パミール・ハイウェイとワハン渓谷(タジキスタン)

2015年8月5日〜8月17日、13日間の記録

西遊旅行のツアーに参加した。ワハンは以前から行きたかった所で、本当に行きたいのはアフガニスタン側のワハン回廊で、ここは現在入れない。ワハン回廊はシルクロード、天山南路の一部で、タクラマカン沙漠からバーミヤンへ抜ける道であった。7世紀に玄奘三蔵法師もインドからの帰路にワハン回廊を通っている。

今回の旅は、タジキスタンの首都ドゥシャンベから始まる。成田からトルコ航空、イスタンブール乗換えで8月6日にドゥシャンベ(800m)に着いた。イスタンブールまでが12時間40分、ドゥシャンベまでが4時間35分と南米へ行くのと同じくらい時間がかかり遠い。ドゥシャンベDusanbeは、ウイキペディアを読むとタジク語で「月曜日」の意味、元々はペルシャ語に由来し、とある。但し、ウイグル語も同じであるし、トルコ語も同じだと思う。中央アジアではタジキスタンのみがペルシャ語系の言葉を話し、他のウズベキスタン、キルギス、カザフスタンなどはみなトルコ語系の言葉と聞いている。
ドゥシャンベでは、午前中ホテルで休養の後、午後市内観光に出かけた(左下写真、ドゥシャンベのホテルのみまともなホテルで他は期待できない)。その目玉ポイントが明日行くアジナ・テパから出土した涅槃仏像のある古代民族博物館である。

ドゥシャンベのホテル涅槃仏像(古代民族博物館)

7日はドゥシャンベ郊外の観光で、午前がアジナ・テパの仏教寺院跡(左下写真)、ここから右上写真の涅槃仏像が発見された。身長約13mという大きな仏像である。44の部位に分けられ運ばれたという。午後は右下写真のヒッサール要塞、今慌ただしく観光化の整備が行われていた。ドゥシャンベ観光は非常に暑かった。

アジナ・テパヒッサール要塞

8日、今日はアフガニスタンとの国境の川沿いにあるカライクムまでの4WDでのドライブである。途中ダム湖を見下ろすドライブインでは大勢の子供達がいた(左下写真)。山々を横断してパンジ川に下りる。はじめて見た国境の川は幅広い大きな流れの川であった。右下写真は、その川沿いで現地ガイドのジャムシェッドさんと日本人添乗員古田さんとの写真。

カライクムへ移動中のドライブインでガイド・ジャムシェッドと古田さん

カライクムの宿は民宿風の宿で、トイレもシャワーも外にあり、宿の子供達も多かった。向かいにも民宿風の同じような宿があり、西洋人の姿があった。その間にパンジ川に注ぐ支流が流れていた。

カライクム宿の女の子カライクム、宿裏の流れと向かいの宿

9日は、パンジ川沿いを走り、ゴルノ・バタフシャン州の州都ホルグ(2070m)まで行く。パンジ川の対岸に、アフガニスタンの村々を眺めることができる。途中、水遊びのできる公園があり、女子学生も川で遊んでいた(右下写真)。

4WD車4台で川で遊ぶ女子学生

ホルグの宿(左下写真)は見た目は良かったが、翌朝、ダニ除けスプレーを撒いたにもかかわらず何ヶ所もダニに噛まれていた。ホテルの前庭には、いろんな種類の花が、咲き誇っていた。

ホルグの宿ホルグの宿には花がいっぱい

10日、今日の午後からワハン回廊に入る。その前に温泉がある。パンジ川の流れは、怒涛のように流れていたのが、ほどほどの流れになった(左下写真)。温泉はガラム・チャシュマ温泉という(右下写真)。

パンジ川の流れガラム・チャシュマ温泉全景

湯船は一つで男女入れ替え制とのことだが、我々男性が入った時には大勢の客でにぎわっていた。日本で言う湯治客もいた。温泉は岩の上からほとぼり出て(右下写真)、流れて左下写真のプール状の湯船に落下する。ごらんのような色がついている。我々のグループは男女4名づつであり、あの大勢の男性客を時間ですよと言って追い出し、女性タイムとなった。

ガラム・チャシュマ温泉ガラム・チャシュマ温泉の源泉

イシュカシュムという村からワハン回廊(*)に入るが、ここで車は南から東に向きを変える、川は西から北に向きを変える場所である。対岸にもアフガンのイシュカシュム村があり、土曜日にはバザールが開かれビザなしで行けるそうである。
昼食後、カライ・カハカ遺跡を訪問した後の最初の谷がガジデー氷河がある谷です(左下写真)。この奥にアフガニスタン最高峰で京都大学学士山岳会が1960年8月に初登頂したノシャック峰(7492m)があるのだが、ガスっていて何も見えない。アフガン側の対岸をキャラバンし、この谷を登って行ったことに思いをはせるだけである。
(*)ワハン回廊とは、アグガニスタンの北東部に東西に細長く伸びた回廊地帯です。細い部分の南北の幅15〜60km、東西約200kmにわたり、北はタジキスタン、東は中国、南はヒンズークシュ山脈を境界としてパキスタンの3ヶ国と接している。

