雲南・梅里雪山から川蔵南路、チベット・ラサへの旅

2017年5月28日~6月9日、13日間の記録

はじめて「カワカブ会(*最終注記参照)」のツアーに参加した。「梅里雪山からラサへ~茶馬古道の旅・第3部」が与えられた正式な名称であるが、私の目的は、
①雲南省からなかなか入域許可の出ない川蔵南路に入りチベット自治区ラサまでを踏破すること(横断山脈の横断)
②その間に見られる雪山を望み、中村保さんの「最後の辺境 チベットのアルプス」他3冊に書かれている山々、特に崗日嘎布(カンリガルポ)山群と念青唐古拉(ネンチェンタングラ)山群の6000m峰を、その付属地図で確認することと
③旧ソ連製10万及び20万分の1地形図で全ルートと付近の地形を確認すること、であった。
参加者は16名の満員札止め、キャンセル待ちもでたほどの人気、男女8名ずつ、昭和22年~27年生まれが14名というまさしく団塊の世代とその妹弟たちのツアーで、リーダの小林さんが20歳ほど若い。

5月28日、成田発南京乗り換え混明まで中国東方航空であったが、サービス、食事が最低であった。国際線も国内線もまったく同じ、ライスとヌードルの選択であるが、まずくてあまり食べたくないという感じ、アルコール類もなし、今後この航空会社は避けた方がよさそうです。

29日、早朝に香格里拉(シャングリラ)空港まで飛び、ここからバス旅が始まる。金砂江(長江)を渡り、奔子欄(ベンツーラン)で昼食、ここでやっと食事にありつけたという感じだった。白馬雪山を新しいトンネルで越えて、15時頃、徳欽(デチェン、3280m)に着き、散歩する。この町は梅里雪山観光、巡礼、及び茶馬古道、チベットへの起点であり、古い街並みが残る。

<地図1.香格里拉(シャングリラ)から徳欽、塩井、マルカム(芒康)まで>

徳欽の広場徳欽の旧市街、古い家

飛来寺からは天気が良ければ梅里雪山が見えるはずであるが、曇りで見えない。前回来た時に十分堪能したので(梅里雪山・内院ハイクと玉龍雪山の麓・麗江参照)、また今回は午後遅いし見える確率は低いと思っていたので、それほど残念という気にはならなかった。
瀾滄江(メコン川)にたどり着き、渡って、梅里水で茶馬古道の古い巡礼道を見学、2016年4月に新しい碑が設置されている(右下写真)。
飛来寺から梅里雪山は見えず梅里水の茶馬古道の碑

佛山の招待所(ホテル)には午後6時頃に着いた(2400m)。ホテルの裏にはメコン川が流れている。翌朝、川辺におりて手を水に浸したが、この時小雨が降っていた。
梅里水、茶馬古道の入口佛山の招待所(ホテル)

30日、雲南省徳欽県とチベット自治区芒康県の省境の位置は塩井(エンジン)の町の7kmほど手前の小さな村近くにありぽつんと門があるだけで(位置は地図1参照)、車ではあっという間に通過する。塩井の町に公安警察の検問所(西蔵塩井検査站)がある。ここでパスポートチェックを受ける(9:30)。問題は入域許可証で何やらトラブッテいる。近年外国人には許可が出ない状況が続いていたので久しぶりの入域許可です。我々には正確なことはわからないが、塩井内の移動はとりあえず許され(11:30)、教会を見学した(左下写真)。昼食後、続いて、今回の観光では目玉の一つである塩井の塩田に出かける。
教会塩井、塩田の全景とメコン川

車で下って、塩田に近づくと最初に左下写真を見た。何だこれは?と死んだような段々塩田を見て、先に説明を受けてないものだから、ほんとうに驚いた。左岸はもう使われてない塩田跡というべきもの、右岸(右下写真)が現在も使用されている塩田です。
使用されてない左岸の塩田使用されている右岸の塩田

