パプアニューギニア最高峰・ウイルヘルム山(4508m)登頂記

2008年2月9日〜16日の記録

2008年2月23日、栗本俊和(記)
参加者;16名(北海道3名、東京3名、埼玉2名、千葉1名、新潟1名、富山2名、静岡1名、岡山1名、福岡2名)
男性7名、女性9名(60才以上:9名、60才以下:7名、平均年令60才以上)。
ツアーリーダ兼ガイド;本多(東京)、アルパインツアーサービス
現地ガイド;チーフ:ソロモン、以下Mondo、Dua、Dor、Lambert、の5名

予定行程:
1.2月09日(土) 成田空港発2105(ニューギニア航空PX055)→
2.2月10日(日) →0430ポートモレスビー0845→0945マウントハーゲン=ハイランダーホテル(泊)
3.2月11日(祝) ホテル=クンディアワ=ケグルスグル、ベティーズゲストハウス(ロッジ)(泊)
4.2月12日(火) ロッジーピュンデ湖、ベースキャンプ(山小屋)(泊)
5.2月13日(水) ピュンデ湖ーウイルヘルム山(4508m)−ピュンデ湖(泊)
6.2月14日(木) ピュンデ湖ーケグルスグル=マウント・ハーゲン(泊)
7.2月15日(金) マウント・ハーゲン1015→1115ポートモレスビー=ロロアタ島(泊)
8.2月16日(土) ロロアタ島=ポートモレスビー空港(PX054)1415→1955成田空港着

5000mに少し満たないが、2月はパプアニューギニア最高峰のウイルヘルム山のツアーに参加することにした。他にも候補ツアーがあったが、1週間程度で行ける山で、1ヶ月前に問い合わせたところ、催行が決定していて既に14名という大勢の参加者があり、ここに決めた。人数が多いのは少々気掛かりではあったが。

2月9日、午後、東京は雪が降るという天気予報の中、16時半頃に自宅を出た。成田空港には北海道から福岡からと16名の大勢が集まった。男女概ね半々で、平均年令は60才を越えている感じ。

ポートモレスビー空港に到着国内線でマウントハーゲンに向かう

2月10日、30分程の遅れで、パプアニューギニアの首都、ポートモレスビーに到着した。一旦、外に出て空港近くのゲートウエイホテルで朝食をいただく。そして、再度空港に戻り、ハイランド地方最大の町、マウントハーゲンへ向かう。こちらの乗換え便も30分程の遅れで、マウントハーゲンに着いた。

マウントハーゲン空港ホテルプールサイド

今日の宿泊先はハイランダーホテル、標高は1600〜1700mほど。海岸の町ポートモレスビーに比べたら暑さはましだ。ナイロビと同じ感じかな?ホテルの中庭のプールサイドには、アガパンパス、アマリリスなどの花が咲いている。
ホテル前には露天ショップが店を開いているが、皆はまだ現地通貨に両替していない。空港では両替せず、このホテルでエージェントの人が持参して両替の手筈となっているそうだが、その人がなかなか来なかったり、来ても予定の半分も現地通貨がないという。これをどのように各人に分配するかで、リーダは頭を悩ます。5000円程度を半数以下の人への両替でひとまず決着した。リーダの顔には、なかなか思うように進まないもどかしさが垣間見られる。

ホテルプールサイドホテル前の露天ショップ
アガパンパスアマリリス

昼食の後は、現地ガイド、ソロモンの住む部族の村の見学に出かける。これはツアーには入ってなくてオプションですが、全員参加した。下の写真に見られるような家と子供達がいて、カソワリというBig Birdに、熱帯植物が茂っている。観光地化してきているのか、部族の大人は露天でおみやげ品を売っていて、写真のちょうど良い被写体になる。

子供カソワリ
民家子供

部族の人々と部族の人々と

5時にホテルに戻ったが、途中夕立にあう。雨期です。ホテルの夕食ではビールを注文したが、1本7.5Kina、約350円ほどで結構高い感じです。SP(South Pacific)ビールという1銘柄しかなかった。

