シルクロードの旅/蘭州、敦煌、西安、河西回廊を行く

蘭州・武威・張掖・酒泉・嘉峪関・敦煌・西安を巡る

日程 :2014年4月26日〜5月04日までの9日間
参加者;19名(成田発11名、関空発8名)
叶シ遊旅行主催、添乗員:古林直美、現地ガイド:カク振宏、リーさん

シルクロードのうち、懸案であった西安から敦煌までの河西回廊をめぐってきました。西遊旅行の旅内容はいつも素晴らしいのですが、今回はそれ以上に参加者との交流、私の出身地の京都の関係者が多く、今までで最も楽しい旅となりました。内容は盛りたくさんでしたが、簡潔に報告します。

26日、成田から上海経由北京乗換え、甘粛省の蘭州には夜遅くの到着でした。関西組とは北京で合流したが、その日は寝るだけ、3時間ほどの睡眠時間でした。

27日、朝9時オープンと同時に甘粛省博物館を見学。甘粛シルクロード文明、甘粛の彩陶展、甘粛古生物化石展といろいと見るべきものはありましたが、右下写真、武威の雷台の墓から出土した「馬踏飛燕(飛燕をしのぐ馬)」の「銅奔馬」が有名です。今から二千年以上前の前漢時代のもので、小さな青銅製であるが躍動感あふれる姿は、当時の芸術水準の高さを示すものとして高く評価されている。

甘粛省博物館銅奔馬

甘粛省の省都蘭州(海抜1510m)は黄河に沿った町で、バスで黄河を渡り、高度を上げて鳥鞘嶺(3000mを越える)をトンネルで抜け武威に着く。河西回廊はこの町からはじまる。市内観光では、三大孔子廟の一つ、文廟を訪れた(下写真)。他にさきほどの「銅奔馬」が出土した雷台、大雲寺鐘楼等を訪れた。
武威の文廟(孔子廟)孔子像

28日、「甘州」張掖、「粛州」酒泉へ向かう。この二つの町名から「甘粛省」の名前ができた。中国の道路は本当に良くなった。高速道路を含み、ウルムチまで続いている。この道路が万里の長城と交差するところが「山丹の万里の長城遺跡」である(左下写真)。明代に造られた長城です。創建当初の様子がよくわかる。張掖では、大仏寺、万寿寺木塔などを見学した。大仏寺には体長34.5mという大きな釈迦仏が横たわっている。

山丹の万里の長城遺跡張掖の涅槃大仏のある大仏寺

酒泉では鐘鼓楼を見学した。メインストリートの交差する酒泉の中心部にあり、基壇の四方に開けられた通路の上の門額に、東迎華岳、西達伊吾、南望祁連、北通沙漠という4つの言葉があり、酒泉の地理的位置を表している(左下写真)。嘉峪関の見学は翌日になった。

29日、嘉峪関(右下写真)。明代の万里の長城の西端が嘉峪関であり、高さ11mの壁に囲まれた広大な要塞/城です。門の上には3層の楼閣が建ち、低い長城が南へ延びていく(写真左端の物見櫓から)。

酒泉の鐘鼓楼嘉峪関

そして、南に延びた長城は北大河の絶壁で途絶える(左下写真)。ここが長城の本当の終点もしくは出発地といえる。写真右上のところから低い長城がはじまっている。そして、最初にある物見台が右下写真の天下第一トンです。

北大河の絶壁万里長城第一トン(物見台)

昼食を挟んで、15時すぎに楡林窟に着く。楡林河の峡谷の両岸に開削された大規模な石窟で、有料窟の3窟と25窟(西方浄土変と弥勒浄土変の唐代壁画で有名)、無料窟の19、15、6窟(大仏)を見学したが、窟内の写真は省略します。

楡林窟を望む楡林窟前の楡林河

敦煌までバスで走り、敦煌山荘に宿泊した。
30日は、今回の最高の見学ポイントの敦煌莫高窟であるが、窟内の壁画、像などの写真は省略します。写真が少ないこともありますが、とても説明できないので。自分の目で確かめられたい。訪問した窟は、16〜17、335〜337、328〜329、427、428、249、96、148、61〜63、有料窟は57、45、275窟の中から各人が選択。今年からシステムが変わるそうで、我々は3時間半見学したが、今後はまずデジタル展示館で映画を見て、現地1時間程度の簡単な見学しかできなくなるそうです。この日は、砂嵐が来そうというはだ寒い1日でした。午後は敦煌市博物館と白馬塔を見学した。
敦煌莫高窟の外周り莫高窟、96窟大仏前

