ヒマラヤ8000m峰・チョーオユー(8201m)登頂記

2009年9月7日〜10月10日の記録

参加者;6名(群馬:Oさん、愛知:Mさん、千葉:Hさん(女)、東京:K、兵庫:Sさん(女)、東京:Nさん、年齢順)
男性4名、女性2名(70才台:2名、60才台:2名、50才台:2名)
企画・運営:潟Aドベンチャーガイズ主催の公募登山隊
ツアーリーダ兼ガイド;近藤謙司、杉本水生
現地ガイド;プラチリ(サーダ)、ラクパチリ、ダディンディー、チュパ、、カイラ、ランパブ(シェルパ)、マイラ(コック)、ラルー(キッチンボーイ)

7〜8月のペルーアンデス・ワスカランでのプレ登山に引き続き、9〜10月は、今年の最大の目標である8000m峰・チョーオユーへの挑戦でした。結果はプレ登山が効果的であったのか、順化が順調で比較的余裕を持って登れた。しかし、8000mの空気の薄さは一筋縄では行かないところがあり、いろいろと勉強することが多かった。

10月1日、チョーオユー(8201m)登頂、背景にエベレストが見える

9月7日夕刻タイ航空で成田を出発し、バンコクに夜着き、1泊した。そして、8日のフライトでカトマンズ空港に着いた。カトマンズの標高は1350mで、日本との時差は3時間15分。


バンコク空港でカトマンズのコスモトレックで

左上写真、バンコクの空港で、女性二人を両脇にした近藤隊長、左の二人が70才台で大きく見え、右の50〜60才台の男性二人は霞んで見える。
カトマンズのホテルに到着して、近くにある今回の登山の手配会社であるコスモトレックに伺う。大津二三子社長さん他と顔合わせ、シェルパを紹介された。右上写真は、今回のシェルパ達全員で、左から3人目がサーダのプラチリさん、コックのマイラは右から4人目、プラチリ、ラクパチリ(左端)、ダディンディー(右から二人目)の三人は兄弟です。

ホテルでの夕食風景
左から2人目:杉本(ミズキ)副隊長
カトマンズのミキさん夫妻

夕食はギャコックというチベットの伝統料理をご馳走になった(左上写真)。カトマンズ在住でネパール人と結婚されたミキさん夫妻が応援に駆けつけてくれた(右上写真、ミキさんは「けんけんブログ」で「KTMのミキ」と署名している人です)。

9日は、市内観光でスワヤンブナート(仏教寺院)と市街地のダルバール広場からタメルを散策した。登山用具店で大きなバックとテントシューズなどを購入した。テントシューズは1000円ほどの安さにもかかわらず重宝した。大きなバックは、トラックやヤクでの輸送に備えて、日本から持参の荷物に更に入れて二重にして保護するためです。こうしておかないと、日本から持参のバッグが汚れたり破れたりして使用不可になったりするそうです。このバックも安くて、2個で1000円ちょっとでした。North Faceとブランド名も書かれていた。

スワヤンブナートで左からNさん(ナカやん)、K(クリちゃん)、
Sさん(せっちゃん)、Mさん(フランク政木)

10日、飛行機でラサ(3600m)に向かう。エベレスト他、ヒマラヤの山々が見えた。

エベレストが見えるマカルー?が見える

夕食は、レストラン「シャングリラ」で、チベットのダンスと歌を見聞きした(下写真)。


注)ラサは中国チベット自冶区の首府であり、北京時間を使用しており、日本とは1時間の時差、そしてネパール(カトマンズ)とは、2時間15分の時差がある。

11日は高所順化にガンデン寺(甘丹寺)に出かけた。車で1時間ほどで標高4200mほどのガンデン寺に着いた。ゲルグ派の総本山であり、寺はスケールが大きい。文化大革命でほとんどが破壊されたが、ほぼ再建された。ゲルグ派創始者のツオンカバの創建。お寺を見学した後、裏山のガンデンピーク(4550m)に登る。タルチョの旗めく頂上で、チョーオユー登頂を祈念して、全員で記念写真を撮った(下写真)。

