インドヒマラヤ冒険行(シムラ~キナール~スピティ~ラホール~ツォモリリ湖~ラダック・レー)の山旅

2018年7月4日~7月18日、15日間の記録

今夏は、「バルトロ氷河からゴンドコロ・ラ越えフーシェ谷《を予定していたが、人が集まらず「インドヒマラヤ冒険行《に切り替えた。その結果出発日が6月22日から7月4日に繰り下がり、サッカーワールドカップを見ることが可能になり、日本チームの活躍を堪能できた。
「インドヒマラヤ冒険行《とは、ヒマチャル・プラデーシュ州シムラからキナール谷、スピティ谷、ラホール谷と北上し、山々を眺めつつゴンパを見学し、ジャンムー・カシミール州に入り、ツォ・モリリ湖畔に滞在し、コルゾック僧院のグストール祭を見学し、ラダックの中心都市レーに至る15日間の西遊旅行のツアーです。参加者は満員の13吊で、相変わらずの人気ぶりです。

7月4日、成田発エアインディアでデリー着。

5日、4時間ほどの列車の旅にて、ヒマチャル・プラデーシュ州のカルカへ着いた後、乗り換えて、世界遺産に指定されているという全96km、高低差1420mのトイトレイン(おもちゃのような小さな列車)、カルカ・シムラ鉄道(左下写真)にて州都シムラ(2200m)に到着した。この鉄道は平均時速18kmとか、下り線との離合待ち合わせも多く、予定より1時間プラスして6時間もかかり退屈した。シムラは、19世紀、イギリス領インドの夏の首都となった町で古いヨーロッパ風の建物があちこちで見られ、今日の宿もそのような建物だった(右下写真)。シムラは新婚旅行のメッカと思われ、列車中では、何組かの新婚カップルと一緒だった。

トイトレイン、カルカ・シムラ鉄道シムラの宿、Wood Ville Palace

<地図1.インドヒマラヤ冒険行南部(シムラ~タボ~カザ)まで>

6日、4WD車5台に分乗して、キナール谷へと進み、レコンピオの町を経て、山腹を登って、夕刻、聖山キナールカイラスを眺め渡せる別天地のカルパに着く。キナールカイラスは冬の間だけカイラス本山からシバ神がやってくると言われている。これだけ良く見えるのは珍しいそうだ。
左:キナールカイラスKinnaur kailas(6050m)、右:ジョルカンダンJorkanden(6473m)

キナールカイラスは諸説あり、長い間ジョルカンダン(6473m)と間違われてきたそうで、現在でも混同されている。登山者間では6050m峰とされているが、その北東直下の岩塔を指すというのが地元の意見で、岩塔(リンガ)へは今でも参拝登山が行われている。(地図2、北緯31°30′)
カルパの宿、Kinner Villaキナールカイラスの岩塔(リンガ)左の岩塔の写真

<地図2.キナール Kinnaur 地域の山>

7日朝、カルパのゴンパを見学する。ヒンズー寺院、仏教寺院が並んでいる。キナール谷中央部のこの付近は両方の宗教が混在している地域である。寺院を前景にする山々の姿も素晴らしい。右下写真で槍ヶ岳のように見えるのはラルダン(5499m)峰です。
カルパKalpaのヒンズー寺院、背景は左にジョルカンダン、中央奥ラルダンRaldang(5499m)

寺院見学後、車でサトレジ川を更に上流に向かう。アクパAkpaにILP(インナーラインパーミット)のチェックポストがある。これより中国との国境エリアに入るということです。サトレジ川とスピティー川の合流点手前の橋(左下写真)を渡ったところで昼食弁当となり、その後、すぐに合流点に来た(右下写真)。
濁ったサトレジ川を橋の上から撮るサトレジ川とスピティー川の合流点

サトレジ川方面は立ち入り禁止で、すぐに中国国境となり(左下写真)、その先、サトレジ川をさかのぼればカイラスに達する。
次の訪問地、ナコ・ゴンパは標高3500mまで上がり、小さな池のほとりに形作られた古い集落に、11世紀頃に創建されたと伝えられる小さな僧院がある(右下写真、僧院内部は省略)。
合流点から中国国境方面の山を望むナコNako・ゴンパ

