イスラエル・ヨルダン(死海・ペトラ遺跡)8日間

2019年2月18日〜25日

クラブツーリズムの「〜オリエント世界への誘い〜ペトラ遺跡・死海・イスラエル周遊8日間」に参加した。参加者は22名、夫婦連れが10名で、残り12名のうち11名が女性で、男性は1名ということで女性の個人参加が多かった、そして若い女性がその内半数とこれも多かったのが今回の特徴です。アエロフロート・ロシア航空利用。

18日(月)は、成田発13時20分、モスクワ着17時35分。モスクワ発19時20分、テルアビブ着22時50分(時差7時間)予定でしたが、モスクワ発が1時間以上遅れ、バスで宿泊先のエルサレムに着いたのは、24時をすぎていた。テルアビブは海岸沿いの町だが、エルサレムは標高750mの山の上にあり、霧が発生し寒く、気候の違いを実感した。

19日、今回の最も重要な観光地と考えているエルサレムは3つの宗教の聖地で、まずはユダヤ教の聖地、嘆きの壁を上から眺めながら(左下写真)、「神殿の丘」に入る。ここには「岩のドーム」(右下写真)が鎮座し、ユダヤ教では内部の岩は世界が創造された際の「基礎石」といわれ、エルサレムの中心、ひいては世界の中心であるとしている。古くはソロモンの神殿があった場所とされ、ダビデが神の契約の箱を置いた場所ともいわれている。一方、イスラム教では第3の聖地(第1はメッカ、第2はメディナ)とし、聖岩の下の洞窟には「魂の井戸」があり、最後の審判の日が訪れたときに、すべての魂がここに集まるとしている(イスラム教徒でないので中に入れない)。エルサレムのシンボルとなっている。

「嘆きの壁」を上から眺める(女性専用側)
(左側が男性用スペース)
岩のドーム

対岸の「オリーブの丘」を眺め、門を抜けて神殿の丘を下ると、「嘆きの壁」に出てくる。ユダヤ教徒が祈りを捧げている。ここは男性用と女性用スペースに区切られている。それぞれ別れて、ユダヤ教徒にならいお祈りをする。

嘆きの壁(男性専用)鞭打ちの教会内部

次に旧市街の繁華街を抜けて、十字架を背負ったイエスが歩んだ「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」へ向かう。第1留から第12留まであり、第2留の「鞭打ちの教会」でイエスは十字架を背負わされ、ローマ軍の兵士たちにより鞭打たれた。教会内部のステンドグラスにその様子があらわされている(右上写真)。「ヴィア・ドロローサ」を歩く。イエスが何度かつまずく。その場所に十字架が置いてあり、写真を撮る(左下写真)。最後に「聖墳墓教会」に着く。イエスが服を脱がされ磔刑にされてから埋葬されたところで、最も重要な巡礼地となっている。イエスの墓があるところが聖堂になっている(右下写真)。

3度目につまずいた場所で十字架を担ぐ聖墳墓教会、イエスの墓

昼食後、「オリーブの丘」に向かう。展望台から対岸の岩のドームを望む(左下写真)。手前にはお墓がたくさん見える。午後寒くなってきて、フリースの上に羽毛服を着るが風が吹くとそれでもじっとしていると寒い。主の涙の教会、ゲッセマネの園、万国民教会と回って、バスで「シオンの丘」に移動する。ここでも、マリア永眠教会、ダビデ王の墓、最後の晩餐の部屋、鶏鳴教会と見て回った。右下写真は、桜の木と象牙で作られた永眠するマリア像です。
昼食、夕食で、ワイン、ビールを一杯づつ飲んだが、それぞれ9ドル(グラス)、7ドル(小瓶)と物価は高い印象です。すべてUSドルでの支払いで、現地通貨には両替しない、よって、チップと合わせて、1ドル、10、20ドル札の使用頻度が高い。

