アンナプルナサーキット、トロンパス越え2016年4月26日〜5月7日、12日間の記録 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西遊旅行の「アンナプルナサーキット、トロンパス越え、4月25日発」に申し込んでいたが、5月連休なのに参加者が少なく、当初の申し込み(仮予約含む)3〜4名のところが、最終的には2人になった。2人なら同年配の人となら逆に個人ツアーにしてうまくいくのではと思い、2人ツアーをリクエストした。すぐに返事が来て、OKですとのこと、ただし、フライトの関係で、4月26日発の12日間で出発となった。
飛行機は大韓航空でソウル乗り換え、同伴の人は大阪発なので、ソウル・インチョン空港での乗り換え時に西遊のタグを見つけて軽く挨拶をした。26日夕方にはカトマンズに着き、西遊/サンダさんの出迎えをうけた。 27日は、乗用車でベシサハールまで走り、四駆への乗り換え、昼食をとり、予定のジャガットをすぎたチャムチェ(1400m)のロッジに夕方5時頃に着いた。
28日からトレッキング開始、ダラパニを越えてダナキューまで行く予定で出発。ジープ道とは別の川沿いのサーキット道を行く。マルシャンディー川はこの付近では堂々たる流れで、広い河原では右上写真、急流では左下写真の流れです。マナスル方面への分岐になるダラパニに最初のチェックポストがあった。右下写真、現地ガイドのギャンさんと一緒です。
28日は予定通りダナキュ−(2190m)に午後2時前に着き、ロッジ泊となった。ロッジには他に宿泊者もなく、さびしい感じです。ジープ道は時々車が通り登山者を乗せている時もある。ジープ道でマナンまで行けるそうで、明日はこの道を歩いてチャーメまでただ歩くのかと思うと、早く雪山を眺めたいという気持ちが車をチャータしてピサンまで行き、1日日程を短縮しようという考えに至った。電話で交渉してもらい車が可能とわかり、一人80US$での車手配となった。
29日、チャメから来た車に乗り、7時前にロッジを出発。2400mまで登ったチマン村からは雪山が顔を出した。早くも10時前にピサン村(3200m)に着いた。ピサン村で3000mを越えた。対面にピサンピークが見えるが昼光で写真にならない。少し遠いが西方にChuluチュルEast峰が見える。
昼食の後、Upper Pisangにあるピサンゴンパ(3350m)に出かける。
ゴンパまで出かけると、アンナプルナU峰が見えるとのことであるが、写真(左下)を撮ったが、後から判断するとこれは前衛峰で、本当のピークは写ってないと思う。 30日、マナンまで5時間のトレッキングの日だが、昼までにマナンに着くつもりで出かける。中間のフムデに9時半頃に着く。お茶休憩の後、ここにもチェックポストがあり立ち寄る。
ちょうど12時に車道の終点のマナンに着く(3540m)。携帯の電波塔が2つ立っている。マナンはこの付近の中心地でここで2泊する人も多いそうだ。午後、近くのストーパへ高所順応に出かける(100mアップ)。下写真はどちらも1日朝の撮影です。宿泊したティリチョホテルには、ベーカリーがあって、美味しいケーキパンをいただいた。
1日朝、ロッジからは周囲の山々が良く見える。さすがにアンアプルナサーキットの一等地である。今日もありがたいことに好天である。アンナプルナU峰とW峰のラインが美しい。
アンナプルナV峰もよく見える。歩き出して振り返ると、右下写真のようにアンナVとガンガプルナが1枚の写真に納まる。今日は陽が照り暖かい。
アンナU峰とW峰、ここからもまだまだ美しいラインが続く。Ghusangをすぎ、Ghyanchangの谷まで来ると突然、Chuluチュル峰のギザギザの姿が目に入る。チュル,West,Central,East(左から)である。
ヤクカルカ(4050m)には11時前に着いた。まだもっと登れそうだが今日はここまで、4000mを越えた。昼食後、Ledarの近くまで(4200m)散歩しながら登ってきた。ヤクカルカでは、我々と同年配もしくは少し上の二人連れ日本人男性に出会った。ネパールの常連さんでゆっくりとトレッキングを楽しまれているようだった。またロシアからの若い二人連れの女性にも出会った。髪を洗ったり、洗濯したり、ヤクにえさを与えたりと行動的だった。
2日、7時前に出発し、トロン・フェディ(4450m)に10時前に着いた。お茶を飲んだ後、ハイキャンプに向う。最初の予定宿泊地はトロン・フェディであったが、余りにも近いのでハイキャンプ泊となった(4800m)。ここでも昼食後、100mほど散歩がてら馴化に登ってきた。この高度まで登ると、午後は曇り空となり少し寒さを感じる。ハイキャンプでは、単独の日本人若者に出会った。入社4〜5年目の若さで、英語がうまく、フランス人カップル、オランダ人カップル、ロシア、アメリカ人などと会話が弾んでいた。このハイキャンプでやっと山小屋という感じを味わった。