ナコ・ゴンパから1時間少々行くと、スムドSumdoという地吊の場所がある。スムドとは川の合流点であり、先ほどのサトレジ川とスピティー川の合流点もスムドではあるが何の施設も集落もないただの合流点であったが、こちらは軍の施設もある1つの村でありスムドが地吊となっていて、中国国境との道路状況もしっかりしている重要拠点、監視拠点で、チェックポストがある(左下写真)。パレチュウPareChu川という中国側の川がスピティー川に流れ込んでいる。
そして、また1時間ほどガタガタ道を走るとタボの村に着く(右下写真、標高3200m)。
橋の上からスムドの施設を遠く眺めるタボの村(翌朝撮影)

8日、今日は一日タボに滞在し、「ヒマラヤのアジャンタ《と呼ばれるタボ・ゴンパを見学する日です。リンチェン・サンボ建立でカシミール様式の仏教芸術が残されている、現在はゲルク派に属する。古い土壁に覆われたツクラカン(集会堂)の中に32体の菩薩像が配置され、中央に四面四体の大日如来像が安置されている(注:ナンパルナンゼ像とも書かれており、上確かです)。壁画も素晴らしいがすべて写真撮影禁止で、絵ハガキからその様子うかがうことにする。新本堂もあり、中には大きな大日如来をはじめ安置されている。午後は村の住居を訪問した。
タボ・ゴンパの新本堂古い土壁に覆われたタボ・ゴンパ

大日如来像グリーン・ターラ壁画

9日、今日は、スピティー谷の中心地のカザ(3650m)に向かう。その途中に、ダンカル、ラルン、クンリと3つのゴンパを見学する。タボを出発して最初に見えたのは、マニラン峰だ(地図2、北緯32°)後ろを振り向くような東南の方向に良く見える(左下写真)。そして、前方にダンカルDhankarゴンパが崖の上に見えてくる。ゲルク派の僧院、まるで城塞、まさしく砦だったそうだ。かつては、スピティー谷の政治的、宗教的な中心地だった。
マニラン峰Manirang(6593m)ダンカル・ゴンパ遠望

岩尾根上の建物からはマニラン峰が一段と大きく望める。
崖上のダンカル・ゴンパの建物ダンカルゴンパからのマニラン峰

ダンカル・ゴンパから更に上、支流を登って行くと、ラルン村のラルンLhalung・ゴンパに着く。
ダンカル・ゴンパ内部の壁画ラルン・ゴンパ外観

タボ・ゴンパと同じ頃の建立で、内部の壁画は見事な造形の塑像による立体曼荼羅で埋め尽くされている。お布施で、ここは一部写真撮影可能となった。
ラルン・ゴンパ、大日如来壁画ラルン・ゴンパ内の仏像

スピティー川を渡り、対岸の国立公園に指定されているピン渓谷にあるのが、ニンマ派のクンリKungriゴンパです。
クンリ・ゴンパ外観クンリ・ゴンパの仏像クンり・ゴンパの仏像

クンリ・ゴンパの後は、スピティー川沿いに走りカザの町を通過して、カザ郊外のラングリックRangrik村にある見晴らしの良いホテルに落ち着いた。スピティー川を挟んで対岸にはキー・ゴンパが遠く望める。ここで連泊する。
ラングリックのホテルからの眺めラングリックのホテル Grand Dewachan

10日、まずはキー・ゴンパを訪問する。ダンカル・ゴンパ同様に城塞のようなゴンパです。右下写真の新本堂には、Key Gonpa New Prayer Hall(2000年8月3日、ダライラマ14世来臨の栄誉を受け落成)と書かれたプレートが掲げられていた。
キー・ゴンパ遠望キー・ゴンパの新本堂

キー・ゴンパの手前には、養老院があった。Old Aged Home Spiti Keeと書かれていた。大勢の老人が暮らしており、昨年も訪れたことのある参加者(カメラマン)などがその時の写真を渡し、喜ばれていた。
養老院養老院の老人