ガジデー氷河の谷を望む参加者1

今日の宿はヤン村(2700m)、夕食時参加者のスナップ写真を撮った。男女4名づつの参加 、お盆の会社勤めの人が夏季休暇をとりやすい時期だったので比較的若い人が多かった。団塊の世代が4名ほどいて、私が最高令か?と思われた(推測)。

参加者2参加者3

11日朝、ヤン村からはヒンズークシュ山脈の山々が望める。地図はあるが詳細な地図でなく、残念ながら山脈上の位置関係がはっきりせず山名が特定できない(左下写真)。ヤン村から北側のワハン山脈の方に登っていくと、ヤムチュン砦がある(右下写真)。

ヤン村から望むヒンズークシュの山々ヤムチュン砦外観

ヤムチュン砦から更に登ると今回の旅で2つ目の温泉、ビビ・ファティマの岩風呂がある。ガラム・チャシュマ温泉は露天風呂で湯船1つであったが、こちらは岩風呂の内風呂で沢沿いの建物の中に湯船が2つあり、男女入れ替え制となっていた。標高は3100mを越えており、日本で考えてみればアルプスの最高所の温泉となる。

ビビ・ファティマ温泉外観ビビ・ファティマ岩風呂

ヒンズークシュ山脈にはノシャックの他にも7000m峰があるが、ここで見えているのはルンコー山群(最高峰ルンコー6902m)の6000m峰と思われる。

ヒンズークシュの山々ヒンズークシュの山々

ヒンズークシュの山々民族舞踊

ヤン村に戻って、小さな博物館では、楽器の説明、演奏の後、民族舞踊が始まった。小さな子供達が上手に踊っていた。最後は皆さん参加しての楽しいひとときとなった。

民族舞踊ワハン川合流部を指で指す

昼食の後、パミール川とワハン川の合流する町ランガールへ向う。右上写真は、ワハン川合流部を手前の小さな丘から眺めたところで、左がパミール川、右からワハン川が合流する、その間の山はワハン山脈です。ワハン川のエリアはアフガン側にあり行けない。左下写真では、合流部をできるだけ近くまで行こうと道なき道を小さな流れを越して4WD車で行けるところまで入ったところです。前の川はパミール川の一部で、望む方向がワハン渓谷です。ワハン川をつめるとワフジール峠を経て中国新彊ウイグルのタシュクルガンに抜けられる。玄奘が通った道です。
この後、ランガールの村に入り、岩絵を見学の後、本日の宿舎に落ち着いた(右下写真)。宿は満室で先に予約なしで来たグループが予約者の我々の部屋に入ったとかで、部屋が決まるのにだいぶ時間がかかった。我々2名の部屋は家族が寝泊りしている台所隣の部屋だった(2810m)。

ワハン合流部でランガールの民家風ゲストハウス

12日、今日はワハン回廊のタジク族の世界から、パミール高原のキルギス族の世界へと移り変わる一日です。ランガールからパミール川を登っていくと、ワハン山脈の雪を被った2つの峰々が見えてくる(左下写真)。ワハン山脈の山には、広島大学医学部山岳会がパキスタン側からアプローチして登った山があり、それではないかと推測しながら進む(1971年にコーイ・ハーン(6020m)に初登頂している。もう一つはコーイー・パミール(6286m)。平位剛著2003年12月発行「禁断のアフガニスタン・パミール紀行」参照)。
更に登るとワハンの白い山は見えなくなり、ヒンズークシュ山脈の山々が見納めとなる(右下写真)。

ワハン山脈の2つの山ヒンズークシュの山々

狭い道に車体の長いトレーラがよく通り、トレーラが横転して、渋滞しているいる場所があった(左下写真)。そして、ハルゴシュ峠(右下写真、4344m)を越えればパミール高原に入り、まもなくホルグからムルカブ経由オシュまで続くパミール・ハイウェイに合流する。

トレーラが転落しているハルゴシュ峠(4344m)

そして、左に向うと、まずツヅクル塩湖があり、次にブルンクル湖、ヤシルクル湖と湖が連続してあり、標高は3700m〜3800mある。ここで一番大きいのはヤシルクル湖で、ヤシルは「緑」、クルは「湖」を意味する。

ヤシルクル湖(3730m)ブルンクル湖

湖の見学後は、パミール・ハイウェイを通り、アリチュールからムルカブまで走る。ムルカブ着は18時40分だった。ホテル(左下写真)は今までの民宿風と違い一応ホテルと呼べるレベルだった(3560m)。ここで日本からの3人組男性(元々、単独者達、ビシュケクかオシュで一緒になった様子)に出会った。こんなところで日本人の団体と、3人組の方が驚いていた。我々とはほぼ逆コースを行くようです。