段々畑のような塩田の構造は左下写真のようになっている。木の柱で支えてその上に塩田が乗っている。
二階構造の塩田塩水を運ぶ桶

塩田の源は、右下写真の塩泉井戸で、川のそばに塩を含む温泉が湧いている。触ってみると熱い、40℃以上の熱湯です。その温泉水を昔は若い娘さんたちが右上写真の円柱形の桶に汲んで最初の塩田池(左上写真の下の池)まで運び、冷やしてから所定の塩田に再度運んでいた。今は簡易なポンプ装置で上げている。左下写真のように井戸の上には石の塔があり洪水や増水時には塩泉を封鎖し、源泉を守る構造になっている。塩田を所有する姉妹の実演を交えた説明でよく理解できた。そして我々は帰りに食用塩を購入しお土産を得た。500g、10元は安いと多量に買う人もいた。
井戸の入口と上部塩泉井戸の内部

入域許可証の問題は、入域許可証が出発直前のメール添付で入手したコピーだったためで、何回かの検問所通過後、結局チャムド(昌都)まで実物を取りに行くことで解決することとなった。明後日6月1日に荷物車(ワゴン車で、荷物運びと連絡、不時に備え予備の車を手配してあった)で早朝4時出発で取りに出かけることで1件落着した。

31日、塩井の招待所を出発し、徐々にメコン川からはなれ、紅拉山(4220m)の峠を目指して登っていくが、小雨もようとなり対岸に見える可能性のある大米勇(ダムヨン、6324m)はまったく見えそうになくあきらめる。途中標高4000mほどの景色の良い場所でトイレ休憩となった。シャクナゲがきれいに咲いていた(右下写真)。
塩井の招待所シャクナゲ

紅拉山(ホンランシャン)ではやはりガスッていて雲の中、小雨が降っていた(左下写真)。ここでの標高の標示は4446mと書かれていた。マルカム(芒康)の手前に映画「ラサへの歩き方」の舞台となった普拉(ブラ)村がある。この村の入り口で停車して、橋を渡り普拉村に向かう。

紅拉山(ホンランシャン,4446m)普拉(ブラ)村入口の橋

たずね歩いて、ついに映画の登場人物に出会う(左下写真)。映画を見ていないので詳しくはわからないが、右の女性がその人とのこと。そして、移動して成都から来る川蔵南路に出会うマルカム(芒康、3880m)で昼食となった(右下写真)。
右の女性が映画の登場人物マルカム(芒康)の食堂

昼食後、拉鳥山(ラウーシャン、4376m)を越えて、一度別れたメコン川に再び降り立つ。塩井塩田の上流になる、そして、メコン川を渡る。この町がドウカ(竹卡、2700m)とよばれる町で、検問所もあり、近年招待所が増えてきたといわれる。マルカムなど4000mに近い町に泊まるより、2700mの方が過ごしよいためと思われる。

<地図2.マルカム(芒康)から左貢、八宿、左貢、波密(ポミ)まで>

拉鳥山(ラウーシャ、4376m)ドウカ(竹卡)でメコン川を渡る

続いて3つ目の峠、ジュバラに着く。ここからは南に動日戛波(ドウンリガルポ,6090m)が晴れているならば見えるはずであるが、雲に覆われ見えない。そして、メコン川の支流に降り、支流をあえぎ登ると4番目の峠で本日及び今回の旅の最高所となる、東達拉(ドウンダラ)に到着する。すでに18時30分、道路標示版の表示は5130mとなっている。
まさしく横断山脈を横断しているという感覚だ。
脚巴山峠(ジュバラ,3908m,3960m)から
動日戛波(ドウンリガルポ,6090m)は見えない
東達拉(ドウンダラ,5008m,5130m)

