イラン最高峰ダマバンド(5671m)登頂

2014年7月1日〜9日の記録

3年前「ダマバンド登頂ツアー」に参加したが(ダマバンド登頂とペルシャ紀行参照)、天気不良で、かつ予備日のないツアーのため、アタックなしのイラン観光のみで帰国した。今回はそのリベンジです。よって、ツアーには参加せず、観光なしの登山のみの個人手配(アドベンチャーガイズ社手配)で行くことにした。

7月1日夜のエミレーツ航空で成田を発ち、ドバイ経由で、2日10時25分にテヘランの空港に着いた。ホテルへ直行し、昼食の後、現地手配会社、Cyrus Sahra Co.のオフィスを訪問し、余った時間は、イラン考古学博物館とゾロアスター教寺院(左下写真)を見学した。この観光には、社長の Cyrus Etemadi が同行して案内してくれた。

ゾロアスター教寺院の聖なる火Polourの町からダマバンドは見えない

7月3日(木)は車で登山基地になるレイネの町まで行く。ニッサンのPatrolの車に社長のEtemadiまで乗ってきた。一緒に登山するのか、最初は分からなかった。ガイドはユダヤ教徒の Salim 、ドライバーは兼ガイドの Ali 。天気は良くなく雨が降ってきた。国道から分かれる町、Polour で写真を撮れと言う、ここからダマバンドが見えるのか?(右上写真)。ダーバンドリゾートでの足慣らしハイキングは中止で、次に登山許可のためイラン登山協会へ向かう。Permit 50US$ と書かれた絵ハガキをいただく。左下写真の左が社長のEtemadi、右が登山協会の人。レイネの民宿風の宿、右下写真、今回のメンバーは昨年のボリビア、ペルーと同じく、島田さんと滝口さん。

イラン登山協会に挨拶レイネの宿、2000m

4日(金)、昨日から雨は断続的に降り、今朝は激しく降っているため、アタック小屋への移動は中止となった。天気予報をネットで調べると、6日(日)と7日(月)が良いとの情報を得た。昼前になって雨は止み、いろいろと思案している中で、とにかく登山口のゴスファンドサーラまで行こう、そしてアタック小屋へ行けない場合は、ゴスファンドサーラに泊まるという予定にない形になった。
ゴスファンドサーラに到着し、結局、上は雨か雪が降っているということで、ここに宿泊することになった。これは馴化の面では良い形になった。レイネが2000mで、ゴスファンドサーラが3000mであり、レイネでもう一泊するよりこの方が馴化に良い。

ゴスファンドサーラへの道路入り口
車はニッサンのPatrol
ゴスファンドサーラ到着、3000m

そして馴化のため120mほど登ってみたが、赤いケシの花が満開で素晴らしい景色で楽しませてくれる(左下写真)。今日は金曜日で、イスラム国のイランでは休日のため大勢の登山者が降りてくるが、だれも登頂できていないという、天気が悪い上に残雪も多い。西遊旅行のツアーが我々より1日早く入っているはずで、聞いてみると、明日下りてくるということでした。

赤いケシ(ポピー)の花が満開夕方天気回復、ダマバンドが見えてくる

5日(土)、天気は曇りに薄日がさす状況で悪くはないが、頂上付近は雲に覆われていて登頂はむつかしそうな雲です。ガイドは荷物の馬方への引渡しなどで後になり、Etemadiがトップで出発した。彼は昔はガイドをして100回以上ダマバンドに登っているというが、75才の今はいかがか?途中からEtemadiのスピードが落ちて、各自、自分のペースで登るようになる。小屋まで1時間以内になったところで、下山してくる西遊旅行のグループに出会った。天気不良と雪のため、4600mくらいまでしか行けなかったと言っていた。4時間でアタック小屋(昔の簡易な避難小屋からの呼び方でシェルターと呼んでいる)に私がトップで着いた(11時35分)。

ダマバンドとケシの花アタック小屋に到着、4200m

行動食を食べて後続を待っていると次に滝口さんが到着し、そのまま高所馴化のため登って行ったので、私も後を追う。アタック小屋の高度を4200mにセットし、第一コル(4460m)まで登って本日の馴化を終わりにした。第一コルではさすがに寒くなり、着いて写真を撮ってすぐに引き返す。小屋戻り13時30分、島田さんは20分ほど遅れた。3年前の報告では、アタック小屋の高度を4070mとしたが、今回は4200mとします。昼食のスープの後、ガイド二人はEtemadiを連れて、馴化に登って行った。

第一コルから上部を望む第一コル(4460m、タイマー撮影)

