アンナプルナ・ダウラギリ・トレッキング

日程 :2015年3月20日〜3月29日までの9日間

アルパインツアーの「アンナプルナ・ダウラギリ・パノラマ・トレッキング9日間」に2人で申し込んだ。参加者は12名だった。カトマンズ、ポカラ泊の後、ガンドルン、タダパニ、ゴラパニ、タトパニ温泉泊の4日間の定番大人気コースと言われているトレッキングです。主に山の写真の報告とします。専属のコックが作る温かい日本食などは1枚を除き省略します。

3月22日、カトマンズからポカラへ飛ぶ。30人乗りほどの飛行機からヒマラヤの山々が望める(写真は28日復路を使用)。まず最初に大阪市大隊初登頂の白き名峰ランタンリルン、そしてガネッシュ山群から、1956年5月日本人初登頂8000m峰のマナスルへと西に飛ぶ。ポカラ着陸直前にアンナプルナ4峰と2峰が望める。
ランタンリルン(7246m)ガネッシュ山群(7406m)

マナスル(左、8163m)とピーク29(右、7871m)アンナプルナ4峰(左7525m)と2峰(7937m)

3月23日ガンドルン泊。24日朝、アンナプルナ・サウスが夜明けと共に現れる。右にはマチャプチャレも現れる。アンナプルナ・サウスは、1964年10月ちょうど東京オリンピックが行われている時に京都大学山岳部隊が初登頂した山である。
アンナプルナ・サウス(7219m)マチャプチャレ(6997m)

アンナプルナ・サウスをバックにトレッキング昼食の天ぷらうどん

3月25日、トレッキング中、シャクナゲが須晴らしかった。今年は昨年と比べても当たり年で、ちょうど満開でした。
タダパニの宿前で体操シャクナゲ満開

25日ゴラパニに泊まり、26日夜明け前に、好展望の丘、プーンヒルに登ります。25日ゴラパニ到着前から雨がかなり降りましたが、26日朝は素晴らしい天気に恵まれました。
アンナプルナ1峰は人類最初の8000m峰として知られ1950年にフランス隊が登った。
アンナプルナ1峰(左、8031m)とアンナプルナ・サウス(右、7219m)(AM:06.06)

ダウラギリは何回もの挑戦を経てついに1960年にスイス隊によって登られた。難攻不落の山であったとして知られている。
ダウラギリ(8167m)(AM:06.12)

プーンヒルの丘での全体集合写真(AM:06.44)

ダウラギリ(左)とツクチェ(右、6920m)(AM:08.36)

26日は夜明け前からのプーンヒル往復後、タトパニまで約7時間トレッキングの強行軍の1日でしたが、温泉で汗を流せ、疲労回復に繋がりました。
タトパニ温泉タトパニ温泉

27日、タトパニ温泉から悪路を車でベニへ。昼食後、車を乗り換えてポカラへ戻った。途中の峠からマチャプチャレなどが望めた。
マチャプチャレ(6997m)ポカラのフェワ湖

28日、カトマンズへ機中のヒマラヤ展望を楽しみ、その後、メンバーと離れ個人で白タクを手配して市内観光に出かけた。
パシュパティナートのガート(火葬場)火葬

パシュパティナートはネパール最大のヒンズー教寺院ですが、日本人には火葬場のある寺、そして観光客目当てのサドゥーとシバリンガが有名です。私は3回目の訪問でした。スワヤンブナートはネパール最古の仏教寺院と言われ、今日は何かお祭りなのか非常に人が多かった。仏教徒だけでなく、中にヒンズー教寺院がありヒンズー教徒も多かった。
パシュパティナートスワヤンブナート

ダルバール広場の観光後は、アサンチョーク、タメルチョークへと散策し、日本料理店の桃太郎に立ち寄った。そして、徒歩でホテルラディソンへ戻った。
ダルバール広場のカーラ・バイラヴタメル散策

アンナプルナ・サウスやダウラギリなどの山々を堪能した、好天に恵まれたトレッキングでした(午後雨は2〜3回降りましたが、午前の降雨はなかった)。登頂ツアーでないという物足りなさはありました。


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