梅里雪山・内院ハイクと玉龍雪山の麓・麗江

2009年4月26日〜5月5日の記録

2009年5月11日、栗本俊和(記)
参加者;7名(東京1名、埼玉1名、千葉2名、栃木2名、大阪1名)
男性4名、女性3名(60才以上:5名、60才以下:2名)
ツアーリーダ;中村(東京)、叶シ遊旅行

予定行程:
1.4月26日(日) 成田空港発1350(中国東方航空MU524)→1610上海1905(MU748)→2205昆明
2.4月27日(月) 昆明700(MU5837)→800香格里拉900=1800徳欽
3.4月28日(火) 徳欽800=1030西当−約6時間−雨崩村(ユイボン村、泊)
4.4月29日(水、祝) 雨崩村−雨崩神滝−雨崩村(泊)
5.4月30日(木) 雨崩村800−西当=1600明永村(泊)
6.5月1日(金) 明永−太子廟−展望橋ー明永村1500=1600徳欽(泊)
7.5月2日(土) 徳欽800=1700香格里拉(泊)
8.5月3日(日) 香格里拉800=1700麗江(泊)
9.5月4日(月、祝) 麗江=玉龍雪山展望、氷河公園=麗江1410(MU5815)→1850上海(泊)
10.5月5日(火、祝) 上海910(MU523)→1250成田空港着
梅里雪山の雪崩遭難から18年、小林尚礼氏の「梅里雪山 17人の友を探して」の発行から3年して、梅里雪山へ行く機会が訪れた。トレッキングツアーに参加して、聖山、梅里雪山を眺め、雨崩(ユイボン)村、明永村、雨崩神滝を訪れた。
雨崩(ユイボン)村では村長さんの家が旅館になっており、そこに宿泊したし、明永村では新しい近代的な宿泊施設が建ち、そこに泊まった。明永村の村長さんの家には、民族家庭訪問の形で訪れた。
そして、帰路、自然、文化、記憶の3つの世界遺産に登録されている麗江市では、その世界遺産の価値を十分堪能することができた。最初の思惑とは違った形の旅の面白さを再認識できた。

4月26日夜遅く、上海経由、雲南省の省都昆明に着いた。
27日、早朝に出発し、昔中甸と呼ばれ、今、香格里拉(シャングリラ)という名前に変わった町に飛行機で1時間で到着した(左下写真)。シャングリラは標高3300m近くあり、最初に旧市街と大亀山公園に観光に行った(右下写真)。公園は旧市街の高台にあり、巨大なマニ車が一際目立つ、チベット寺院にお参りした。

シャングリラ空港大亀山公園

シャングリラを後にして、徳欽の方にマイクロバスで向かう。ナパ海という草原で写真停車した(左下写真)。今は山から流れ出た水で湿原になっている。途中、昼食は金沙江を渡った後、奔子欄という町で摂った。その後、金沙江大湾という金沙江(長江)が湾曲している所を見学した(右下写真)。

ナパ海金沙江大湾

その後は、車はひたすら登って、白茫雪山が見えてくる(左下写真)。展望所が何箇所かあり、その最後が白茫峠(4292m)です(右下写真)。観光客が多い。

白茫雪山(5640m、真ん中奥の山が主峰)白茫峠(4292m)

徳欽の町を大きく迂回して過ぎると、飛来寺展望台に着く。午後のためか、梅里雪山は雲に覆われて見えない。19時にホテル(明珠酒店)に着く、このホテルの部屋からは梅里雪山が正面に眺めることができるという。翌朝が楽しみです。

峠からの風景飛来寺展望台の慰霊塔


4月28日、まだ暗いうちから、ホテルの部屋から梅里雪山の姿が浮かんでくる。寒い中みんな屋上に集合して、シャッターチャンスを狙う。ほぼ快晴に近い素晴らしい天気だ。聖山の素晴らしい、神々しい姿に皆、感動している。左からメツモ、ジャワリンガ、プジョン・ソンジェーウーショ、主峰カワカブ、マーピン・ジャラウンドイと五つの峰が一望に眺められる。

梅里雪山の主峰カワカブ(6740m)、2009年4月28日、A.M.7:13

メツモ(左、6054m)とジャワリンガ(右、5470m)

今日は西当村まで車で入り、その後、乗馬とハイキングで雨崩(ユイボン)村に入る予定です。
車で瀾滄江(メコン川)まで下ってくると、梅里雪山景区集票所という入場料をとる事務所があった(左下写真)。そして、観光地化していることを示すように観光マップの看板もあり、雨崩神滝のコースも載っている。西当村を過ぎて、温泉のあるという登山口(2700m)に着いた。温泉を覗いてみたが、残念ながら我々が入れそうな温泉ではなかった。乗馬でナゾヤ峠(3750m)に着く。途中もそうであったが、大勢の中国人他に会う。馬子さんとの写真です(右下)。

布にある梅里雪山景区集票所ナゾヤ峠(3750m)

