大腸菌O−8」が検出されたそうだ。原因は主に肉からということで、ケバブが主原因という結論に至った。食べたケバブの量の違いにより症状に差が出たと思われる。8/20追記) エルズルムではヤクティエ神学校を見学した。
イスタンブールの夕食はヒルトンホテルの隣にあるケルヴァンサライKervansaryというナイトクラブで、ベリーダンスとおじさん歌手の歌で過ごした。
8月12日の朝には、ほぼ全員が下痢症状を示し、一人は病院へ行くことになり、残りはバスで観光に出発したが、皆まともに歩けない状態で、やっとこさ、観光のスケジュールを消化した。 行ったところは、ブルーモスクと呼ばれるスルタンアフメット・ジャーミー、アヤソフィア博物館、トプカプ宮殿。そして、昼食は宮殿内のレストランで、おかゆとフルーツを食べましたが、ここに参加できたのは6名でした。 午後はグランドバザールに出かけ、今回の旅の最後となりました。 感想 1.10人全員が登頂でき、しかも一緒に写真が撮れたことが何よりも良かったと思う。 2.この時期は天気が安定しているのか、毎日が晴れの天気で、アララット山を毎日望むことができた。こんな山も久しくなかった。 3.アイゼンも4900mからの1時間ほどであり、硬くなくほどよいアイゼンの効き具合で、非常に登りやすい時期と思われる。従って、登山許可申請の煩わしいことがあるが、各国から大勢の登山客が来ていた。これも意外だった。 4.但し、暑さも相当なもので、山を降りてからの定員一杯に近い車は、クーラがなく直射日光を長く受けると熱中症の恐れあり。 5.参加者のうち名前を知っている人が3名いた。河添さんとはアコンカグアで一緒だった。水上さんとはHPの縁で今回このツアーに参加するきっかけとなった(但し、初顔合わせ)。古瀬さんは名前が聞き覚えがあり、雲南懇話会で一緒だった。 6.参加者の年齢構成は、60才台2名、50才台5名、40才台1名、30才台2名(推測の部分もあり)で、平均年齢は50才台前半と思われ、最近にしては意外と若い人達が集まったと感じた。 |