南米ペルー、イシンカ・トクヤラフ・ワスカラン登頂記2009年7月18日〜8月10日の記録 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参加者;8名(北海道1名、埼玉2名、東京1名、愛知1名、福井1名、徳島1名、福岡1名) 男性5名、女性3名(60才以上:4名、60才以下:4名) ツアーリーダ兼ガイド;平岡竜石(山梨) 現地ガイド;マックス、アグリ、エロイ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
予定行程: 1.7月18日(土) 成田空港1530(DL800)→1445アトランタ1715(DL235)→2250リマ(泊) 2.7月19日(日) リマ800=コノコーチャ峠=カルアス(2800m)、EL ABUELO ホテル(泊) 3.7月20日(月) カルアス=ヤンガヌコ谷=−ヤンガヌコ峠(4800m)−=ヤンガヌコ谷(3900m)、テント(泊) 4.7月21日(火) ヤンガヌコ谷−ラグーナ69(4550m)−ヤンガヌコ谷=カルアス、ホテル(泊) 5.7月22日(水) カルアス滞在、ホテル(泊) 6.7月23日(木) カルアス=コユンーイシンカ谷BC(4300m)、テント(泊) 7.7月24日(金) イシンカ谷BCーイシンカHC(4700m)、テント(泊) 8.7月25日(土) イシンカHC−イシンカ頂上(5530m)−イシンカ谷BC(4300m)、テント(泊) 9.7月26日(日) イシンカ谷BC滞在、テント(泊) 10.7月27日(月) イシンカ谷BC−トクヤラフC1(5300m)、テント(泊) 11.7月28日(火) トクヤラフC1−トクヤラフ頂上(6032m)−BC、テント(泊) 12.7月29日(水) BC−コユン=ワラス(3090m)、ANDINO CLUB ホテル(泊) 13.7月30日(木) ワラス滞在、ホテル(泊) 14.7月31日(金) ワラス=ムーショ−ワスカランBC(4300m)、テント(泊) 15.8月1日(土) ワスカランBC−ワスカランC1(5200m)、テント(泊) 16.8月2日(日) ワスカランC1−ワスカランC2(5900m)、テント(泊) 17.8月3日(月) ワスカランC2−ワスカラン頂上(6768m)−ワスカランC2、テント(泊) 18.8月4日(火) ワスカランC2−C1−BC、テント(泊) 19.8月5日(水) BC(登頂予備日、テント(泊) 20.8月6日(木) BC(登頂予備日、テント(泊) 21.8月7日(金) BC−ムーショ=ワラス、ホテル(泊) 22.8月8日(土) ワラス=リマ 23.8月9日(日) リマ0020(DL236)→0810アトランタ1420(DL801)→ 24.8月10日(月) →1700成田空港 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平岡竜石さんがガイドする、南米ペルーアンデス・ブランカ山群の最高峰ワスカラン(6768m)に登るツアーに参加することにした。高所順応登山として、イシンカ(5530m)とトクヤラフ(6034m)に登る。
今回結果としては、イシンカとトクヤラフには登れたが、ワスカランには登れなかった。 7月18日(土)、成田空港に8名の参加者とガイドの平岡さんが集まった(左下写真)。 アトランタ乗換えの長旅の後、リマの空港に隣接するホテルに到着、ピスコサワーで今後の健闘を祈念して乾杯した(右下写真)。
7月19日、1日のバス旅行で、4000mを越すコノコーチャ峠を越えて、アンデス・ブランカ山群の麓の町、カルアスに到着した。そして、20日にヤンガヌコ谷に入った。すると、目指すワスカランが大きく望めた(下写真)。
ヤンガヌコ谷にはふたつの湖、チナコチャ湖とオコンコチャ湖がある。そのオコンコチャ湖の上流側がテント場になっている(下写真)。
高所順応の第1段目は、ヤンガヌコ峠(4800m、左下写真)からの軽いハイキングです。
21日は高所順応の第2段目、ラグーナ69(下写真)までの往復ハイキング、チャクララフ南壁(左下写真)をバックにしたラグーナ69(4550m)は素晴らしい桃源郷です。
22日は休養日でチャンコス温泉に出かけた(左下写真)。お湯はあまり熱くなく、入り方にも戸惑いがあった。 23日はイシンカ谷BCまで入った。24日、イシンカHC(4900m)に入る途中で、ランラパルカ(6162m、右下写真)が望めた。
25日、イシンカ(5530m)目指して、4時過ぎに出発(下写真)。
5時間ほどかかって、9時15分に頂上着(下写真)。
15時テント場戻り(左下写真)。26日は、休養日で、ユマール練習を行った。