ガンデン寺全景裏山のガンデンピーク

ガンデンピークで祈念の写真
左端:Oさん(荻パパ)、右から3人目:Hさん(エンジェル・フェイス)

12日午前、ポタラ宮に出かける。今は予約制になっているそうで、入場門で少し待たされる。そして、建物の入口には空港同様のエックス線の機械があり、ペットボトルはみんな没収された。ハイドレーションを持っていた人は中の水を全部出さされた。水は中で売っていたので喉が渇いて困るという問題はなかったが、これには驚いた。
有名なポタラ宮は大きすぎて、「地球の歩き方」を見ながら歩くのが精一杯でした。

ポタラ宮全景入場門を入り、建物に入る前の階段で

午後は、デプン寺とジョカン(大昭寺)を見て回った。デプン寺も大寺院で、多くの僧侶がいて、問答修行が行われていた。写真撮影は20元でした。

デプン寺(ダライラマの寝殿)デプン寺・問答修行

ジョカン(大昭寺)は、ラサの旧市街地区の中心に位置し、五体投地をしながらラサに集まってくる人々の目的地です。ジョカンの正門前は礼拝者でいつも混雑している。

ジョカン(大昭寺)ジョカン屋上の装飾
法輪と2頭の鹿

ジョカン(正門)ラサの宿泊したヒマラヤホテル
ホテル前は下水工事中

13日は移動日、シガツェ(3900m)までのドライブ。シガツェはラサの西約280kmに位置するチベット第二の都市。ラサを出る前に市内の博物館に立ち寄る。ここでは展示を見るというよりも、西蔵天珠というネックレスがターゲットらしい。お値段が手頃だったので、自分用に一つ買い、早速、首に巻いた。お土産にたくさん買った人もいた。
そして、西へ西へとドライブに出発する。道は今年春にネパール国境までの舗装が完了したとのことで、すごく快適なハイウエーになっている。その道を3台のランドクルーザーに分乗して走る(左下写真)。最近の中国の目覚しい発展を実感する。
夕方6時前に、シガツェのホテルに着いた。このホテル前には、有名なタシルンボ寺がある(右下写真)。その見学は明日。

国道318号と3台のランクルホテル前からのタシルンボ寺

14日、登山許可関係を取得する間に、タシルンボ寺を見学した。そして、昼前に出発して、ティンリーに向かう。

タシルンボ寺門前で五体投地をする人々タシルンボ寺

ラサからシガツェ間はヤルツァンボ川沿いであったが、シガツェ、ティンリー間は峠越えの山道になる。国道318号を西へ向かうと、5000kmの記念碑がある(左下写真)。これは国道の出発点の上海からここまで5000kmあるということです。
そして、13時半頃、最初の峠、ツォーラ峠(4550m)。

5000kmの記念碑ツォーラ峠

続いて、16時頃、カツォーラ峠(嘉措拉山、5248m)に到着する(下写真)。30分ほど、高所順化のため歩く。

カツォーラ峠(嘉措拉山、5248m)の表示カツォーラ峠

ティンリー着は19時前。その少し前に、目指すチョーオユーが初めて見えた。写真は明日朝の方が良かったので15日の写真を見て下さい。ラサ近辺の高所順化兼観光はこれでお終いで、やっと目指す山に出会えた。

15日、ティンリー(4340m)での高所順化日。たまたまチベット登山協会の人がチョモランマBCに行く予定になっているので、それに便乗する形で我々もチョモランマBCに行くことが可能になった(許可がないと入れない)。10時半出発、すぐにチョーオユーが美しく大きく望める(下写真)。左の山は山野井さんで有名になったギャチュンカン。

チョーオユーが美しく大きい

ティンリーからデコボコの山道を越えて、チョモランマが徐々に大きくなるのを眺めながら、約3時間でロンブクTBC(5000m)と呼ばれる一般車の入れる再奥のバティがいっぱい並ぶドライブインのようなところに着いた。ここで昼食を食べてから、許可車のみ入れるチョモランマBC(5200m)に着いた。素晴らしい晴れの天気でチョモランマが良く見えた。

チョモランマを望む(TBCより)