露天ショップSPビール

2月11日、天気は比較的に良い。曇り時々晴れという感じ。今日は車に分乗して、クンディアワという町を経由して、山道に入り、登山基地の村、ケグルスグルまで行くという日程です。
車は3台で、1台は小型トラックで荷物を運ぶ。あとの2台にメンバーは分かれて乗る。4WD車はだいたい8人以上は乗れるようになっている。後方座席は横向きのバスのスタイルになっていて、車の振動に対してすごく揺れが強い。

車、3台、先頭車がトラックで、荷物用
後ろの2台の4WD車がメンバー用
ベティーズハウス

2時間ほどでクンディアワに着き、ホテルで昼食をいただく。ここから先は警官が車1台に付き、1名が乗るそうだ。何か問題があった時のためのお目付け役です。その3人の準備ができて、再出発。ここからは悪路に入る。揺れが激しい。必死に掴める所を掴んでがまんする。
ほとほと疲れ果てて、ケグルスグルという村に着く。おかげさまで、雨には降られず、昨年のように雨のためにわだちからなかなか出られずに苦労するということもなく、無事通過できたことをまず喜ぶ。村からさらに山道を登り、行き止まりの登山口に立つロッジに到着する。オーナーのBettyさんの名前をとって、ベティーズロッジと呼ばれている。標高は約2700mです(右上写真)。
すぐ近くに質素な作りの家があり、覗くとお父さんに子供2人がいて、写真を撮らしてもらう(左下写真)。夕食は、大きな魚がメインディッシュだった。テンプラもあり、スープも美味しかった(右下写真)。

父子家族の風景夕食

2月12日、曇り。(左下写真)は出発前の風景です。4人のガイドと個人ガイドの紹介があり、我々の荷物を運ぶポータもいるので、本当に大勢の大キャラバンの雰囲気です。5〜10分ほど歩いたところからは、ベティーさんの家が望めます。このあたりの大地主なのでしょう(右下写真)。

出発前オーナー、ベティーさんの家

途中、休憩したところで、写真を撮りました。ガイドの他に警官も写ってます(下写真)。

休憩

大行列で山道を歩きます(左下写真)。今日は特に長靴は必要なさそうです。第一の滝が見え出して、滝下から滝上に上がると、ピュンデ湖はすぐでした。湖の奥にはウイルヘルム山の前衛峰が少しだけ見えます。ジャンダルムより後ろの山は雲の中です(右下写真)。8時半に出発して、12時半に着きました。

行列ピュンデ湖

このピュンデ湖のそばに山小屋があります(左下写真)。明日のアタックのための登山基地です。昼食後は、第二の湖、アウンデ湖まで高所順化に出かけます。夕食後、雨が断続的に降り出す。