「神殿の丘、岩のドーム」を望むマリア永眠教会

20日、イスラエル北部にあるガリラヤ湖畔のテイベリアへ向かう。ここはイエスの伝道の舞台であり、聖書、キリストにゆかりのある教会が数多くある。下写真は「パンと魚の奇蹟の教会」、イエスが2匹の魚と5つのパンを祝福して増やし、説教を聞きに集まっていた5000人を満腹にさせたという奇蹟にちなむ。ビザンツ時代のモザイク床が見事に残り、奇蹟の話に出てくる2匹の魚はもちろん蛇や鳥、そしてさまざまな種類の草花が色鮮やかに描き出されている。
パンと魚の奇蹟の教会教会内部のモザイク床

次に、「山上の垂訓教会」、イエスがその思想、教義の最も重要な部分をここで語ったと言われている。「狭き門より入れ」などの有名なフレーズを含んでいる。ガリラヤ湖はヨルダン渓谷が陥没してできた淡水湖で、標高−213m。ガリラヤ湖の北はゴラン高原を挟んでレバノン、シリアと続いていく。
山上の垂訓教会ガリラヤ湖

ガリラヤ湖を1周して、シェイフ・フセイン橋でヨルダン川を渡りヨルダンに入る。国境では荷物を全部おろし、連絡バスでヨルダンに入り、ヨルダン側のバスに乗り換える。イスラエル出国税約35ドル。
ヨルダン川に沿った道路で南下し、ネボ山(680m)に向かう。死海とパレスチナを見下ろす山がネボ山で、モーセ終焉の地と伝えられ、ここにはモーセを記念した教会が4世紀に建てられたとされている。その遺構が残されている(右下写真)。左下写真は、教会内部にに展示されている航空写真で、ヨルダン川と死海が写っている。ヨルダン川が蛇行して死海に注ぐ様子が見える。ネボ山観光後、死海のリゾートホテルに宿泊した。
ネボ山教会、航空写真ネボ山、教会内部モザイク床

21日、死海の標高は−420mで、地球上で最も低い。ガリラヤ湖を含めて大地溝帯の始まりで、ヨルダン渓谷からアカバ湾、紅海、アフリカへと続く。閉鎖湖で水分の蒸発で塩分濃度30%と言われている。朝8時の浜辺の開門と同時に死海に入る。楽に浮くが、塩分濃度が高いため、顔を浸ける、下向きになるのはよろしくないそうで、お尻を下げて浮くだけ。
死海のリゾートホテル死海、浮遊体験

10時半にホテルを出発してベタニアに向かう。ここはヨルダン川が死海に注ぐ場所で、死海の北5kmで、イエスが洗礼されたとされる場所が近年明らかになり、遊歩道ができ、観光地化された(右下写真)。
死海の浜辺ベタニア、イエス洗礼の場所

そしてその先のヨルダン川、パレスチナを実行支配するイスラエルとの国境線では、キリスト教徒の観光客が水で体を清めていた(左下写真)。
ベタニア、ヨルダン川、国境マタバの聖ジョージ教会

ベタニアの後は、バスでまた山に登りマタバに向かう。聖ジョージ教会を見学する。ここは、左下写真の「マタバ地図」で有名です。6世紀のビザンチン時代のパレスチナとその周辺国をモザイクで表している。
マタバの後は30km離れたところにある遺跡、ウム・アルラサスを見学する(右下写真)。村がまるごと崩れ落ちて廃墟になっている。そして、今日の宿泊地、ペトラまでバスで走る。
教会内部にある「マタバ地図」ウム・アルラサスの遺跡

22日は、ヨルダン観光の最大のスポット、ペトラ遺跡の見学です。ペトラ遺跡とは、紀元前1世紀〜紀元後1世紀にかけて建設された、古代アラブ民族のひとつ、ナバタイ人の首都の遺跡である。遺跡に入ってすぐには、ジン・ブロックスやオベリスク(左下写真)と呼ばれる岩に掘られたお墓が並ぶ。そこを過ぎると、シークという長さ1.2kmの峡谷、狭い岩山の裂け目があらわれる(右下写真)。崖の高さ60〜100mで、道の両側には水路跡が見られ、枝沢からの水の流入防止にダムが作られている。
ペトラ遺跡、オベリスクの墓ペトラ遺跡、シーク