チョモランマをバックにしてOさんのお墓参り

5年前のAG隊でエベレスト登頂後亡くなられた0さんのお墓に参る。その横にマロリーも眠っていた。2年前のIさんの墓は見つからなかった。その下には、今高所に登っている栗城さんのテントのみがBCの場所を示していた。(栗城さんは今回は登れなかったそうです。)

マロリーの墓チョモランマBC、栗城隊テント

ロンボク寺ロンボク寺とチョモランマ

今日のチョモランマBCツアーはオプショナルツアー扱いであり、車代と国立公園入園料とで約1万円弱の旅でしたが、本当にラッキーでした。

16日、左下写真はティンリーのホテルの朝8時10分の写真です。北京時間のため、実際とは2時間くらいの時差があり、朝6時頃の感じです。ここはホテルとは言っても、宿泊所のイメージです。

ティンリーのホテルジャプラ(TBC)、緑テントに隊員一人ずつ

ティンリーから1時間かからずに、ジャプラ(TBC、4910m)に着いた。全員あまりに近いのに驚くが、高度は600mアップしている。今日からテント生活、やっと山に入った気がする。右上写真、TBCのテントです。

食堂テントで日本食TBC遠景

夕食はかつ丼に枝豆、ダイコン、つけものなど、他にもあったが忘れました(左上写真)。これから、TBC(テンポラリ・ベースキャンプ)、ABC(アドバンス・ベースキャンプ)ではすべて日本食、これがAG隊の魅力です。食欲が進みます。AG隊にした理由の一つがここにあります。
この夕食時刻から北京時間からカトマンズ時間に変更した。2時間15分時計を遅らせます。日本人はラサに一旦入ったので北京時間ですが、シェルパ達は陸路、コダリ、ザンムー経由で入ってきてますので、カトマンズ時間のままです。カトマンズ時間の方が現実の日の出、日の入時間と整合します。

17日は、TBCでの高所順化日。4900mのTBCから裏山の5400mまで登った。弁当のおにぎりが美味しかった。コックのマイラーがおにぎりにふりかけを入れてくれているのだが、この量が少し多目の絶妙の適量で、本当に美味しく感じた。

TBCからのチョーオユー5400mの到達点で

16時頃から、女性二人と昔の青春時代の愛唱歌を歌った。
SPO2の値はすこぶる良くて、5000mの順化も順調で安心できた。

18日、TBCからバルンへ移動。TBCから2日かけてABCまで登るが、その1日目がバルン(5370m)というチベット族の大きなテント小屋があるところだった。車も通れる林道のような道を1日テクテクと歩いて着いた。夕食はその小屋で食べたが、料理はマイラの作った日本食だった(右下写真)。

チョーオユーをバックにチベット族の小屋で夕食(料理は日本食)

19日、ABC(5700m)に入る。(予定より1日早い)

ABCに向かう道
チョーオユーを正面に眺めながら
モレーンの岩影に紫色の花

ネパールとの国境・ナンパラ
平らな峠で越境する人がいても不思議でない
ABCから望むチョーオユー

20日、プジャー(お祈り)の日。チャン(麦のお酒)や、ツアンパ(黄な粉風)、それにお菓子、ワイン、ウイスキーも供える。バルンの小屋のチベット人がお祈りをしてくれる。お経も唱えて。
その日の夜から、雪、みぞれが降り出した。
5700mもあるABCで日本食を完食できる、今までの経験では考えられないことだと思った。

プジャー(お祈り)

21日、ABCは一面、真っ白になった(下写真)。


今日は、C1目指して、高所順化の日。9時出発、全員揃って歩くとゆっくりすぎて、とてもC1には着かない。6000m少しのデポキャンプと呼ばれるモレーン歩きが終わり急斜面を見上げる場所に着いたのが14時15分で、ここがが本日の終了点となる。ここからはC1へのガラガラの急斜面が高度差400mほど続いている(右下写真)。C1までは遠い、6000mにタッチして戻る、15時に歩きはじめて、18時前にABCに戻った。女性隊は30分ほど遅れて暗くなって帰着。初の6000mで、みんなかなり疲れたようだ。