変わって、夕食は屋台の並ぶ沙州市場で名物の砂鍋料理を味わった。京都関係者が多かったと最初に書きましたが、左下写真の左がM氏(私の山城高校の隣の朱雀高校の卒業生で、住所がごく近かった)、右は大学法学部教授のO氏(早大、京大、名大と移り、島根大が長かった)と、右下写真の女性はO氏夫人(私の大学の法学部の先輩で、弁護士で、現在も松江で法律事務所を経営している)と楽しい団らんの時間をすごせました。

左:M氏、右;大学教授のO氏右:大学の先輩O夫人

5月1日は晴れの良い日に変わり、日の出も見ることができた。下写真は朝の敦煌山荘と鳴沙山です。
敦煌山荘(宿泊したホテル)鳴沙山(ホテルから)

今日の観光は、敦煌郊外の遺跡見学。まずは近いところから、漢代の万里の長城が2000年の風雪に耐えた姿で横たわり(左下写真)、周囲には狼煙のための燃料(藁の束のようなもの)が残っている。
漢長城遺跡玉門関(小方盤城)

右上写真と左下写真が玉門関(小方盤城)、関所跡。西域への出入口、その外側、西北方には疎勒河が望め、当時は水量も多かったそうです(右下写真)。

玉門関(関所跡)疎勒河を望む

次が河倉城(大方盤城)、武器の倉庫だったと言われている。
河倉城(大方盤城)河倉城(大方盤城)

最後に陽関、「西、陽関を出ずれば故人無からん」で有名な関所跡であるが、現在は荒涼とした砂漠が広がるのみ。
遺跡見学の後は、鳴沙山に向かう(右下写真他)。

陽関鳴沙山

鳴沙山の下、砂漠のオアシスとして月牙泉がある。三日月形の泉として有名です(下写真)。実際ラクダに乗っての観光もできる。鳴沙山に歩いて登る。簡単なオーバシューズを貸し出している(15元)。右下写真の目立つ赤い布袋。予定日は昨日の30日であったが、天気の関係で1日順延して、今日の好天日にセットしてくれた添乗員、現地ガイドさんの配慮がうれしい。そして、時刻も涼しくなる夕方がよい。今日は17時頃でした。

月牙泉鳴沙山の上からの月牙泉

2日朝、敦煌を去る日、朝食前、敦煌山荘3Fレストラン前から鳴沙山を眺める(左下写真)。ゆるやかに流れる日々を想う。9時30分発列車で、河西回廊沿いにシルクロードの終着駅・西安へ向かう。南に雪を頂く白い祁連山脈、北にゴビ砂漠が広がる。その中に、現代の象徴、風車と太陽光発電の行列にときどき出くわす。また、今年開通する新幹線の軌道が随所に並行して走る。ウルムチから西安まで今年開通するそうです。右下写真、19時50分、武威駅まで戻りました。まだ明るいです。どの駅も新しくなりました。現代中国の変わりようを随所で見ます。
敦煌山荘3F屋上よりの鳴沙山停車中の武威駅ホーム

明けて3日9時すぎ、西安駅に到着、ちょうど24時間の列車の旅でした。駅前はすごい人の上に、ウルムチテロの影響か銃を持った警備が厳しいです。最初に西安観光のハイライト、秦始皇兵馬俑博物館に向かいます。中国も1〜3日はゴールデンウイークの休日で、高速道路は普通車は無料と聞きました。高速道路は大渋滞です。

西安駅(バス駐車場から)秦始皇兵馬俑博物館1号坑玄関

博物館は1、2、3号坑、文物陳列庁とあるが、1号坑に約2000体の武装した兵馬俑が38列にわたって並び、中国を統一した秦軍の威容を現在に伝えている。

1号坑内部、整然と隊列を組む兵馬俑文物陳列庁の復元された兵馬俑

次に、大雁塔(慈恩寺)。玄奘三蔵法師が翻訳に取り組んだ場所として知られている唐代の仏教寺院。四角7層、高さ64mの塔が大雁塔で、塔に上ると、西安市内を一望することができる。
大雁塔(慈恩寺)前で大雁塔から西安市内を望む

夕食は有名な餃子店、徳発長で各種の餃子料理を楽しんだ。

餃子の有名店、徳発長餃子宴、各種の餃子

以上で、今回の旅は終わりとなり、4日、西安から上海経由で成田に戻った。

念願の河西回廊を行き、敦煌莫高窟の見学ができた。莫高窟は内容的には十分に理解できてないが、現地で見ることが一番重要なことです。細かな点は別にして全体的な内容から、この素晴らしい敦煌の仏教芸術と、同じく素晴らしかったラダック・ザンスカールのアルチ・ラマユルなどのチベット仏教芸術との違いがつかめたと思う。これが今回の最も勉強になった点だと思う。
次に行きたい場所を、シルクロードで言えば、ウズベキ・タジキスタン・パミール高原とワハンが残っているが、トルファンも再訪したい。



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