マッターホルン(4478m)登頂記

2008年8月2日〜10日の記録、栗本俊和(記)、Aug.12

マッターホルン(ヘルンリ小屋下から、8月6日13時20分撮影)

参加者;男性3名(東京59才、京都58才、大阪61才)
ツアー会社/係員;アドベンチャーガイズ梶^杉本さん
現地ガイド;Rudy(マッターホルン)、Chrishian(ブライトホルン)

行程:
1.8月02日(土) 成田空港発1055⇒(BA006)⇒1455ロンドン・ヒースロー1740⇒(BA736)⇒2020ジュネーブ(泊)
2.8月03日(日) ジュネーブ938→1105ビィスプ1110→1210ツェルマット(泊)
3.8月04日(月) ツェルマット→クラインマッターホルン=ブライトホルン=クラインマッターホルン→ツェルマット(泊)
4.8月05日(火) ツェルマット→シュワルツゼー=ヘルンリ小屋(泊)
5.8月06日(水) ヘルンリ小屋=マッターホルン(4487m)=ヘルンリ小屋=シュワルツゼー→ツェルマット(泊)
6.8月07日(木) ツェルマット→ゴルナーグラート=スネガ→ツェルマット(泊)
7.8月08日(金) ツェルマット滞在、終日自由行動(泊)
8.8月09日(土) ツェルマット0400→0515ビィスプ0535→0813ジュネーブ空港1015⇒(BA725)⇒1100ロンドン空港1345⇒(BA005、1時間近くの遅延発)⇒
9.8月10日(日) ⇒0915成田空港着

今夏の海外山行予定は、1月時点ではカルステンツピラミッドに申し込んでいたが3月末で中止に決まり、4月には催行できそうと思われたモンゴルのフィティンに申し込んで、催行決定までに至っていたものが突然6月下旬になってまた中止となったため、急遽それから可能な山を捜したところ、結局、マッターホルンしかなかったというのが、この山に行くようになった経緯です。
ヨーロッパアルプスへは、35年前の学生最後の年に行った。この時はヨーロッパ一周の観光にアルプス登山も加えた盛りだくさんな旅で、山に関しては、当時のヨーロッパ最高峰のモンブランにガイドなしの単独で登り、ツェルマットではゴルナグラートからマッターホルンを眺めるだけで登るのは止めにし、グリンデルワルトもユングフラウヨッホに登って終わりとした。その後、一度、シャモニーは訪問したことがあるが、どちらにしても30年以上前の話です。当時は、ガイドを使って登るというのは自分的には考えられなかったし、ヨーロッパアルプスは終わりにしたと思った。それがこうして復活して登るようになったというのは、また何かのめぐり合わせをその時感じた。

AGのこのツアーは日本からツアーガイドは同伴せず、現地でツアー係員が出迎えるスタイルのツアーです。8月2日の成田空港の出発は一人だった。関空からのOさんとはロンドンのヒースロー空港で出合った。このツアーの参加者はこの2名です。ジュネーブ空港にはAGの杉本さんが出迎えてくれた。タクシーでジュネーブ駅前のホテルモンタナに宿泊した。土曜の夜で、何かのお祭りでもやっているのか、夜中まで花火や人の声でうるさかった。

ジュネーブ、コルナバン駅前ホテル前よりマッターホルン

3日は午前中に電車で移動し、ツェルマットに昼すぎに着いた。左上写真はジュネーブで電車に乗る前の駅前で市内電車と駅をバックにして。切符はスイスカードを使用しが、この切符は1ヶ月間有効で、スイス国内の国鉄など乗り放題で、登山電車などは半額になるとても便利な切符で、料金は159ドルだった。
ホテルカリーナで大阪からのMさんと出会った。1週間前から滞在しているそうで、AGの近藤さんがガイドで我々と同じ日にマッターホルンに登る予定となっている。昼食は駅前のレストランでピザを食べた。ホテルに戻って、シャワー、荷物整理の後、夕方、駅前のコープで明日のブライトホルン登山のためのパンなどを購入した。そして、山岳ガイド組合の事務所でバウチャーを受け取った。夕食は中華料理にした。