ジャプラ氷河の風景C1へのガラガラの急斜面

22日、休養日。午前、上部キャンプへの荷揚げ品の整理をしたが、かなり多い。午後、風呂用のテントができたので、お湯をもらって体を洗う。気分転換と下着換えにちょうど良かった。
4時頃からリコーダを吹くエンジェルフェイスさんに合わせて、歌集を取り出して昔の青春の歌を歌った。
6時頃、酸素マスクの取り付け方の指導があり、これからは酸素マスクは個人管理とされた。また、上部キャンプへは荷揚げ荷物とはせず、自分で取り扱いに気を付けて持って上がるようにとの指導もあった。

ナンパラの向こうにネパール側の6000m級の山ABCの個人テント(緑色)

チョーオユーとABCテント村

23日、今日も休養日。午前中にユマール練習(フィックスロープの登り方)を行った。
荷揚げは2回あるので、1回目は、高所靴、シュラフ、マット、アイゼン、ピッケル、ハーネス、テントシューズ、オーバズボンに限るとの説明があった。

24日、今日から1泊2日の順化プログラム。C1(6400m)へ上がって1泊し、25日にC2近くまで登ってABCに戻ってくる。できるだけ7000mに近いところにタッチしてくる計画。
9時出発、せっちゃんが遅れる。顔がむくみ、順化不十分の様子がうかがえる。サイドモレーンをひたすら歩く。6000m少しのデポキャンプに着いたのは、14時50分と遅い。ここから例のガラガラの急斜面に取り付く。元気な人から登ってよいとの許可が出たので、トップで出発する。C1近くでは風が吹き始め、夕闇せまり寒くなってきたがマイペースで登り、2時間かからずに17時前にC1に着いた。プラチリ、カイラなどのシェルパ達が迎えてくれた。

C1キャンプ
左端が我々のテント、二人泊
C1よりC2方面の雪稜を望む

17時半頃、エンジェルフェイスさんとフランク政木さんが到着、ナカやんと荻パパはもう少し遅れて到着した。せっちゃんはABCに引き返したとのこと。結局、この日の歩きで、順化程度と脚力の差がはっきりと出た1日だった。

25日、9時20分:C1出発
    11時  :6550m、第1高点(雪稜上の小さなピーク)着
    11時50分:6650m、第2高点着、12時05分発
    12時45分:C1戻り、昼食、靴取替え、14時05発
    18時20分:ABC戻り
C1からC2間で、ユマール練習(フィックスロープ箇所をユマールを使って登る)と高所順化。アイゼンに不慣れな人が多く、また、順化不十分なためか、時間が大幅にかかる。6550mで4人は終わりにしたが、自分はもう1ピッチ、次のピークまで登った。午後から雪の降る中、下降、ABC戻りは18時を過ぎ、暗くなっていた。

C1出発前風景C1上部よりC1を振り返る

第2高点、本日の最高到達点で

26日、休養日。
前夜から雪が降り続く。休養日にふさわしい天気のようだ。けんけんグログには、せっちゃんがABCに戻ったことに対する応援メールが多い。午前中に雪は止んだが、曇天、午後から天気回復する。ABCキャンプの散歩に出かける。大山さん達、埼玉岳連が今日C2泊で、明日頂上アタックとのこと、天気が良くなることを祈る。
夕食後、登頂予定日を10月1日にすると、近藤隊長より発表があった。28日ABC出発予定、せっちゃんはリベンジのため、1日早く、27日出発するとの事、これで予定は定まった。

27日、7時50分:せっちゃん、ABC出発
  10時  :埼玉岳連登頂のニュースを持って、津久井真弥さん来訪、昼食を一緒した
  14時30分:シャワーテントで体を洗い、下着を着替えた、すっきりとした
  18時30分〜:夕食、せっちゃん、C1到着の報、いまだ来ず、7時を過ぎ、8時頃になるのではとのシェルパの話、これでは上部キャンプは、難しかろうと思う

28日、今日から5日間の頂上アタックが始まる。
  9時40分:ABC出発
  13時40分:デポキャンプ着、14時05分発   16時20分:C1着

パサンラモ Pasang Lhamu(7350m)、チョーアウイとも言われる(6150m付近より)