峠からは歩いて下る。今日宿泊する雨崩(ユイボン)上村が見えてくる。また、左手には、明日通過する下村が見える。村長家旅館泊(3250m)。

雨崩(ユイボン)上村雨崩(ユイボン)下村

4月29日、前夜は雨が降って寒かったが、朝にはあがり、また快晴のメツモが望めた(下写真)

メツモ(6054m)

村長家旅館の朝食風景シャクナゲ

今日は雨崩神滝に向かう。下村の放牧地は高原の別天地を思わせる良い感じの場所でテントが一張り張られていた(左下写真)。よく整備された登山道を行く(右下写真)。

下村、放牧地登山道

神滝の近くにでると雪が出てきた。三条に別れて落ちている滝の真ん中の滝が神滝です。真下に来ると圧倒的な高さです。

雨崩神滝(3600m)神滝前で

右下写真は、夕食後のくつろぎの時間での村長夫妻です。

神滝の落ち口雨崩村長夫妻と

4月30日、今日はナゾヤ峠(3750m)までの上りに馬を使い、下りは徒歩で西当登山口(2700m)へ降りる。左はユイボン村の馬乗り場、右はナゾヤ峠の写真です。西当村からはマイクロバスで一旦瀾滄江(メコン川)まで下り、そして、明永村への道に入り、一部ガタガタ道、一部舗装の道を行くと明永村に着く。一部でも舗装があるというのが驚きでした。どんどん変化しているのだという印象です。

馬でナゾヤ峠に戻るナゾヤ峠

5月1日、泊まったホテル風の旅館は岡吉尼瑪旅館(左下写真)という名前でしたが、4年前の建設と聞きました。こういうホテル風旅館がどんどん建ち、観光地化してきています。この道を少し行ったところが明永氷河公園の入口で、そこに右下写真の中日17名登山勇士の碑がありました。飛来寺展望台にあった17名の名前の掘り込まれた慰霊碑が、新しく建設する展望台のために取り壊され、その代わりにこの碑を建立したとの説明でした。

明永村、岡吉尼瑪旅館中日17名登山勇士の碑

橋を渡ったところが馬乗り場で、沢山の馬がいた。正確かどうかわかりませんが、村には55世帯あり、各戸2頭の馬で平等に順番に馬の仕事を与えているとの説明でした。馬で太子廟に向かう。途中アヤメがきれいに沢山咲いていました。「梅里雪山明永景点示意図」という地図では、明永村2325m、太子廟2910mとなっており、約600mを馬で上った。

太子廟(2910m)明永氷河

太子廟の裏からは明永氷河が大きく望める。

明永氷河野生のボタン

氷河展望台に登る木板道が整備されているが、ちょうど工事中で左下写真の展望台手前までしか登れなかった。梅里雪山は雲に覆われていて、カワカブの頂上などは見えない。明永氷河の下部しか見えなかった(左下写真)。

明永氷河展望台の手前で明永村村長の家

午前中で明永氷河から下山して、ホテルで昼食後、明永村チャシ村長宅を訪問する。午後は民家訪問となっていただけで、特に村長宅を訪問する予定ではなかったが、中国人のガイドの母昌会さんが気を利かしてくれての突然の訪問でした。村長は不在だったが、母親のドゥマラモさんがいて話に応じてくれました(左下写真)。屋上も、地下の家畜の住まいも見せていただきました。
村長宅前では、道端で村人達がおしゃべり中で、「17人の友を」の本を出すと村人が寄ってきました。右下写真真ん中の女性は本の中の写真を見て、これが自分ですと教えてくれました。村長の弟の娘、ツリジマ、当時8歳の幼い可愛い写真が本にありました。あれから10年経ちましたから、今は18歳でしょうか。

村長の家で村長の家前で本を見ている

明永村の予定を終わり、飛来寺のホテルへと向かう。瀾滄江(メコン川)を渡る(左下写真)。ホテルに入る前に飛来寺に立ち寄った(右下写真)。飛来寺というのは、今や梅里雪山の素晴らしい景色を見ることができるためにホテルの乱立する場所及び展望台の地名となったが、もとはこのお寺のことです。

瀾滄江(メコン川)に架かる橋飛来寺

5月2日、今日は香格里拉(シャングリラ)への移動日、途中に2ケ所のチベット寺院に寄る予定です。まずは、徳欽の町(左下写真)が見えてくるが、この辺りは道路工事が真っ盛りで、車は時速10〜20km程度でしょうか?道を広げるために爆破した後の砕石が道路の至る所に小山になっており、その間を縫って走り、側溝のコンクリート工事も多いし、徳欽の町はなにか強制的に既存の建物を取り壊していました。
右下写真、白茫峠は雪で白かったです。昨夜雪が降ったようです。そのため山々の景色は来た時より良くて、27日の項に載せた白茫雪山(5137m)はこの日に撮った写真です。白茫峠では、漢方薬、冬虫夏草(とうちゅうかそう)を売っているチベット人がいました。今が採集の季節だそうです。