急いで下って、本日の宿泊場所である左貢(ゾゴン、3900m)に19時30分頃に着く。まず検問所があり、そこに下図の川蔵南路海抜図があったので、写真に収めた。横断山脈横断の様子がうかがえる。川蔵南路は国道318号線であり、上海からラサまで通じ、さらにシガツエから先に伸びている。シガツエの先には、上海から5000kmの記念碑が設置されている(2009年のチョーオユー登頂記参照)。
ゾゴンの町は、サルウイン川(怒江)の支流、玉曲(ウイチュ)沿いに発展し、ホテルも立派な大きな建物です(右下写真)。
左貢の検問所前の川蔵南路海抜図左貢(ゾゴン)の宿(翌朝撮影)

6月1日、左貢(ゾゴン)から近くの村のゴンパに立ち寄った後、邦達(ボムダ)まで走る。ボムダには昼前に着く、かなり大きな町だ。
邦達(ボムダ)の広場ボムダの町

昼食後、ボムダ出身、現在日本在住で、旅行前に「故郷チベットを見つめて」の題で東チベット・ボムダの話を聞いたロディ・ギャツオさんのお兄さんの家を訪問する。
ロディ・ギャツオさんの義兄、ソナム・イェシさん宅で、中央の二人がご夫妻、右はリーダの小林さん

ボムダを14時40分頃に出て、15時には峠の並拉山(イエラ、4658m)に着いた。ここの下りは、72曲りヘアピンカーブを通過してサルウイン川(怒江)の本流にたどり着く。2900mまで約1800mのくだりです。
並拉山(イエラ、4658m)72曲展望台からの景色

サルウイン川本流は水量多く、濁流が流れている。今度は支流の冷川を上る。八宿(パシュ)に18時頃に着いた。公安の検問所がある。今日の宿泊先はまだ3時間ほど先の然鳥(ラウー)だが、ここでハプニングあり。若いが偉そうな検査官が、然鳥には外国人の泊まれる宿泊所はない、ここに泊まりなさいとの指示を出す。そして指定された宿泊所が右下写真の「八宿怒江云大酒店」である。立派なホテルであるが、想定外。でも時間的には、ここが正解でした(3400m)。
車窓からサルウイン川(怒江)本流を望む八宿のホテル

2日、2時間半ほど登って、安久拉山(アンジュラ、4475m)に着く。ここでサルウイン川と別れ、ヤルツアンポ川の支流のパルンツアンポ(帕隆蔵布)川の流域に入る。進行方向の南方向にはカンリガルポ(崗日嘎布)山群の一部が望めるはずであるが、今日も雲が多く上部は雲に覆われている(右下写真)。予定通りなら今朝行く予定の拉古(ラグー)村からの拉古氷河とその後ろにそびえる雪山も天候不良で見えないであろうから、遅着したこともあきらめがつく。
安久拉山(アンジュラ、4475m)カンリガルポ山群方面を望む

10時50分に然密(ラウー)の検問所に着く。ここは所期の宿泊場所だった。景色の良いところで、ホテルの建設ラッシュである。その先で車を停めて、然密湖(3900m)でくつろぐ。然密湖は二つに分かれているが、自然のせき止め湖である。右下写真は、今回の旅のスタッフで、中央がチベット側ガイドのギャンツエンさん、その右が現地旅行会社、四川大地探検有限公司のガイド、潘(パン)さん、両サイドは運転手。
然密(ラウー)湖然密湖で、ガイド、運転手

然密湖から少し走ったところに、今観光地として売り出し中の米堆(ミドイ)氷河がある。昼食後、バスで少し入った登山口から歩くこと30分ほどで展望台に着く。
米堆(ミドイ)氷河の石の標識米堆湖とバックの雪山

目の前に米堆湖?池?、その後ろにゲムソング(Gemsong,6450m)が見えるはずであるが残念ながら雲の中、見えない。晴れた時のゲムソングの姿が写真で見れるようになっており、晴れた時の雄姿を想像する。

<旧ソ連製地図(20万分の1)、米堆(ミドイ、Midui)氷河とゲムソング(Gemsong,6450m)>

ゲムソング(6450m)が見えるのだが晴れた時のゲムソング(写真)

