アンコール・ワット、カンボジアの旅

日 程 :2011年3月27日〜31日
参加者 :15名(男性6名、女性9名)
クラブツーリズム且蜊テ、世界遺産アンコールワット満喫5日間

東日本大震災で3月の登山は自粛でしたが、催行が決定していた海外旅行は予定通り出発した。今回はアンコール・ワット。ヒンズー教と仏教がどのように混ざり合っているのか、カンボジアがどのように復興しているのかを見るのが目的でした。

3月28日、城壁都市アンコール・トム観光。高さ8m、周囲12kmの城壁に囲まれた都城アンコール・トムの入口にあるのが、南大門です。

アンコール・トムの入口、南大門バイヨン寺院全景

そして、城壁内の中央にあるのがバイヨン寺院。12世紀末に建てられた仏教寺院、穏やかな微笑みをたたえた観世音菩薩のモチーフ(左下写真)で有名な寺院である。バイヨンは、メール山(須弥山)を象徴化している(右上写真)。メール山は古代インドの宇宙観によると神々の住む聖域で、また神が降臨する場所でもあった。昨年行ったラダックの密教と共通する。

バイヨンの観世音菩薩像デバター像

美しいデバター像(右上写真)と壁面のレリーフ(左下写真)は、アンコール・トム、アンコール・ワット遺跡に共通なクメール文化の特徴です。レリーフは戦いの様子を描いている。

レリーフ

下写真は、午後の観光地の1つタ・プロム。木の根が遺跡に絡みつく状況がすごい。

石の回廊を踏みつけ
今にも押しつぶしそう
血管のようにからまる木ヘビのように石にからみ
石を食べる怪獣のようでもある

夕陽を見に登ったプレ・ループシェムリアップの繁華街
多くの店が並ぶ

3月29日、昨日と同様、天気不順で曇りの天気。昨夕のプレ・ループの日の入りも、今朝のアンコール・ワットの日の出も見えなかった。その代わり涼しくて、観光するには楽な日でした。帽子が要らないくらいに。
午前中、アンコール博物館見学、午後、プールで泳いだ後から、アンコール・ワット見学に出かけた。アンコール・ワットは、ヒンズー教のヴィシュヌ神に捧げられた寺院であると同時に、スールヤヴァルマン2世を埋葬した墳墓でもあり、死後に王と神が一体化する神王思想に基づくものであると、案内本に書かれている。

アンコール・ワット全景アンコール・ワット中央塔(左奥)

宮廷舞踊アプサラダンスの舞を鑑賞しながらの夕食(右下写真)。

アンコール・ワット、中央塔アプサラダンス

3月30日午前、トンレサップ湖クルーズ(下写真)とイオン博物館見学。

トンレサップ湖の船着場トンレサップ湖の水上家屋

午後、ニャック・ポアン、プリア・カンの見学。

ニャック・ポアンプリア・カンのリンガ

プリア・カン
踊り子のテラスでは繊細なレリーフが楽しめる
プリア・カン
2階建ての石造建物

29日午後、バンテアイ・クディという遺跡を訪ねた。ここは上智大学が長年遺跡調査を行っているところで、2001年の調査で274破片の仏像が発掘された。そのうち101点の仏像が30日に訪れたイオン博物館に展示されている。この博物館の正式名称はプリア・パドム・シハヌーク・アンコール博物館で、日本の企業イオンの寄付で建設され、2007年にオープンした。それにしてもクメール帝国が今までの認識を覆すほどに大きな帝国であったということに驚いた。
仏教とヒンズー教についても、人々は二つの神を等しく崇拝していたようであると説明があった。具体的には、仏教は、ナーガ上の仏陀、観音菩薩、般若波羅密、の三尊像、ヒンズー教は、シヴァ、ヴィシュヌ、ラクシュミ、の三尊像である。仏教とヒンズー教は、アンコール朝時代、日本の神仏習合のように混ざり合って崇拝されていた(初期のクメール人はヒンズー教で、今は仏教国である)。
カンボジア、シェムリアップは、ホテルの数、町の様子などから、この10年の間に大きく変化を遂げていることを実感した。


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