6日(日)、5時5分出発。前日の打合せの時、Salimにガイド2人は我々につくように言ったが、AliはEtemadiについて最後のスタート。今回の個人手配で我々は通常のガイド1名に対して、2名に増員して依頼していた。それは、3名のうちだれかがアタック時に遅れた時に、パーティを分けてその人をガイドできるようにするためであり、決してEtemadiをガイドするために雇ったわけではない。左下写真、第一コルで最初の休憩、昨日と同じく小屋から55分で着く。次の休憩でアイゼンを着ける(右下写真)。私は軽アイゼン、女性は10本爪アイゼン、ガイドは付けない(持ってきてないと思う)。

アタック日の第一コル(4460m、6:00)アイゼン着(4800m、7:15〜25)右:ガイドSalim

EtemadiとAliは大きく遅れ、見えない。右下写真、オーストリア人男性が我々についてくる。島田さんが遅れはじめる。

第二岩稜の取り付き、4950m、7:575050m、8:34

第二岩稜の取り付きで、Salimにあとどれ位かかるかと聞くと5時間くらいと、予想外に時間がかかるようなことを言う。Salimは携帯でAliに電話するためか、モメントと言っては何度も止まるようになる。止まるなと言って私がトップに出たりするが、雪があるところではガイドに前に行ってもらわないとルートがわからないし、Salimはもっとゆっくりと歩き、わざと遅らせようとしている感じ。私と滝口さんはこのペースを維持したい。

ダマバンド頂上を望む、10:20ダマバンド頂上、11:11

結局ちょうど6時間で頂上に着いた(11時5分)。第二岩稜の取り付きからは3時間だった。途中から噴煙による硫黄臭がきつく、呼吸も苦しいが、高度の影響はなく同じペースで来れた。ガイドのSalimは頂上で1時間座りこんでいた。出発前、ガイドは8時間ほどかかると言っていたが、我々はそこまではかからないだろうと思っていた。それでも次の登頂グループは下山時に会っているが、概ね8時位かかってそうで、通常8時間は残雪期のこの時期、間違いではなさそうです。

頂上の標識盤、5671mと表示頂上火口

島田さんが30分遅れで一人で頂上に着いた。この状況に備えてガイド2名にしていたのだが、残念です。12時ちょうどに下山を開始した。かなり下って、AliとEtemadiに会った。大きく遅れているためそこから下山したが、下山も大きく遅れた。登山中、Salimにクレームを、Etemadiにも会ったときに文句を言った。

ダマバンド登頂(5671m)噴煙を上げている

7日(月)、昨夜、Etemadiはガイド1名分の返金請求に同意した。朝食に行くと、Etemadiは仕事のために先に下山したとのことだった。2時間少々でゴスファンドサーラに下山した。馬が荷物を運んでくるのを待って、車でイラン登山協会まで走り、登頂の記帳をして、近くのレストランで昼食を摂った。そして、Polourの町外れのビューポイントからダマバンドを最後に眺めた。頂上付近は雲がかかっていて今日の登頂も微妙な感じです(右下写真)。

ゴスファンドサーラに下山Polourの町外れからダマバンドを望む

Lamb肉ヒレ肉

そして、テヘランに戻った。夕食はホテルのレストランで肉料理をいただいた。その後散歩に出て、近くの旧アメリカ大使館(1979年のアメリカ大使館人質事件の舞台となった)付近をうろついた。”Down with USA"の文字が今も残ってました。ラマザーン期間中であり、外での食事は控えたが、イランはそれほど厳格には守ってない感じがありありでした。
8日(火)、テヘラン発、ドバイ乗り換え、9日(水)成田17:25着で帰国。

ホテルで夕食旧アメリカ大使館

7月上旬はかなり残雪が残っているので、軽アイゼンは使った方が登りやすい。女性は12本など本格的なアイゼンが更に良さそうです。残雪のために登頂に要する時間がその分増える。この時期は通常のツアーなど8時間は見ておく必要がありそうです。富士山を二周りほど大きくしたような山で、富士山の5月下旬頃を想定すれば良いと思う。それもあり、事前の富士山トレーニングは有効です。問題は天気で、今回も雨、雨と続き、やっと最終日に照準を合わせてつかの間の好天をつかまえて登頂できました。西遊旅行ツアーは登れなかった。その他のすべてのグループが4日、5日など登れてません。そして、我々は雨天後の最初のパーティーでトレースをつける必要があった。ガイドがこれに疲れたのかどうか定かではないですが、残念ながら、ガイドのレベル、意識は高くない。我々がなぜガイドを2名にしたのかを理解してないし、当方に聞くこともなく、自分勝手にガイド2名で余裕がありそうなので、社長のEtemadiが登りにくるなど、顧客満足度の意識欠如、自分勝手な解釈がはなはだしい。ただし、社長のEtemadiには我々日本人を歓待しようという気持ちは人一倍強いことは理解しています。
何はともあれ、リベンジは成り、ケシの花が満開の残雪期のダマバンドを堪能しました。そしてまた、強力なメンバーに感謝します。



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