15時頃バスに戻り、一路、波密(ポミ)を目指して走るが、17時頃、道路工事で車はストップする。アスファルト舗装工事を見学したりしながら待つ。2時間ほど待たされやっと出発し、20時前に波密(2800m)に着いた、お疲れ様でした。宿泊所は予定変更があり、山河賓館となった。
アスファルト舗装工事で道路通行止め波密(ポミ)の宿泊所(ホテル)

3日、波密(ポミ)の市場を見学した後、近くのゴンパを見学する。ドドン(多東)ゴンパ、ニンマ派とのこと。写真可能だったので、2枚掲載します。
ドドンゴンパ内部の仏像ドドンゴンパ、釈迦牟尼

午後は、念青唐古拉(ネンチェンタングラ)山群の6000m峰の見られるボトイ・ツアンポ(波堆蔵布)方面(地図3では、カルタからチュムド方向)に入る(ただし雪山の見学はむつかしい)との話で、少しは期待して旧ソ連製10万分の1地図をずっと見ていたが、最初北方向に入ったが、すぐに西方向に向かったようで、結果的にはボトイ・ツアンポではなく、カルタの西に位置する観光開発の湖で、ギャラン(嘎朗,Galang Lake)湖だった。風光明媚な場所で、古代の不思議なGalang Palaceのあった場所と説明書に書かれている。あいにくの雨で、その位置を確認し、下の写真を撮った程度に終わった。

<地図3.波密(ポミ)から林芝、八松措(パソンツオー)まで>

<旧ソ連製地図(10万分の1)、ギャラン(嘎朗,Galang Lake)湖付近>

ギャラン(嘎朗,Galang Lake)湖ギャラン湖の案内版

ギャラン湖の後は、まっすぐに通麦(タンメ、トンマイ)に着いた(2200m)。めずらしく早い到着だった(16:30)。VIPの車列の通過があり、道路が短時間だが通行止めとなった。宿舎は今までのホテル風でなく、はじめて招待所らしい宿だった。通麦までパルンツアンポ(帕隆蔵布)川を下ってきて、今までで一番低い2200mまで下った。
ここで同じく支流のイオンツアンポ(易貢蔵布)川と合流する。最初の予定にあったイオンツアンポ川沿いに旧街道を入って行く(ネンチェンタングラ山群の山々が望める?)というプランはなくなった。
通麦(タンメ、トンマイ)の招待所通麦(タンメ、トンマイ)の招待所

4日、通麦からは10kmほど下ったところでパルンツアンポ川と別れて道はセチラ峠を目指し登っていく。パルンツアンポ川は別れたところから20km少々下ったところの大屈曲部でヤルツアンポ川の本流に合流する。今日は天気が良い。登につれて徐々に山が見えてくる。ナムチャバルワ峰(7782m)に対する期待が高まる。前衛峰、近辺の山々が見えてくる。ギャラペリ峰(7294m)も見える。セチラ峠に着く。みんな急いで写真を撮りに走る。雲がたなびき良い写真をとにかくカメラに収めようと。
セチラ峠(色季拉山4515m)ナムチャバルワ峰、セチラ峠の標識

7000m峰のナムチャバルワ、ギャラペリが望めて、皆な感激です。
ナムチャバルワ峰(7782m)

ギャラペリ峰(7294m)

参加者全員の感激している様子です。
セチラ峠で全員集合(小林尚礼氏撮影)

セチラ峠から下ると林芝(ニンティ、リンジ、3100m)の町に入り、ボン教の聖山、ボン・リを望み、大きな町に発展した八一(パイ)の町に入って、イスラム料理店で昼食を摂った。
八一(3000m)の町イスラム料理店の女性接客員

午後は、八一からヤルツアンポ川の支流の尼洋(ニャンウ)川を西へ走り、途中から北に入り、八松措(パソンツオー)の国家森林公園にあるホテルが今日の宿泊地になる。公園入り口にはビジターセンターがあり、入場券を買い、公園内バスに乗り換えて湖へ向かう。まずは、6000m峰のジェシナラカブ(6316m)が最初に見える(右下写真)。
八松措公園のビジターセンタージェシナラカブ(6316m)