シークを抜けると、正面にペトラのハイライトとよばれているエル・ハズネが現れる。現地で「ファラオの宝物殿」とよばれているこの巨大な建造物は、葬祭の儀式を行うための墓あるいは葬祭殿のようなものであったとされている。正面の壁には、緻密なな美しい彫刻が施されている。
次のファサード通りの両側には40以上の墓が連なっている。左手にローマ円形劇場を過ぎると、正面に凱旋門が現れる(右下写真)。その先にある昼食場所となるレストラン・バシンで休憩して、各個人の希望で、ペトラ遺跡の最奥地、エド・ディル(修道院)に向かう。
エル・ハズネ(宝物殿)凱旋門とその先の岩山

エド・ディル(左下写真)は岩山の中腹にあり、ペトラで最も巨大なモニュメントです。約950段の石段を登る、登り約30分、休憩込み往復約1時間半のハイキングです、高度差は約180m、ペトラ入口から約200mほど下っていたが、それを登り返すことになる。個人差があり、往復に時間のかかる人もいて、昼食時間は遅れた。
昼食後は、各自で途中のサンドボトル店まで戻ることになった。途中で大神殿(右下写真)を寄り道して見学した。サンドボトル店での集合にもトラブルがあったりしたが、無事予定通り、本日のペトラ観光を終えてホテルに戻った。
エド・ディル(修道院)大神殿

23日、6時30分の早朝出発で270km先のヨルダン川国境、キング・フセイン橋へ向かう。死海に近いベタニアのすぐ北にあるイスラエルのエリコに抜ける国境で、20日に通ったシェイフ・フセイン橋とは別の国境です。ヨルダン出国税12ドルが徴収される。そして、一路、イエス・キリストが生まれたといわれる聖誕教会のあるベツレヘムを目指す。
エリコのそばを抜け、またエルサレムの町を北から西へ抜け、10km南のベツレヘム(標高750m)に着く。聖誕教会の近くのレストランで昼食を済ませてから、聖誕教会の入場門に並ぶ。

ベツレヘムのシンボル、聖誕教会聖誕教会内部

聖誕教会はすごい人気で、結局1時間半並んで、キリストの生まれた洞窟を拝むことが出来た。洞窟の中にはイエスが生まれたとされる場所に銀で星の形がはめ込まれた祭壇がある。クリスマスには世界中から巡礼の人々が集まってくるそうです。

聖誕の場所、キリストの生まれた洞窟

現在のベツレヘムはアラブ人の町であり、町の中にも分離壁がる。左下写真は立ち寄ったお土産店の前から夕陽を眺めているが、その前に分離壁がある。この後、テルアビブまでバスに乗り、もう夜になったテルアビブの世界遺産の「白い町」と言われる中心街を散歩してから、ホテルに入った。
24日、ホテルは海岸沿いにあり、朝食後、海岸まで出て地中海を眺めた。
壁と夕陽テルアビブのホテル前の海岸

テルアビブ11時50分発、モスクワ17時25分着。モスクワ19時55分発、成田着、翌25日、11日20分着。

8日間、実質中5日間の観光で充実した内容だった。ユダヤ教からキリスト教が生まれ、そしてイスラム教が生まれていく、その流れがよく理解できた。同じ一神教で兄弟の宗教にあたる、兄弟ほど喧嘩が絶えない、その元であるユダヤ教を知らないことには、そのためにはエルサレムに行かないことには始まらない、というのがこの旅行の主目的です。
そして、2番目の目的は、大地溝帯にある死海、ガリラヤ湖を実感すること、3番目がペトラ遺跡でした。



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