27日は氷河上のトクヤラフC1に入った。高度計で5050m表示、通常より100mほど低い場所、風雪が強いため、この場所からのアタックとなった。
28日、トクヤラフアタックの日、1時半出発。夜半風強く、手指が寒い、気温−15℃。頂上直下の雪壁下で休憩(9時頃)。ユマールを使用して雪壁150mを登る(下写真)。
最後の壁では息が切れ、ゼーゼーハーハ苦しかった。トクヤラフ頂上着(11時)、下写真は登頂の5名とガイド2名での記念写真です。この時天気は良かった。
14時40分、C1戻り。17時20分、BC戻り。 29日、ワラスへ下山。15時30分、ANDINO CLUB ホテルに入った(左下写真)。夕食時には、クリーニング店に行き、4kgの洗濯を依頼した。三井さんワスカラン北峰で遭難のニュースが耳に入った。 30日、休養日、モンテレー温泉に出かける。前回のチャンコス温泉の経験があり、準備して出かける(右下写真)。
鉄分を含んだサビ色の温泉、熱いお湯で温まった(左下写真)。昼食は、スイス料理店(Creperic Patrick)で、大きなクレープ、recommended combinations、食べ応えがありました(右下写真)。
31日、十分な休養を摂るため及び三井さん遭難の件などあり、ワスカラン登山は1日延期して、本日も休養日となった。昼食は中華料理、その後、中央市場などに立ち寄る(下写真)。
8月1日、ワスカラン登山に向けて出発。マンコス村の先からは、ワスカランがまた望めた(左下写真)。ムーショの村からは、昼食を挟み、16時頃、氷河に削られた岩盤の上のワスカランBC(4300m、右下写真)に到着した。
2日は、氷河の上のC1(5300m)へ。C1からは、北峰も南峰も美しく望めた(下写真)。夜中も無風快晴、満月に近い月が奇麗だ。
3日、5時前に出発して、10時頃にC2(5900m)着。C2は、北峰と南峰の広大なコル、ガルガンダの直下にある。コルは風が強いためだが、今日は昨日と比べて天気が良くない。曇りで風と雪が少しあり。 4日、アタック日、1時半出発予定。風と小雪が舞っている。2時過ぎに出発。天気はあまり良くない。雪の量も多く、かなり時間がかかっている様子。8時40分、6300m付近の平らな場所で、今後の予定について協議、登頂か撤退か?各人の意見を聞かれ撤退を選択した。天気が悪い中で、無理はしないことにした。普通に行けてもC2戻りは夕方6時以降と考えられ、体調も今ひとつ良くなく、登れても帰路はバテバテになり迷惑をかけることになるかもしれない。前夜に尿ボトルをクレバスに落とすなど良くないシグナルも見られた。C2戻り、13時30分(3名+ガイド)。 結果的には、強くて意欲的な3名とガイドが登頂し、C2戻りは20時40分と18時間半の厳しい登山となった。普通なら登山中止が妥当な天気であり、強力な現地ガイドに負うところが多いと考えられる。
5日、C2からBCへ下山、左下写真はガイドリーダのマックスと。
6日、BCからワラスの町へ下山、ANDINO CLUB ホテル泊。 7日、チャビン・デ・ワンタル遺跡へオプショナルツアーとして出かける。チャビンの町はちょうどブランカ山群の裏側にあり、4500mの峠を越えて行く(下写真)。
チャビン遺跡は、世界文化遺産に登録されている。プレインカ、紀元前1000年頃に造られたもの。
石造りの建物(右上写真)が中心で、地下室の中にランソンと呼ばれる高さ4〜5mの石塔の主神体が祀られている(右下写真)。昨年、日本の援助で博物館が完成した(左下写真)。
チャビン遺跡から帰っての夕食は、ペルーの伝統料理のパチャマンカ(第一の鍋という意味とのこと)が準備されていた。焼いた石の中で30分ほど蒸し焼きにする(左下写真)。そして、料理の他に地元ワラスのフォルクローレの演奏(右下写真)が用意されていて、最後の宴会は大いに盛り上がった。
8日、ワラスからリマへ移動。リマでの5時から9時までの飛行機待ち時間の滞在先は民芸品店のポコアポコ。おみやげ品購入とシャワーと夕食、特に夕食の日本料理は特別に美味しかった(下写真)。
感想 1.ペルーの山は全体に厳しい。トクヤラフの最後の急な雪面など。アコンカグア、チンボラソに比べて難易度が高いと思われる。一方、ガイドチームは強力でした。 2.ペルーの山は日本では余り知られていない。フジモリ大統領がいたり、日系人が多いが、テロによる日本人殺害事件などの影響もあり、全体的に遠い印象がある。 3.山については、ワスカランは残念でしたが、天気、山の状況、体調などを考慮すると、やはり無理をする場面ではなかったというのが、今でも感想としてあります。 4.8000mへ向けての装備チェックなど、得るものは多かったです。 |