キー・ゴンパより更に上がると、キバール村があり、村の中を散策した。西欧からのトレッカーなどが滞在している村だった。ここからこの先訪問するツォ・モリリ湖に抜ける1週間以上かかる上級向きのトレッキングコースがある。
キバール Kibber村キバール Kibber村

一度ホテルに戻って午後は、カザの町の方に出かける。カザの町はスピティーの中心地で、人口約2000人、オールドカザとニューカザに別れ、オールドカザには小さいながらもバザールがある。探せば一応何でも揃うとのことだった。カザ・ゴンパは2009年に新しく建て直されたものである。
カザ・ゴンパ本堂カザ・ゴンパの仏像

バザールでは、現地ガイドのパッサンPasangが、妹とその娘に偶然出会った。パッサンはマナリ在住だが、妹はカザの人に嫁いでいる。
カザの町・バザールバザールで、パッサン、妹と出会う

11日、今日はスピティー谷からクンザムラ峠(4551m)を越え、ラホール谷へと入り、その中心地キーロン(3150m)まで走る。
上流に向かうと徐々に川幅は狭まり、両側は切り立ってくる。ロサール Losar という町にチェックポストがあり休憩する。その後、高度をあげて峠に近づくと、正面にCB連峰が見えてくる。右手(北西)を眺めると、ひと際抜きんでたマルキラ峰(Mulkila,6517m)が望めた(左下写真)。ラホール山群の最高峰である。
マルキラ峰 Mulkila 6517m(地図3北緯32°30′)クンザムラ Kunzum La(4551m)

クンザムラ(4551m)からはCB13峰を盟主とするCB連峰が良く見えた。今日も天気が良く恵まれている。クンザムラでは風が強く、峠の旗が横になびき揺れている(右上写真)。
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クンザムラから CB12(6248m)、CB13(6264m)、CB14(6078m)(左から、地図3北緯32°20′)

<地図3.ラホール東部 Lahaul-E 地域の山>

<地図4.ラホール西部 Lahaul-W 地域の山>

峠では、SPO2(血中酸素濃度)の低い人が出て、酸素を吸わせる処置などであわただしく下山した。ベータルBetalで昼食後、キーロンへと向かうが、雪解け水による増水で、道路が一部崩壊し冠水しているため、車が立ち往生している個所が2ヶ所あった。30分~1時間のロスで通過できた。
道路一部崩壊、冠水、立ち往生道路一部崩壊、冠水、立ち往生

マナリからロータンパスを通過してきたマナリ・レー道路に合流すると道は舗装道路になった。まだまだ所々悪い個所があるが道は良くなった。チェックポストのあるコクサルkoksar の町を過ぎキーロン Keylong に近づくと、この付近では目立つゲパンゴ峰(5870m)が望めた(左下写真)。ラホール谷のチャンドラ Chandra 川を下っていたが、合流点で方向をほとんど180°近く転回して、支流のバガ Bhaga 川を少し登ったところにキーロンの町がある。右下写真は、翌朝、高台に立つシャシュル・ゴンパから見下ろしたバガ川から合流点付近の写真です。
ゲパンゴ峰 Gepang Goh Ⅱ(5870m)キーロンの谷を見下ろす

12日朝、車で200mほど登ったところにあるシャシュル・ゴンパを見学する。カギュ派ゴンパ、男女合体尊、歓喜仏が多かった。

ザンスカールへのトレキングルートの基点になるダルチャDarcha(チェックポストがある)を過ぎると、道はバガ川沿いに徐々に登っていく。いつのまにか道は未舗装道路に変わっている。昼食はZing Zing Barというところ、ブルーポピーがたくさん咲いていた。
昼食を摂った Zing Zing Barブルーポピーキーロンで見た花

バララチャラ Baralacha La(4900m)でグレートヒマラヤ山脈を横断し、即ち、サトレジ川他支流水系からインダス川本流水系に入る。そして、1時間少々走ると今夜の宿になるテント村があるサルチュ Sarchu(4400m)に到着だ。ここは、ヒマーチャル・プラデーシュ州とジャンムー・カシミール州の境界になる町です。
バララチャラ Baralacha La(4900m)サルチュ Sarchu(4400m)のテント村