3日、フェディ発なら4時出発との話であったが、ハイキャンプでは5時半が出発予定時刻とされた。他のパーティが早めの5時頃に出発するので、我々は最後の方となったが、5時20分の出発となった。緩い傾斜道であり、ゆっくりと歩けばそのうちに着くというイメージで、結果は7時25分にトロンパス(5416m)に着いた。ゆっくりと歩いて約2時間である。先の到着者が大勢いて、皆写真撮影に忙しい。左にトロンピーク(6144m)、右にYakwakang(6482m)が目に入る。我々も記念写真を撮る。
右下写真、中央が同伴者の武田さん、右端がガイドのギャンさん、左の二人はポータです。天気は快晴で、今日まで続いている。
ムクチナートへの下山が長かった。5416mから3760mまで1650m下る。休憩を含み約4時間かかった。富士山の下山に慣れていれば問題はないが。降りたところが聖地ヒンドゥー教寺院ムクティナラヤンである。
小さな寺院であるが、4〜6月は巡礼の季節でインドからのヒンドゥー教徒が多い。108の蛇口からの聖水を飲むことにより罪業消滅の功徳があるそうである。右写真では、まず体を清めている。ムクチナートには、チベット仏教寺院ジョラムキゴンパもあり、やはり聖地として参拝者が多い。
3日はムクチナートに宿泊した。路上には粗末なお土産屋がある。夕方は涼しい。 4日はジョムソンへ下る、車1台チャータして。桃源郷のような村と形容されるカクベニ村を下に望み、ジョムソン本村で車を降りて、徒歩で橋を渡ってジョムソン飛行場のある村の中心地に着く。銀行、航空代理店が軒を並べている。飛行場がよく見えるロッジに入る。9時半頃とまだ早い、ちょうどポカラから飛行機が飛んできて、また飛びたった。明日はこの飛行機に乗るのだが、飛ぶかどうか。
午前中に、河口慧海記念館のあるマルファへ出かける。車代は一人15US$。マルファはリンゴ果樹園が多い。これも日本人NGOの成果と案内本に書かれている。
マルファ村はこの街道随一の美しい村といわれていて、トレッカ−の宿も多い。屋根の上には薪が載せられている。河口慧海が滞在したのは1899年だから、この建物は200年くらい経つのだろうか?
5日、曇り空、微妙な天気と言われ、6時25分のフライトであり早朝から待っていたが、結局10時前には欠航が決まった。即、ポカラへのチャータ車での移動、最初から言われていたが、一人267US$の出費となった。途中のベニからクスマ付近ではかなりの雨に見舞われた。それでも、夕方18時半頃にポカラのバラヒホテルに着き、夕食の後、ゆっくりと町を散策し、お土産などを買うことができた。乗り合いの安い車では、狭い座席の上に22〜23時の到着となったそうである。
6日、ホテルの屋上から山が見える、アンナプルナサウスだ、しかしながら、やっと見えるという程度で、昨年近くから見た自分にとっては驚くこともないのだが、一生懸命に写真を撮っている人もいた(左下写真)。ポカラからの飛行機は左前の座席を取り、山々を眺めた。まずアンナプルナ山群が目に入り、その後、マナスルが登場する。鋭い姿がよく見えた。
カトマンズでは、ラジソンホテルで荷物整理を行なって、町に出かける。ダルバール・マルグではジャカランタの花が満開に咲き誇っていた。
昼食はサンセットビューホテルのヒマラヤそば処のそばセット料理を堪能した(写真は食事途中からの撮影)。午後は、震災1年後の様子をパタンとボダナートで確認した。
震災避難者のテント村も訪れた。まだ何も進んでいない様子がうかがえた。ボダナートでは、ストゥーパの四方を見据える目玉が修復中であった。工期はいつまでかかるかはわからないという答えだった。レンガ1個1個をすべて人力で上げている様子を見ていると、確かにいつ終わるとも知れないと感じた。左下写真、カトマンズ現地ガイドのサンダさんです。
6日20時30分発、KE-696でソウルへ、乗り換えて7日、11時35分の成田着だった。待ち時間も少なく、スムーズなフライトだった。 感想 1,このルートは現在マナンまで車道ができており、マナンまで4日間トレッキングするという今のツアー形式は見直されるであろう。チャムチェやダナキュ−などほとんど宿泊客がいない状況になっている。車で通過する人が多い。車を一部使用し2日ほどの短縮日程が良さそうに思えた。それもチャムチェやダナキュ−に宿泊したからこそ言えることであり、今回は機能的に一部車使用に変更できて良かったと思う。 2.アンナプルナをU峰、W峰、V峰、チュルとじっくりと見たいという目的は、天候に恵まれてかなえられた。本当に我々の日程に合わせて快晴が4〜5日間続いた。 3.西遊旅行は、知らない同士の2人ツアー形式を心よく対応していただき、震災1年後のネパールを見たいという希望もかなえられた。今後もこの形式は検討に値する。 4.個人的には、ピーク登頂でなく峠越えは5000m超とはいえ今ひとつ物足りないものがあるが、八分目が何事も良い、というのが今の心境です。富士山昨年10回登頂もあり、馴化に関しては、何の問題もなく対応できた。 |