山小屋山小屋内昼食風景

2月13日、夜中の1時出発予定を、ほぼ定刻の15分過ぎに、ヘッドライトを点けて出発した。雨は一時止んでいるが、何時降りだすかわからない状況であり、雨具上下を着て、スパッツを付けた出で立ちです。現地ガイド5名と日本人ガイド1名、パーソナルガイドが2名?、メンバーの女性1名が出発段階でリタイヤして15名のメンバーで出発。概ね3名のメンバーに1名の現地ガイドの形で、日の出前までは全員一緒とのリーダーの指示で、私はH夫妻と3名でガイドMondoで最後尾で出発した。
1時間ほどして、最高齢70才越えての参加の女性の登行スピードが極端に遅く、リーダが登山断念をお願いしているが説得に時間がかかり、その間パーティ全員の登行は一時中断するという状態で、登行再開もリーダがトップのガイドに連絡に前に行ってからというような按配で、進みは遅い。15名で1名の日本人ガイドというリーダとしては頭を悩まされる状態です。その後も遅れ気味の人が出るが、先頭ガイドのソロモンはこの人達を途中で待つためにちょっと休むが、これが休憩なのか、後方待ちなのか、途中の人の速度が遅いためなのか、中間、後方にいる人には連絡がないために解らない。休憩をどのタイミングで取るのか解らないし、急坂での停止など、ジリジリしてくる。
途中休憩で我々グループは全体の中ほどに位置していた。3ピッチ後の5時半、まだ暗い。高度計は4000mで稜線にいる。下山時に検証すると高度4100m(高度計のずれ)、ジャンダルムの下の位置、トイレを稜線の向こう側でする。ここから、トラバースに入る。次の休憩は6時20分、4200m。この前に明るくなり、リーダから各ガイドのグループ毎の行動が許可されていた。
6時半、前に出ることにする。Mondoに前に行くことを指示する。Mondo、H夫妻、私の順、遭難レリーフのあるコルで支尾根を乗っ越す。アンテナピークは左上とか、かすかに見える。すると女性2名が追いついてくる。岡山のIさんと静岡のSさんの50才台の女性2名、Mondoには2人が我々のグループに加わると伝えた。その後、北海道の私と同い年の男性Uさんとガイドが追いかけてきた。Mondoに頂上までの時間を確認して、あと30〜40分の位置で5分休憩とする、7時40分頃?。
ルートは稜線を通らずに、左に稜線を見てずっとトラバース気味に、途中十字架のあるピークを左に見た。方向は北から北西へと左方向に進む。最後は急な岩場になり、それを左にかわしたルンゼ気味、岩混じりのところを登り、頂上に達した。8時17分だった。天気は良くなく、雲の中にあり、すべてがぼんやりとしか見えない。
記念の写真を撮る。みんな満足気な良い顔をしている(下写真)。ガイドに聞くと昼食は下に降りてからとの事。第二グループの4人とガイドが登ってくるのを潮時に下山にかかる。8時40分。

頂上、H夫妻と2008.2.13、ウイルヘルム山(4508m)登頂

岩場を下ったところで、北海道のYさん、埼玉のOさんとリーダの本多さんに出会った。そのすぐ下のところで、行動食による昼食、テルモスのお湯で味噌汁、紅茶を飲んだ。雨が降り出している。IさんSさんは早く下ろうという構え、Uさんを加えた3名とソロモンが先になって下山にかかる。
途中、雨が強く降り出す。稜線の途中で、地図と高度計で位置、高度の検証を行いながら下山した。12時50分山小屋着。先の3人は20分頃に戻った、ガイドのソロモンが快調に飛ばしたと聞いた。
靴の中は水びたしになった。ガイド小屋は焚き火をしているので、靴、ザックほか乾かした。13時20分頃第二グループが下山してきた。遅れていた2名も2時過ぎに下山してきて、全員下山が完了した。登山中にリタイアした人が結局3名いて、16名中12名が登頂できたという結果となった。

2月14日、ピュンデ湖をバックに全員集合の写真を撮ってから下山を始めた。

ピュンデ湖をバックに全員集合

下山

山小屋を6時40分に出発して、9時10分にベティーズハウスに戻った。
ベティーズハウスの食堂には、良く見ると大きな壁画があった(下写真)。地図の代わりになるので、説明を加えます。ピュンデ湖の山小屋から見て、水が流れてくる上にアウンデ湖があり、そこから左上して稜線に出る。稜線を少し歩くとジャンダルム下にでる。左の大きな三角形の壁です。そこから右へトラバースして行き、レリーフのあるコルを越えて、稜線を左に見ながら、最後に岩場の急坂を登ってウイルヘルム山のピークに達する情況が良く描かれている

ベティーズハウスのウイルヘルム山の壁画
頂上は右端の山、左端の山がジャンダルムで、
その下を右にトラバースの道が頂上に通じているように描かれている

ベティーズハウスでは簡単な休憩の後、車3台に分乗して下山予定だったが、その車が来てない。昨日の雨で道路が決壊して、通行不可とのこと。ベティーさんは超忙しで、車の手配、なんとか小型トラック2台(左下写真)を調達して、それに乗って道路決壊箇所(右下写真)まで下る。荷物は後からもう1台の車を手配してそれで追いかけるとのこと。決壊箇所は、ちょっと直せば治るという状況ではなく、完全に沢からの水で全面的崩壊でした。ここで部族間で通行料の件で、ケンケンガクガクの口論が始まっている。警官がいるから決定的なことにはならないで、決着したが、やはり警官は必要でした。
クンディアワに着いたのは15時すぎで、それから遅い昼食となった。そして、マウントハーゲンのホテルには18時頃到着した。