結巴(ジュバ)村の展望台から山々をながめ、山の確認を行う。東北方向に下記の2山を確認する。
左がこの土地の聖山:アミツォミジモ(5904m、地図3ではアマチョモタクツエ)、
右はジェシナラカブ(6316m)

湖の北には、下記の2山が確認できる。
左:6056m峰、右:サマレサ(6132m)

村の宿の前では、今が最盛期かもしれない冬虫夏草の清掃に余念がない。バスで島のあるところまで戻り島に渡る。ここにもゴンパがあり巡礼者がいる。
冬虫夏草を清掃している島に渡る

八松措*(パソンツオー)の全体図
*現地では「巴松措」が使われている
島のゴンパ

島のあるところからほど近い場所に今日のホテルはある(3400m)。いわゆるリゾートホテル、翌朝の日の出前の湖の景色は幻想的な雰囲気を漂わせている(右下写真)。
八松措のホテルホテルからの日の出前の湖と山々

5日、もう一度別の展望台から八松措をながめて、工布江達(コンボ・ギャムダ)に向かう。昼前にコンボ・ギャムダに着き、昼食後、娘蒲(ニャンポ)に向かう。北の嘉黎(ラリ)からチョロラを経てニャンポ、コンボ・ギャムダに出るルートは昔の茶馬古道のルートであり、小林さんが2008年に踏査したルートであり再訪したい場所であった。入域許可証には娘蒲の地名が書かれており村までは可能なはずで、できればゴンパや、運が良ければチョロラまでと考えていた。
<地図4.林芝、八松措(パソンツオー)から工布江達、ラサまで>

娘蒲(ニャンポ)の村娘蒲の小学校

ニャンポで昼食をすまし、先に進むと公安の検問所があった。最初はバガ・ゴンパまでは行ける感じであったが、連絡が入りすぐに戻れとの指示、最奥到達点は右下写真の場所だった。戻って村の散策にきりかえたが、民家に立ち入ったことが良くなかったらしく、また連絡が入り、すぐに退散しなさいになったとか。この件で、ガイドのギャンツェンさんは処罰を受ける可能性があったとかで、とんだハプニングだった。
娘蒲、昼食の店娘蒲奥の到達点

そして、コンボ・ギャムダの町に戻り、宿泊した(左下写真、3400m)。
6日、現在のコンボ・ギャムダの町から西へ20kmほど行った北からの支流の合流点が昔(唐代)のコンボ・ギャムダだったらしく、大昭古城と言われる古い村がある。ここも観光地化すべく古道の整備などが行われており、パンフレットも作成されていた。
コンボ・ギャムダのホテル大昭古城

岩に摩崖仏(右下写真)が描かれており、旧道の橋も新しくかけられたり(左下写真)、何となく古代の道を想像させられる。
茶馬古道の旧道付近摩崖仏

大昭古城の後はさらに西に向かい、スムド(松多)で昼食後、米拉山(ミ・ラ)へ向かう。建設中の高速道路トンネルが目につく。もう少しでコンボ・ギャムダからラサまで開通するそうです。ミ・ラを下って、途中から高速道路に入り、ガンデン(甘丹)寺に向かう。
米拉山(ミ・ラ、5000m)建設中の高速道路トンネル

高速を降りてジグザグの道をあえぎ登りガンデン寺(ゲルグ派総本山)に着いたが、16時を過ぎていた。内部を見るには16時までの入場であり、外回りを見学する。総本山だけあり大きな寺院で宿坊もたくさんあるが、これらは文化大革命時にほぼ全部が破壊され、再建されたものである。この寺は2009年にチョーユー登頂時の高所馴化に訪れた場所で、右下写真のガンデンピークまで登ったことを思い出す(チョーオユー登頂記参照)。
ガンデン寺ガンデンピーク(4550m)