C1到着(昨日からいるせっちゃんと)C1より上、第1高点、第2高点を望む

29日、C1からC2に登る
  8時30分:C1  (6400m)、出発
  9時45分:第1高点(6550m)、10時発
  10時45分:第2高点(6650m)
  11時30分:アイスフォール下(6750m)、11時50分発
  12時50分:アイスフォール上(6880m)、13時10分発
  17時10分:C2着(7200m)
C1からC2までは距離が長い、そして、アイスフォールの通過が今日のポイントになる。ほぼマイペース、単独、トップで登る、前後に荷物を担いだシェルパ達がいるが、アイスフォールのフィックスロープを一人で登る。近藤さん、ミズキさんは他の人にかかりっきりの様子。

C1を振り返る第1高点への登り

アイスフォールの急雪面を左に巻くフィックスルートで通過した。右下写真、真ん中、垂直に下れるフィックスロープがあり、懸垂下降で使う人がいた。アイスフォール上からは広大な雪面を登りC2に到着する。

第1高点でアイスフォールを望む

17時過ぎにトップで到着、酸素を吸った荻パパが20分後、同じく酸素を吸ったナカやんが40分後、そして、エンジェルフェイスさん、フランク政木さん(酸素なし)が暗くなった1時間20分後に着いた。せっちゃんは酸素を吸ったが、力及ばずC1へ引き返したと聞いた。C1、C2間の酸素は予定に入っておらず、500US$の費用負担がある。ナカやんは調子が良くないので、どうですかと言われると、すぐに使いたいと希望した。
そして、C2の夜から予定通り全員に酸素ボンベがセットされ、酸素を吸っての宿泊が始まったが、慣れないので、楽になったのか、苦しいのか、良くわからない感じでした。

30日、C2(7200m)からC3(7600m)に登る
高度差400mと今までの半分であり短い。朝はゆっくり出発し(10時50分)、15時30分にC3に着いた。

C2キャンプC2で、エンジェルフェイスさんと
今日から頂上アタック装備

C3到着、ロックバンド、
頂上ドームが見える
C3で、後ろは近藤隊長

10月1日、頂上アタックの日、アタック後C2まで戻る
23時半起床、24時半出発予定で、前夜の夕食は早く済ませ仮眠に入る。定刻に起き、シュラフなどは袋に入れる(そのままでよいとの話であったが、C2まで降りる予定でありアタック後の疲れた状態での余分な作業は先に済ませておく)。簡単な朝食のあとテント内での準備を済ませて外に出る。時間は少し遅れ気味。トップでエンジェルフェイスさんが1時過ぎに出発する。2番目はナカやん、自分はハーネスを付けるのにシェルパが時間を食っている。ここは慌てない。出発は後の方が良いだろう。1時30分、最後に出発する。シェルパはラクパチリが後ろに続く。
歩くペースが違うので、荻パパ、フランク政木さんを追い抜く。エンジェルフェイスさんの後ろに来たところで、ロックバンドの岩場に入る。トップはナカやんに変わって、かなり先を行っている。エンジェルフェイスさんが岩場で悪戦苦闘している。近藤隊長がロープ引っ張り、「右手ユマールを挙げて」「右足を上げて」と大声で叫んでいるが、彼女は「上がりません」と答えている。これでは前に進まないし、自分も微妙な所にいるので、彼女の右足をアイゼンから押し上げて、「右足をあげて」と私も大声で叫ぶ。これで岩場を突破できたと思った時に、自分の左足アイゼンがはずれた。すぐ下にいたラクパチリとプラチリが、その場でアイゼンを締め直してくれて岩場を通過した。この後、エンジェルフェイスさんの前に出て、ナカやんの後を追う、アンザイレンなしの、フィックスロ−プのユマール登攀。
ルンゼ状の雪壁を一直線に登る。トップのナカやん、カイラは新雪をラッセルして登っている。2番手も風で消えかかった踏み後を踏み固めて登る。夜が明けてきた。ヘッドランプを消す。風が吹くと今度は寒さが身に凍みてきた。一番寒い時間帯だ、手、体の上下共に寒さを感じるが、歩いていれば問題ないだろう。水は胸に入れていたハイドレーションも凍り水が飲めない。テルモスも蓋が凍って開かない(頂上雪田で蓋をピッケルでたたいて開けて飲んだ)。唯一胸ポケットに入れたゼリーが少し口に入るだけ、兎に角、休まずにトップの後を追う。 
頂上ドームに達する手前でナカやん達が休憩に入った。追いつく、ナカやんに声をかけるが返答がない。その時はなぜか解らなかったが、後から聞くと酸素がなかったためだったとのこと。ここからトップとなり、ラプラチリに先頭を行ってもらう。ナカやん達も前後して登る。寒いから早く太陽が当たればよいと思うのだが、西北西斜面でなかなか陽があたらない。後ろを振り返ると、我々の隊のメンバー10人ほどが斜面に続き、その後ろにはスペイン隊の姿も見える。総勢20〜30人ほどが蟻のように1列になって登ってきている。その先頭にいることが良く分かる。
フィックスロープが終わって、頂上ドームに着いた。さてこの先はどっちへ向かうのか?頂上はどこなのか?とりあえずラプラチリが進む左トラバース気味に進むと、本当に広い頂上雪田に達した。左側の小山が高そうだが、道は真ん中から右の方へ向かっているようだ。先頭にいたラプラチリがいなくなり、ナカやんが前を歩いている(左下写真)。カイラは頂上雪田で休憩している。振り返るとシシャパンマが見えている(右下写真)。ここでナカやんの前に出て、踏み後のない新雪の道を進む。