早朝からツェルマットの街中には
マッターホルンを眺める多くの日本人
左:ブライトホルン、
右:クラインマッターホルン

8月4日、今日はブライトホルンハーフトラバースルートに行く日です。ガイド付きでマッターホルンに登るためには、事前にガイドによる技術チェック(試験)が義務付けられている。朝6時40分にロープウエイ駅集合となっていた。5時に起床して早めに駅まで歩いた。川沿いの橋には日本人がいっぱい集まっていて、マッターホルンの写真を撮っていた。天気は晴れていて、マッターホルンがくっきりと眺められる(左上写真)。
駅でガイドのChrishianに会う。今日はガイド1名に私とOさんの2名が技術チェックを受ける。ロープウエイからは、これから登るブライトホルンやモンテローザが望める(右上写真)。

ブライトホルンよりモンテローザブライトホルン頂上で(4164m)

7時30分にクラインマッターホルン山頂駅(3482m)に着いた。ハーネスを着けてアンザイレンして(この時点ではアイゼンは付けず)、すぐに出発した(735)。平らな雪面を進む、1ピッチ行った雪面が急になる所でアイゼン着(820〜825)。また1ピッチ行き、今度は岩登りになる所でアイゼン脱(900〜905)。岩登り技術のチェックとなる、1ヶ所難しそうな所もあったが、無難に越す。岩稜のほぼ終了のところでまたアイゼン着の指示(940〜945、多分、ブライトホルン中央峰4159m付近)、雪稜を歩いて10時30分にブライトホルン西峰頂上(4164m)に着いた。休憩がないと聞いていたが、40分毎のアイゼン着脱箇所で、水と行動食を毎回口に入れることができた。但し、1分以内で水はハイドレーション使用です。頂上は風があり写真(右上写真)を撮っただけで、すぐに出発した。下りはアイゼン技術のチェックで、登りと逆の私がトップでガイドがラストで下った。15分ほど下ったところで、はじめて休憩となり、パンとテルモスの紅茶で昼食とした(1055〜1105)。そしてクラインマッターホルン山頂駅に11時30分に戻った。ちょうど4時間の歩行だった。
ロープウエイでツェルマット駅に下った。そこで今日の結果を聞いたが、問題なしで合格だった。ホテルに戻り、シャワー、洗濯の後、昼食の残りを食べて昼寝した。夕方から日本から持参した焼酎を飲んだので、夕食はこれも日本から持参のカップラーメンで終わりにした。

ツェルマット駅前キャンプ場

ホテルの庭に咲くエーデルワイスシュワルツゼーのホテル

8月5日、今日は昼食後にヘルンリ小屋まで上がる予定。午前中準備のため、パンなどの買出しに駅前出かける(左上写真)。キャンプ場にも足を向けてみた(右上写真)マッターホルンの4000m以上は雲の中にあり、見えない、今日のマッター登山はあまりよろしくない状況に思えた。ホテルの庭にはエーデルワイスの花が咲いていた(左上写真)。

左:ブライトホルン、
右:クラインマッターホルン
ヘルンリ小屋

1時半にホテルを出発して、ロープウエイに乗りシュワルツゼー駅(2558m)に着いた。そして、2時半に歩き出し、4時50分にヘルンリ小屋(3260m)に着いた。途中、昨日登ったブライトホルンがまた良く見えた(左上写真)。ブライトホルンのピークは3つあり、右の白いピークが最高峰の西峰4164mで、真ん中が中央峰4159mです。この写真の裏側を中央峰、西峰の順に登り、クラインマッターホルンのこれも裏側にある駅まで戻ったことになります。
ヘルンリ小屋は実は2つあり、右上写真がホテル・ベルベデーレで我々が宿泊したホテル(と言っても普通の山小屋)でベルグハウス・マッターホルン・ヘルンリヒュッテと書かれていて、通称ヘルンリ小屋、そしてその右側に自炊小屋のヘルンリ小屋がある。