徳欽の町帰りの白茫峠は雪で白くなっていた

昼食を取る奔子欄という町の手前に東竹林寺というチベット寺院があり立ち寄った(左下写真)。寺院内のラマ教の仏像、絵画をゆっくりと見学した。
シャングリラに帰り着く手前、市の北部に松賛林寺がある。こちらは大きな寺院で、雲南省最大のチベット寺院と言われ、雲南のポタラ宮とも言われているそうだ。見学には入場口からバスで寺院に移動する(右下写真)。

東竹林寺松賛林寺全景

下写真にあるように、建物は立派で見所が多い。ここからは、シャングリラの町が一望できる。但し、今回、中の絵画、仏像は建物工事の影響で持ち出されていて見られないものが多かった。

松賛林寺松賛林寺

5月3日、麗江に向かう。途中、虎跳峡を見学する。虎跳峡は、麗江の玉龍雪山とシャングリラの哈巴雪山の間を流れる金沙江(長江)沿いに延びる全長20km、高低差3000mの大峡谷で、川幅は非常に狭くなっており、虎がこの峡谷を飛び越えたという伝説が名前の由来とか(下写真)。

虎跳峡虎が跳んだという岩

この後、長江第一湾という金沙江が南流から北流へ大きく向きを変える地点を見たが、範囲が広すぎるためか、あまりピンとこなくて、27日に見た金沙江大湾の方が湾曲を実感できる。
麗江ではトンパ文化博物館に行きたかった。このツアーではコースに入ってなかったが、皆さんに相談して、追加料金(80元)を払うことで、黒龍潭とトンパ文化博物館に寄ってもらった。黒龍潭は湧き水の池を中心とした公園で玉龍雪山が美しく見えるとのことでしたが、今日は見えなかった(左下写真)。

黒龍潭入り口トンパ文化博物館
博士先生と説明員

トンパ文化博物館は、納西(ナシ)族の伝統工芸品や名人の手によって書かれたトンパ文字などを閲覧することができると、ガイドブックにあった。ナシ族は麗江市付近に住む少数民族で、ナシ語を話し、1000年以上前からトンパ文字という独自の象形文字を使用してきて今も使用されているという、これが世界記憶遺産として登録されたものとのこと。ちなみに、自然遺産として三江併流、文化遺産として麗江古城が登録されているという。
日本語の説明員が博物館を案内してくれて、最後に博士先生(右上写真)が沈丁花から作った紙に本日特別に書いてくれるという標語を、紙代だけです(200元)という案内で1枚購入した。そして写真も一緒に撮った。左下写真、トンパ文字による「家人平安健康長寿幸福」です。その下に私の氏名が小さい字で書かれています。

トンパ文字による標語麗江古城の水車

夕方からは麗江古城を見学した。麗江古城は古い町並みの家に店がいっぱい並び、網の目のように流れる小川、細く入り組んだ石畳と世界遺産と呼ぶに相応しい町並みです。観光客もすごく多いが、それも仕方ないと思う街です(右上、左下写真)。
夕食後、オプショナルツアーで民族ショー「麗水金沙」を鑑賞した(右下写真)。少数民族の風習、習慣を、現代風にアレンジした神秘的な歌と踊りの世界でした。最初、日本円で4000円は高いと思っていたが、これはお金がかかりそうと納得したものでした。他にも納西古楽など古い民族音楽会があるそうですが、値段は同様で、昔の中国のイメージではなくなりつつあります。

麗江の小川麗江の民族ショー「麗水金沙」

5月4日、早朝に出発し、バスでロープウエイ乗り場(3556m)に着く。天気は曇りで、高度のこともあり、肌寒い。ここでカッパ上下を身に着けた。ロープウエイで4506mまで登る。1000mを一気に登ったことになる。氷河公園は一面の雪の世界で、高山に来た気がする。玉龍雪山に続く岩山は見えるが、本当のピークは見えない(左下写真)。この山も聖山で登山は禁止されていて、未登峰だそうです。与えられた50分ほどの時間で上の展望台まで往復してくる。最高所の展望台は4680mの表示がある(右下写真)。今回の旅行の最高到達点です。

玉龍雪山(5596m、ピークは右の雲の中)玉龍雪山展望台
最高所(4680m)

麗江市内に戻り、昼食後、飛行機で上海へ飛ぶ。一泊して、翌日5日に成田に戻った。

感想、その他
1.雨崩村、明永村、麗江市、本から得た今までの知識に対して、中国のこの10年の大きな変化に驚いた。やはり、百聞は一見に如かず、自分の目で見ることが一番です。
2.雨崩神滝、聖山の聖なる所を本当に感じます、今年の登山の登頂を祈念してきた。
3.三つの世界遺産に登録された麗江、素晴らしかったです。まだ近傍には見るべき所がありそう、再訪するかもしれない。少数民族ナシ族のトンパ文字による標語「家人平安健康長寿幸福」、初めてトンパ文字に接した、興味が惹かれます。
4.天気にも恵まれ、盛り沢山の旅でした。


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