頂上雪田を登る振り返るとシシャパンマが見える

だらだらと、30分ほど新雪の道を進むと、向こうにエベレストが見えてきた。頂上のようだ。11時5分、まだ誰もいないチョーオユーの頂上に着いた。
11時30分頃、エンジェルフェイスさん、ナカやん、荻パパが到着する。近藤隊長、ミズキさんのガイド、シェルパ達も同時に到着した。荻パパはザックに倒れたまま、ナカやんは疲れた様子。写真を撮った後、今日はC2まで下山予定であり、早く下山開始したいと思っていたが、なかなか出発できず、やっと12時20分に下山はじめた。その後すぐにフランク政木さんに出会った。これで5人登頂です。70才台の二人の登頂には本当に驚かされます。

チョーオユー頂上でのAG隊記念写真

チョーオユー(8201m)登頂、背景エベレストC3に戻り、頂上を振り返る

下りは雪の中、フィックスロープを懸垂下降とカラビナで下降。
  15時25分:C3着、他の人は遅れているので、1人、C2へ下山、17時40分発
  18時30分:C2着、泊、日本人は近藤さん、ミズキさんと私の3人。

2日、C2からABCへ下山
C2テント内の朝の気温は−20℃だった。C3ではどうだったのかな?
  12時55分:C2発、アイスフォールを通過して、
  14時55分:C1着、靴を高所靴からトレッキングシューズに替えて、16時発
  19時30分:ABC着
C1まではミズキさんと下山、C1からは1人で下った。誰もいない夕方のモレーンの道を、雪、ガスの中を下った。登山シーズンの終わりを示しているようだった。途中から暗くなり、ヘッドランプで正しい道を探すために戸惑う場面が何回かあった。
昨夜C3までしか下山できなかった4名は、C2、C1経由で、ABCには24時前の帰還となった。

3日、休養日、終日雪が降り続く。
荷物の整理を行う。外は肌寒い。夕食の後、チョーオユー登頂祝いのケーキが出て、近藤隊長がケーキカットを行った、ビール、ワインも出た。

登頂祝いケーキケーキカット

4日、下山日
  8時:ABC出発、雪は止んで、だんだん晴れてきた(下写真)。

長いジャプラ氷河をトボトボと下山、チョーオユーとお別れの日

  13時25分:バルン着
  15時  :TBC着
  16時15分:ティンリー着(昼食)、17時20分発、夜道の国道ドライブとなり、
  21時  :ネパール国境のザンムー着
夕食を抜きにして、シャワーを浴び、髭を剃った。やっと下界に下りた気がした。
同室のナカやんの右足指が5本共に黒く凍傷になっていて、びっくりした。