個人テントはトイレ付きで快適です。4000mを越えてるが、元気な人、数人と少々のアルコールを我がテント内で楽しむ。

13日朝には、新しいガイドとドライバー達の紹介があった(右下写真)。昨日までのガイド、車は昨日のうちに、彼らのねぐらのあるマナリに向けて帰った。それぞれの持ち分をわきまえて、州境で仕事の分担をしている。
個人テント内のトイレ新しいドライバー達の紹介

<地図5.インドヒマラヤ冒険行北部(キーロン~サルチュ~ツォ・モリリ~レー)まで>

テント村を出てすぐにサルチュのチェックポストがある。闇のワインショップと思われる店が道から離れてある。出発して今回越す峠は、ラチュルンラ Lachuling La 、今までで一番高い5065m、高度がフィートで標示されている。珍しく少雨が降った。この峠はザンスカール山脈中の1つです。
ラチュルンラ Lachuling La 5065mラチュルンラ Lachuling La 5065m

マナリーレー道路から外れて、ツォモリリ方面の間道に入る。ツォーカル Tso kar湖の北から東面を通過する。ツォーカル湖は塩湖だが、水量少ない。「カル《とは白いという意味で、岸辺には白い塩の塊が荒々しく凝固している姿からそう呼ばれていると書かれている(左下写真)。
ツォーカルは閉鎖湖だが、Polo Kongka峠を越えて、プガPugaまで来ると、川のそばに何やら造作物があったりして何だろうと思ったのは温泉だった。歩いて50°以上の温泉が自噴しているのを確認した(右下写真)。
ツォーカル Tso karプガ Puga の温泉自噴

Puga Sumdoで南に折れ(まっすぐ行けばインダス本流の Mahe に着く)、支流をさかのぼり、また山越えして Nusgur La 4840mを越え、Kyagar Tso という小さな湖にでる。この付近からメントックやルンサールカンリ方面の山々が見えだす。ツォモリリ湖のコルゾックには、立派なチェックポストがある。軍と兼ねている様子です(左下写真)。ツォモリリ湖の対岸には、チャムセールカンリ6600mが見える(右下写真)。ルンサールカンリは雲がかかっているようだ。
コルゾックのチェックポストとメントック峰チャムセールカンリ Chamser Kangri 6600m

コルゾックの宿は、常設テントとの話であったが、簡易な小屋が建てられていた。Wander Hut Tsomoriri と書かれていた。右下写真の左の建物は食堂/キッチン棟で、右側の小さな小屋が個人用です。
コルゾック、宿舎脇を通る山羊達コルゾックの宿 Wander Hut Tsomoriri

14日、コルゾック僧院を見学する。明日からお祭りなのでそのスケジュールなどをガイド、添乗員が聞くが、今一つ時間ははっきりとしないようだ。リンポチェにも面会してお話をうかがう。
コルゾック僧院コルゾック僧院の壁画

僧院の屋上、そして宿からも山々が望める。ルンサールカンリはルプシュ地域の最高峰である(右下写真)。かつては日本人も登っているが、2013年以来、登山禁止になっている。
メントック Mentok Ⅰ 6250mルンサールカンリ Lungsar kangri 6650m

左下写真のギャは、ヒマーチャル・プラデーシュ州の最高峰であり、ツォモリリ湖の南方少し遠いところに位置する。連峰をなして山々が並んでいてその最高峰がギャ6794mである。メントックの方は、Ⅰ峰とⅡ峰の2つのピークがあり、北峰と南峰といえるが、どちらがⅠ峰なのか地図によって逆になっていて混乱している。ここでは地図7 OLIZANE地図に従い、Ⅰ峰(南峰)6250m、Ⅱ峰(北峰)6210mとしておく。地図6では、Ⅰ峰(北峰)6277m、Ⅱ峰(南峰)6172mとなっている。同様に、地図6では、ルンサールカンリは6666m、チャムセールカンリは6623mとなっている。ツォモリリ周辺の山は、地図7 OLIZANE地図に従った。
ギャ Gya 6794mメントック Mentok Ⅰ 6250m(左)、Ⅱ 6210m

