ルウェンゾリ(5109m)登頂とナイル源流の旅(その6)

ジンジャ、ビクトリア湖とナイル源流の旅

2月24日、ジンジャへ向う。ジンジャは、1862年、イギリスの探検家ジョン・ハニング・スピークが、ヨーロッパ人として初めてビクトリア湖が白ナイルの源流であることを発見した場所です。首都カンパラから80kmほどの所にあり、現在ではウガンダ有数の工業都市として発展している。オーフェンフォール・ダムによる水力発電はケニアなどに輸出しているし、サトウキビの製糖工場、コットンによる繊維産業、セメント工場などがある。

10時すぎにオーフェンフォール・ダムのある橋を渡り(右にビクトリア湖、左にナイル川を見て)、ジンジャに着いた。すぐにボート乗り場に向う(左下写真)。

ジンジャのナイル源流ボート乗り場を望む
左がビクトリア湖、右がナイル川
岸辺は野鳥の楽園

ボートは3人とドライバーの4人で貸切である。最初岸辺に沿ってビクトリア湖の中の方に進む。木々には種々の野鳥が生息している(右上写真)。湖の方から戻ってきて、ナイル川が流れ出す場所にある島に向う(左下写真)。

島を望む左側のところから流れがはじまる

この島のビクトリア湖寄りに「The Source of R.NILE Jinja World`s Longest River」の看板があり(左下写真)、その左岸寄りに、ナイル川0m基点のモニュメントもある(右下写真)。そして、川床の傾斜が始まり波だって水が流れだしているポイントであり、水が下から湧き出している場所であることも確認できた(右上写真)。

The sourch of River Nileの看板ナイル川の0m基点

ガンジーの遺灰も、世界で一番長い川に流すということで、ここからナイル川に流された(1948年、右下写真に記念碑)。ナイル川は延長6650kmです。

島のみやげ店とボートガンジーの遺灰もここから流された

スピーク記念碑公園、スピークがこの場所から
ナイル源流を発見したと書かれている
スピークについての説明

スピーク記念碑公園というのが対岸にあり、車で行くのかと思っていたがボートで行けるということで、次にその岸辺に舟を着けた。丘の上に、スピークの発見したナイル川のことが説明版で書かれていた。ここは美しい公園で、ナイル源流の方の景色もすばらしい(右下写真)。

ナイル川の地図スピーク記念碑公園からナイル源流の場所を望む

25日、ホテル前に客待ちしているタクシーを使い、カンパラの市内観光に出かけた。

スピークホテルに戻ってナイル源流の絵
現在の姿とそう変わらない
マケレレ大学

行ったのは、ウガンダ博物館、マケレレ大学、カスビ・トームの3ヶ所。博物館は、ウガンダの自然や文化について一通りの理解ができるようになっているので有益です。マケレレ大学は、東アフリカ3ヵ国の東大のような地位にあった大学と書かれていて、構内に自由に入れて若者の雰囲気がつかめて、観光地の一つになっている。カスビ・トームは、ブガンダ王国の王の墓所で現在一部工事中であたったが、世界遺産にも登録されていて、一見の価値はあります。
ホテルに戻って、昼食は真正インドカレー料理で、右下写真は食後のジュース。

カスビ・トーム3人でジュースを

さて、最後は、25日がSさんの還暦バースデーということで、イタリア料理店でケーキ、シャンペンなどでお祝いをして、ルウェンゾリ登頂の今回の旅の最後の締めとしました。

Sさんの還暦バースデーSさんの還暦バースデー

<感想>
結果的には天気に恵まれ登頂できました。これは、ルウェンゾリが我々を受け入れてくれたものと解釈しています。ルウェンゾリは位置的にヨーロッパからの登山者が多く、日本からはまだ行く人は少ない。これから増えていくのではと思います。しかし、氷河が溶けて、山自体はむつかしくなってきている。少人数の隊がふさわしい。
ルウェンゾリは、キリマンジャロとは違い独立峰でなく、約20のピークをもつ。山の高さではなく多様性のある豊かな自然に加え、雪と岩の織り成す頂上山塊に最も魅力を感じる山である。
日本人で最初にこのルエンゾリに登ろうとしたのは、今西錦司先生でした。1958年3月のことであり、ゴリラの生態研究の予備調査の途中に立ち寄ったもので、準備不足のため、装備不十分、日数不足などで登れなかった。この時の内容が、下記の参考文献に詳しく書かれています。ルウェンゾリに登られる方は、ぜひ一読願いたい。

<参考文献>
1.今西錦司著「ゴリラ」の中の「ルエンゾリ−月の山」(「今西錦司全集第7巻」に収録)
2.「地球の歩き方、東アフリカ(ウガンダ他)」



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