5日、ザンムー→コダリ→カトマンズ
国境の町ザンムー、下写真、右側が中国側、橋が国境で、左側がネパール側コダリです。

国境の橋(右側が中国側ザンムー、左側がネパール側コダリ)

16時過ぎ、カトマンズのホテル・チベットに着いた。
ナカやんは凍傷で、すぐに病院へ行き、飛行機が取れ次第すぐの帰国となった。

6日、昼食に、ロイヤル華ガーデンに行った。経営者の戸張至聖さんにネパールの話をいろいろとうかがった(下写真)。戸張さんは青山学院大山岳部出身で、友人のSさんの先輩になるので、今回ネパールに来る前から訪問する予定でいた。ホテルから近いので、8日にまた訪れた。露天風呂があり、そこに入るつもりでいたが別の予定ができたので、昼食のみとなった。

ロイヤル華ガーデン、右から2人目:戸張さん

そして、夜は、サーダ・プラチリの自宅に招待され伺った。プラチリ邸は新築マンションの4Fにあり、賃貸マンションだと聞いた。子沢山の家庭だった。

プラチリ邸、後列左から3人目:プラチリさん

7日、パシュパティナートに出かける。前回ネパールに来た時に来訪しているが、再訪問した。ネパール最大のヒンドゥー教寺院であり、ヒンドゥー教徒の火葬風景が見れるので有名で、観光客が多い。修業中のサドゥーもたくさんいて、今回は、裏山も含めてゆっくりと歩いて回った。

河岸のガート(火葬場)風景白い塔の中にあるリンガ

丘の上から寺院とガートを望む川下から寺院を振り返る

昼食は、タクシーで日本料理店「田村」へ行った。静かな落ち着いた雰囲気の料亭で、ゆっくりと食事を楽しんだ。
そして、夕食は鉄板焼きの「古鉄」、シェルパ達全員を招待しての打ち上げ会で、刺身、お寿司から鉄板焼きに、焼ソバ、そうめんまで多種多量の料理を堪能した。この店は、マスター富田さんが3年ほど前にオープンしたまだ新しい店で、あまり店を大きくしないで、いつも親しい友達が語り飲む場を提供しているそうです。コスモトレックの大津さんご夫妻も出席して、なごやかな雰囲気で語りあい、明日また夕食をご一緒することを約束した。

「古鉄」カウンターで、

8日、夕食は、チベット料理、大津さんご夫妻と歓談した。

後列右2人:大津さんご夫妻

9日、カトマンズ発、バンコクで乗り換えて、10日朝、成田着。

感想
1.8000m峰に登頂できた。チョーオユーをぎりぎりで登るのではなく、ある程度余裕をもって登りたいと考えていたが、順化が好調でその通りに登れたのが、一番うれしいことです。
2.事前の6000m峰(ペルーアンデス・ワスカラン)のプレ登山が効果的であったと思う。それと今までの6000m峰に対する経験と、国内では富士山登山。
3.チョーオユーのアタックは登り通常、7〜8時間と聞いています。それに比べて、今回のアタックは時間がかかっている。高齢者など遅い人向きに万全のアタック体制を敷いた近藤隊長及びシェルパの協力のお陰でアタックした全員の登頂が可能になった。先頭は手薄でシェルパもいなくなるということで、自然とペースは遅くなった。よって、トップで頂上に立ったといっても決して普通より早くないということを付け加えておきたい。
4.日程は10月15日まであったが、約1週間ほど早くカトマンズに戻れた。ほぼ予定通りで天気の良さそうな10月1日が登頂予定日となった。2日以降はあまり天気の良い日がなく、シーズンも終わったような雰囲気になったことを考えると、(AGはシーズン最後の登頂を狙っているようだが)、出発日は、もう数日早い方が良さそうに思われる。(埼玉岳連の27日登頂がベストなのだろうが、それは余りに混雑するので、避けているのだろう。)
5.チョーオユー登山に加え、高所順化プログラムの中で、チベット、ラサ周辺の寺院の見学ができたのも良かった。


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