ラサには19時前に着き、直接鍋料理店に向かった。ホテルにチェックイン後、夜のパルコル(八角街)とジョカン(大昭寺)を見て回った。ホテルから近いのがありがたい。満月に近い月明かりに照らされ、大勢の巡礼者でにぎわっていた。
ラサ、夜のパルコル(八角街)散歩月明かりのジョカン(大昭寺)

7日、食事前にまたジョカンを歩いてみたが、昨夜と同じく大勢の巡礼者がいた。
夜のジョカン(大昭寺)朝のジョカン(大昭寺)

ラサのホテル、剛堅飯店朝の外回り巡礼めぐり

朝の外回り巡礼めぐり(リンコル)を歩いた後、我々4名は、ポタラ宮にまいる他の人たちと別れて、ダライラマの夏の離宮であったノルブリンカとラモチェ(小昭寺)を見学した。ノルブリンカは広い敷地に歴代のダライラマの建てたいくつもの離宮がある。最も有名なのが、ダライラマ14世が実際に生活していたタクテン・ミギュル・ボタン(永劫普遍の宮殿を意味する)です。そこを見て回る。
ポタラ宮遠景ノルブリンカ、タクテン・ミギュル・ボタン

ラモチェは、唐からソンツエン・ガムポ王に嫁いできた文成公主が建立した仏寺院です。昼食はバスの運転手の奥さんの経営する食堂で、ラーメンと餃子をいただいた。
ラモチェ(小昭寺)昼食の食堂(運転手経営)

午後はジョカンの見学。ここは前回見学している。五体投地する巡礼者の目的地である。内部には、ネパールから嫁いできたティツン王女の持参した十一面観音像と唐から嫁いだ文成公主の持参した釈迦牟尼像が祀られている。
ジョカン(大昭寺)入り口、見学ジョカン(大昭寺)屋上

8日、四川航空で昼すぎに成都に移動する。途中、機内から右にナムチャバルワ、ギャラペリ、ミニアコンカの7000m峰が見えた。6000m峰は拉古(ラグー)氷河周辺の山をのぞいては白い山の連なりとしか見えなかった。午後、お茶屋、スーパをめぐり、お土産の購入タイム。
9日、早朝に市内を散歩する。毛沢東像のある中心広場までホテルから5~10分と近い。ホテルも良いホテルだった。
成都12時35分発で帰国だが、出発が2時間ほど遅れ、成田着が20時前となった。
成都、天府広場の毛沢東像成都のホテル、銀河王朝大酒店

注記1.「カワカブ会」とは、梅里雪山(チベット名:カワカブ)を中心にヒマラヤ・チベットの自然と聖地について学びながら、情報発信する集い。聖地を訪ねる旅や講演会などを企画する。代表者:小林尚礼。
注記2.参考文献、中村保著「最後の辺境 チベットのアルプス 2012年4月29日」、「チベットのアルプス 2005年3月1日」、長田幸康著「旅行人ノート チベット 第4版 2006年8月26日」
注記3.地図1~4は、「旅行人ノート チベット」から抜粋した。


感想
①川蔵南路の踏破は目的を達した。旧ソ連製地図を眺めながら楽しかった。
②雪山の確認は、前半天気が良くなく、あまり確認できなかった。ナムチャバルワ峰が見えたのは最大の収穫です。後半も、もともと国道318号をはずれての観察はむつかしいと予想されていたので、この程度が相当と思われる。
③それよりも、中国が観光に力を入れていて、リゾートホテルの建設など今後大幅に観光客数が増加すると思われるが、入域規制はそのとき、どのようになっているのだろうか?
④今回、16名の大勢の参加者がそれぞれに興味を持ち参加されたのは、やはりこのルートの未知の魅力によるものであろう。
⑤そして、この新規のルートを企画され、許可の取得、現地旅行社との交渉など一人でなされ、また旅行中もいろいろな問題に対処された小林さんに感謝するところが多い旅した。



トップへ戻る