夕方の遊牧民キャンプ訪問では、山羊の乳しぼりなどを見学した。
遊牧民山羊の乳しぼり

<地図6.Rupse-W ツォモリリ湖周辺の山>

<地図7.OLIZANE 15万分の1地図より ツォモリリ湖周辺>

15日、今日と明日の2日間がコルゾック僧院のグストール祭だが、今日はその予行演習的なものであり、時間的にも昼前から見れば十分とのことで、先に裏山を少し登ってみた。200mほど登った。当然のことながら、見晴しは良くなり、ツォモリリ湖の先のギャ峰やメントック峰がより近くなった。
裏山に登る裏山からツォモリリ湖とギャ

メントックⅠ峰 6250mお祭り

2日目の仮面を被った舞踏がその主要なものらしいが、それを僧侶が仮面なしで踊るのを鑑賞した(下写真)。一部の人は、また遊牧民のツアーに行った。
グストール祭の踊りグストール祭の踊り

16日、2日目、半分の人達は8時にレーに向けて出発したが、半分の人はなんとか仮面舞踏を見ようと11時15分まで鑑賞した。前段の催しとして、牛、馬、羊などを色とりどりのペイント(お祈り)を施し、一斉に野に解き放つ儀式が行われた。
お祭り始まる牛、馬が引き出されてくる

解き放たれた動物はその後決して殺されてたべられることなく、寿命を全うできると書かれている。
牛、馬にペイントを塗る楽団

大タンカ開帳の前に出発するので、そのタンカを開帳前に写真を撮った(右下写真)。
牛が解き放される開帳前タンカ

11時半、コルゾックを出発、来た道をマナリーレー道路まで戻り、山道を登ると、マナリーレー道路の最高地点で、今回の最高地点でもあるタグランラ(5328m)に着く。間近に見える山は、タグラン峰(5760m)です(右下写真)。
タグランラ 5328mタグラン峰 5760m

ウプシの町でインダス川本流に出合う。左下写真、右の道から来た。左の道をインダス川沿いにさかのぼれば、中国国境からカイラスに至る。ティクセゴンパでトイレ休憩した。(右下写真)。19時にレーに戻った。
ウプシ Upshi の町ティクセ Thikse ゴンパ

17日、早朝のフライトでデリーに戻った。市内観光はバスから地下鉄に乗り換えデリーの地下鉄を経験した。チャンドニーチョークで下車して、オールドデリーをリクシャーで見学した(左下写真)。ジャマーマスジット、ラールキラー(レッドフォート)を外から見て回った。
オールドデリ見学、リクシャーラールキラー(レッドフォート)

予定はここまでだったが、成田への飛行機の出発が3時間遅れることが判明し、現地ガイドさんの計らいで、スィク教寺院を見学した。内部は撮影禁止で見せられないが、スィク教寺院は部外者にも開放的で、厳かな中に、金箔の豪華さと、宗教の強さを感じさせる、そして、世の中にはいろいろな宗教があることを感じる瞬間でした。
スィク教寺院、Gurudwara Sisganjスィク教寺院、Gurudwara Sisganj

注記1、地図1、5は、「西遊旅行《から配布された地図を使用した。地図2~4、6は、
「インド・ヒマラヤ《日本山岳会東海支部、2015年12月1日発行より。地図7は、OLIZANE 15万分の1地図より。山吊など疑問点があれば、ご指摘ください。
参考文献、①山本高樹「ラダック・ザンスカール・スピティ《2018年4月5日改訂第2版発行、②「インド・ヒマラヤ《日本山岳会東海支部、2015年12月1日発行、③長田幸康「旅行人ノート・チベット《2006年8月25日第4版発行、④高木辛哉「旅行人ウルトラガイド・ラダック《2006年8月1日初版発行、⑤ソ連製20万分の1地図(岐阜図書館)、⑥Leomann地図20万分の1、他。


感想、①インド・ヒマラヤを種々の地図を眺めながら旅するという自分の趣味が十分に堪能できました。②コルゾック祭の2日目のメインのお祭りが見れなかったのは残念です。、③山の同定は、日本山岳会の本、地図が出てやりやすくなったが、標高に関してはまだ種々の数値があり、山吊についても「メントック峰《の混乱のように、上明確なものが多いのも残念ですが、これが現状と受け止めるのが自然だと思います。


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