ムルカブのホテル井戸

13日は終日ムルカブ周辺の観光です。まず町の散策、井戸がたくさんあります。日本の援助で掘られた井戸が多いです。そしてモスク訪問、バザール見学が午前中。

民家の住民モスク訪問

午後からは郊外に残る壁画見学に出かけますが、2時間で行ける予定が3時間もかかった。先週までの雨で道路が崩壊して迂回せざるを得ない場所(右下写真)が数多くあり時間がかかった。我々の今回の旅行中雨は一滴も降らなかったが、降った時には洪水になることが懸念されます。そして見えた壁画はたいしたものでなく、元々分かってたのですが、ただのドライブ、道路状況の視察という感じでした。

コンテナの青空バザール道路崩壊による迂回

この後、トルコ風呂へ行く予定があった。それに間に合うかが心配でしたが、間に合った。町中のトルコ風風呂とかに行き汗を流してきた。その途中にムスターグアタが見えた(右下写真、7546m)。電線に挟まれた写真になったのが残念です。この町から中国の国境までが近いと実感する。

壁画は平凡ムスターク・アタを望む

14日、今日はキルギスのサリタシュまで走破する、約240km。まず最初に越えるのが、パミール・ハイウェイ最高地点のアク・バイタル峠(4655m)です。アクは「白」、バイタルは「雌の馬」の意味。

アク・バイタル峠(4655m)アク・バイタル峠(4655m)

峠から1時間で、カラクリ湖(3923m)に着く。カラはご存知の方も多いと思いますが、「黒」の意味です。カラコルムなどよく出てきます。隕石衝突によるクレータの中にある湖とされ、湖から流れ出る川はない。大きな湖で直径25kmもある。
カラクリ湖畔の民家風の宿で昼食です。昼食には日本から持参し調理したお寿司が出ました。今までも数多く日本食が副食としてだされ助かりました。

カラクリ湖(3923m)カラクリ湖畔の民家風の宿

午後2時半に国境にあるギジル・アート峠(4282m)に着く(左下写真)。ギジルは「赤」、アートは「高いhigh」です。タジキスタン側の出国審査は簡単に済むが、キルギス側の入国審査はかなり厳しい。それでも何事もなく通過して、峠から下って本日の宿、サリタシュに着いた。サリは「最初の」、タシュは「石」、このタシュもよく出てくる。タシケント、タシュクルガンなど。私はこれら言葉をすべて「ウイグル語」として認識しているので、キルギス、タジキスタンのパミールでは同じ言葉を使っていることになります。これをトルコ語系の言葉として捉えています。

国境、ギジル・アート峠サリタシュの宿

ギジル・アート峠から下ってくるときに、左後ろ、右後ろに山々が望めるようになり、その中にレーニン峰(7134m)も望めていたが、宿に着いてガイドに聞き確認した(右下写真)。キルギス、タジキスタンの第二の高峰になります。タジキスタンの最高峰は、昔、スターリン峰、コミュニズム峰と呼ばれ、今はイスモイル・ソモニ峰(7495m)と呼ばれています。どちらにしても覚えにくい名前です。

サリタシュのユルト夕陽のレーニン峰

15日の朝も、レーニン峰が美しく望めた。こんなにきれいに見える日は少ないとのことでした。

レーニン峰

レーニン峰を含むキルギスとタジキスタンの国境になっている山々はトランス・アライ山脈と呼ばれている。下写真でレーニン峰は右よりの高い山です。

トランス・アライ山脈の全景

15日は、キルギス第2の都市オシュへ向う。タルディック峠(3589m)を越え、ユルタ訪問を済ませて、オシュに12時頃に着き、昼食後の観光は世界遺産になっているスレイマン山です。大勢の観光客がいて、山の洞窟中にある博物館を見学し、テラスからオシュの町を眺めた。。

スレイマン山スレイマン山からオシュの町を望む

16日は早朝5時25分のトルコ航空でイスタンブール経由、成田へ向う。行きと同様に長いフライトです。成田着は、17日(月)の朝7時20分、定刻通りだった。日本は久しぶりの雨で、最高気温予想が30℃に満たないといううれしい日であった。

中央アジアのパミール高原、タジキスタンは最も行きにくい場所の一つであろう。パミールとは、ペルシャ語で「世界の屋根」を意味すると案内本に書かれていますが、高原と呼んでいるのは日本だけだそうで、平均標高は5000mを超え、最高峰は前述の7495mであり、それらの景色は素晴らしいものです。アフガニスタンに入れない現状では、ワハン回廊はタジキスタン側から眺めることで了とするしかない。今回通過したエリアでも、外務省の渡航情報では「渡航の延期をお勧めします」の地域に該当する。車に乗ってのドライブばかりで歩くことが少ないのが少々残念でしたが、このエリアでは仕方がないのでしょう。


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