夕焼けのモンテローザ(左)と
リスカム(右)
マッターホルンの雲が取れてきた

19時頃からの夕食後、明日の個人ガイドの紹介があった。Rudyという長身のたくましそうなスイス人だった。ガイドと明日の装備について相談した。上着は半袖Tシャツに夏用シャツで十分ということであったが、シャツの変わりにフリースを着ることにした。下もパンツに夏用スラクッスで十分でスパッツは不要、素手で登るので(岩に対しては素手が良い)手袋はザックの中に、ヘルメットで登るので帽子も不要でザックの中に、とにかく暑くなるので厚着はしないこと、カッパも上だけザックに入れ、下は置いていくようにとの指示だった。水はハイドレーションの1.2〜1.3リットルで十分でテルモスは不要との事だった。
外に出てみると、雲っていた頂上がだんだんと晴れてきた、好天の兆し(右上写真)。そして、夕焼けのモンテローザが美しかった(左上写真)。時刻は21時まえですが、これは夏時間を採用しているので、この時間でも明るいです。逆に明朝、明るくなるのは5時半すぎと遅いです。

ソルベイ小屋上より上部を望む
朝焼けの赤いツルムとマッターホルン頂上
マッターホルン頂上、ガイドのRudy

8月6日、マッターホルン頂上アタックの日
4時朝食、4時15分集合となっていたが、3時半に起きて靴を履き、ヘルメットも被り、ハーネスを着け、4時までに持参したパン1個と羊羹を食べて出発準備OKとした。そして、4時に朝食が出たのでチーズ1個と紅茶を飲み10分に集合場所に行き、Rudyに出会いアンザイレンした。出発はRudyが友達を待ったため、20分頃、一斉に行列をなして出発した。まだ暗い中ライトを点けて、最初の岩場を行列を避けて右から快調に越し、その後も前の組を順番に追い越して、30分ほど歩いたところでトップグループに入った。コース中間点のソルベイ小屋(4003m)着は6時10分で、ここはいずれ混むので上部モズレイスラブを越した稜線に出たところで休憩となった(615〜625)。トップグループ2〜3組と一緒になった。その上にも1〜2組いそうだったが、彼らはきっと早く出発した組だろう。ここまで休憩はなかったが、ガイドが一人先行する箇所で水、行動食は十分に食べられた。但し、とにかく休まず歩け歩けと言われて目一杯歩かされた。でも先は見えた。朝焼けのマッターホルン頂上が望めた(左上写真)。

マッターホルン登頂(4478m)、8月6日am7:50

肩の雪田手前でアイゼンを着けた。太いロープの箇所はロープに頼り登った。傾斜が少し緩くなったところが頂上(4478m)だった(上写真)。7時50分頂上着、ヘルンリ小屋からちょうど3時間半。写真を2〜3枚撮って頂上より一段下がったところで休憩した。

ソルベイ小屋下のヘルンリ稜最初の岩場に戻り上を振返る

8時に頂上を後にした。Oさん、Mさんと順番にすれ違い、9時5分ソルベイ小屋着15分まで休憩。後はひたすら岩場をガイドの指示に従い歩き、10時45分にヘルンリ小屋に帰着した。下りは2時間45分、ヘルンリ小屋から頂上往復6時間25分という自分でも信じられないほどの出来栄えでした。杉本さんと日本人女性Sさんが祝福してくれた。Sさんはソルベイ小屋まで3時間かかり断念させられたそうだ。ちなみに、そのソルベイ小屋まで3時間がリミットという。その場合、往復で10時間程度となる。自分の予想は8時間を目標としていた。あとの2人は、7時間台と9時間台だったと思う。