トラックの荷台に乗って下山道路、雨のため決壊

2月15日、10時15分発のフライトでポートモレスビーに戻った。当然、熱帯の暑さが襲ってくる。すぐにホテルのマイクロバスでロロアタ島へ向かう桟橋(右下)へと進む。

ホテルでの朝食ロロアタ島へ向かう

そして、フェリーでロロアタ島(左下写真)に渡った。南海の島は学生時代のミクロネシアの島々を思い出させて、血が騒ぐ。3時からは、小舟に乗ってライオン島というところで、シュノーケリングで遊んだ(右下写真)。

ロロアタ島シュノーケリング

夕食は子供シンシンのディナーショー付、これは直行便の飛ぶ前夜の金曜日に行なわれるロロアタ島のとっておきのアトラクションだそうです。「シンシン」とは、パプアニューギニアでは民族舞踊のことを言うそうで、ピジン語で歌を意味する「シンシン sing sing」が語源とのことです。近隣のモツ族の村からやって来るダンシングチームの主役は子供たち、民族衣装でおめかしをして歌とダンスを披露してくれるのだが(この文は、ある本からの引用です)、上半身裸の少女は、胸は大人と変わらないから、近くで見るとドキッとします(左下写真)。
夕食のあと、コテージに戻る途中にはサボテンの花が咲いていました(右下写真)。また、ワラビーが浜辺にたくさん居ました。

子供シンシンのディナーショー夜のサボテンの花

2月16日は、極楽鳥を見るために植物園(ここの鳥小屋で見れるとの話)へ行きましたが、鳥小屋では他の鳥の方が目立ち、そんなに大きくもなく、良く見えずちょっと期待はずれでした。写真も撮れませんでした(下写真)。

植物園、鳥小屋入口極楽鳥を見に入る

その後、ショッピングセンターでお土産にコーヒを購入、マウント・ウイルヘルムというその名ずばりのコーヒにしました。空港の免税店では、ウイスキーは輸入品のためか、通常の倍程度の値段という感じで、買うのはあきらめた。また、チョコレート菓子などの土産はありませんでした。

感想
1.やはり16名という大パーティでは、日本人ガイド1名では、なかなか難しいという状況が随所に見られました。本多リーダは、その中で良くやっておられたと思います。日の出までは全員一体行動というのは、この状況では仕方がない事でしょう。現地ガイドの英語力、理解力が同じでなく、結局信頼の置ける現地ガイドがいないという状況では、本多さんが行列の後ろから前に行って伝えるしか方法がなかったようです。その為に時間はかかりましたが。
2.2月は雨期ということで、毎日午後にはスコールが降った。乾期でもスコールはあるのでしょうが、今回は山中で景色が何も見えなかったのは残念です。登頂日の写真は頂上の写真のみです。前日登った日本人親子は山頂から景色が見えたと言っておられたので、雨期のためにだけとするのは酷でしょう。
3.ベティーズロッジから山小屋間のぬかるみを歩くのに長靴が推奨されていましたが、今回はそれほどでもなくトレッキングシューズでも十分でした。長靴の人とトレッキングシューズの人が半々程度でした。
4.今回は集団での登行ペースが遅くなったので、頂上往復で12時間程度かかっていますが、やはり登り6時間、下り4時間の10時間程度のコースと思います。天気が良くなく、雨のため長く感じますが、距離的には日本アルプスの夏山と変わらない。変わるのは、夜行登山と高度4000mを超えて高度の影響の出た人が何人か見られた点で、この高度の影響の点がやはり日本の山と異なる点で、日本にはない貴重な4000m峰と言えます。
5.大勢で個性的な人が多くて、現地部族の様子など、なかなか楽しい山旅でした。自分の近くにいた人のことしか書けませんでしたが、今後も繋がりの続く人が多いのではと感じました。


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