下山前にヘルンリ小屋前でシュワルツゼー

ガイドにはビールと昼食をお礼としたが、昼食は11時半からでだいぶ待たされた。でもその間ゆっくりとできた。私はスパゲッティ、ガイドはレシュティというドイツ料理を注文した。12時40分にヘルンリ小屋を後にした(左上写真)。シュワルツゼーホテルでまたビール休憩とし、少し混んできたロープウエイでツェルマットに戻った。
夕食は一人で日本料理の「妙高」に行き、寿司の盛り合わせ(50フラン)とキリンビール小(7.5フラン)を食べた。久しぶりのあっさりとした料理に板前さんとのマッターホルン登頂の話とで非常に美味しかった。「妙高」の名前は、「ツェルマット村」が「妙高高原町」と姉妹都市の関係であることからきている(左下写真)。その妙高高原町とは、京大ヒュッテ並びに笹ヶ峰高原の雪山讃歌歌碑建立と共に少なからぬ繋がりがあり、より親密感を感じた。また、京都市とも少なからぬ関係がありそうで、右下写真の碑がありました。

ツェルマット・妙高高原
姉妹都市提携記念
妙高・火打の山の姿があります
ツェルマット&京都ツェルマット会
友好記念、2004年5月10日
大文字山の姿があります

8月7日、今日は登山予備日であり、各自好きなように過ごす。私は登山電車でゴルナーグラートまで登り、その後、スネガまでのハイキングを計画した。

ホテル前よりのマッターホルンゴルナーグラート展望台よりマッターホルン

左上写真はホテル前からのマッターホルン、右上写真はゴルナーグラートからのマッターホルンです。それぞれ雰囲気が出ています。

リッフェルゼーよりのマッター

そして、リッフェルゼーまで歩くと、また素晴らしいマッターホルンに出会えます(上下写真)

リッフェルゼーよりのマッター

リッフェルベルグからは登山電車に沿って進み(左下写真)、線路を横切りグリュン湖に向かいます。ゆるやかな道を行くとフィンデル谷を挟み対岸にスネガが良く見える。グリュン湖で昼食(右下写真)。このころから雲行きが怪しくなり、グリンジ湖とライ湖では雨が降り、カッパ上を着た。

ゴルナーグラート行登山電車グリュン湖で昼食

標高2300mを巡るこのハイキングコースには高山植物が一杯咲いています。その一部が下の花です。
この日の夕食は、3人でスイス料理のチーズフォンデューを食べた。


8月8日、休養日。マッターホルンには雲。前日の雪で北壁がより白くなっている。ここ数日の天気を見ても、マッターホルンに安心して登れたのは6日のみだろう。今日の夕食も先日の味が忘れられず、「妙高」で寿司を味わった。板前さんから特大刺身のサービスが有難かった。

感想
1.マッターホルン登頂の一番の要因は天気で、年によっては1週間位しか登れないこともあるという。たまたま好天に恵まれ、暖かい登頂日になり汗を一杯かきながらの登頂でした。天気については、私はもともと神様がこの山しなさいと決めたのだから、後はそれに従うだけという気持ちであり、よって何が何でもという気持ちもないし、淡々ときっと良い天気になり登れるだろうという変な安心感がありました。
2.行くまで装備についてはいろいろと迷ったが、最後はガイドが決めてくれた。Rudyは100回以上マッターに登っていると言っていた。やはりガイドの力は大きいです。
3.それにしても、往復6時間半で登れたというのは、自分もびっくりしている。単独で登る時は適宜休憩を取り、目一杯で登ったりは決してしないから。富士山五合目から頂上まで1300mを4時間で登るのよりも早い。岩登り、アイゼン歩行もあり、驚きです。
4.この山が普通の山と異なるところは、ヨーイドンの競争をするような山で、先陣争いをして前の組に入ることが登頂の条件になってくることです。遅い組になると、行列、渋滞の中ますます時間がかかるようになり、結果タイムオーバとなる、そういう特殊な山です(好きな雰囲気ではありませんが)。
5.今日の登頂者は100人挑戦して、50人位だろうと言われている(あくまでも例示的な数字で正確な数ではありませんが)。下山時はこれから登ってくる人の横を素早くクライムダウン、アップザイレンを行い、それを休むことなく抜けきれば、あとはだれもいない下山が待っている。その中で、AG関係者3人の全員登頂は素晴らしいものだと思います。


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