カラコルム8,000m峰四座展望 バルトロ氷河からガッシャーブルムB.C.へ

2019年6月24日~7月20日、27日間の記録

表題の西遊旅行のツアーに参加した。ゴンドコロラ越えはあきらめ、ガッシャーB.C.までのツアーで、K2だけでなくチョゴリザをゆっくりと眺めることを期待した。参加者は満員の14名(男性:11名、女性:3名)、全員60才以上で、平均年齢は私の年齢より1才若い69才位の感じです、ほぼ70才です。添乗員:紙谷哲平さん、現地ガイド:アミンさん、サブガイド:アリさん、コック、アシスタントコック:3名、、キッチンヘルパ:2名、ポータ:約20人、馬:13頭。

6月24日、羽田空港8時30分発中国国際航空で、北京乗り換え、イスラマバード19時着(大阪から3名、名古屋から1名参加)。

25日、イスラマバード10時15分発のパキスタン航空で、スカルドに昼頃到着。ナンガパルパットは雲に覆われて見えなかったが、まずは飛行機が飛んでくれて安堵した。左下写真のようにジェット機が飛んでいます。夕方、市内散策とお買い物です。日除けの帽子を買った。添乗員に両替をしてもらった。1000円で1400パキスタンルピーだった。

スカルド空港とジェット機スカルドの宿 ホテル マッシャーブルム

スカルドの町散策とお買い物ホテル窓から望むスカルドの緑の風景

26日、フライトキャンセルに備えた予備日だが、順調に飛んだため高所馴化を兼ねてオプショナルツアーでデオサイ高原4100mに出かける(12名参加、40US$)。
デオサイ高原オキナグサ?忘れな草?

27日、四輪駆動車でトレッキングの出発点となるアスコーレ村のキャンプ場へ向かう。まず、インダス川本流を渡って、シガール川沿いのシガール村を通過し、山間に入ってダッソで昼食を摂り、険しい山道をあえぎ登りアスコーレ村(3000m)に着いた。
インダス川本流を渡ってシガール村

テント数は、相部屋希望者が2名だけだったため、メンバー14名分で13張です。
アスコーレ村アスコーレ村の我々のテント

28日(5日目)、アスコーレ村を出発し、最初に見えてくる山がバコルダスBakhorDasです(左下写真)。国立公園事務所で入山手続きを済ませ、ビアフォー氷河から流れ出てくる川を渡る(右下写真)。平坦な道からビアフォー氷河末端部の荒れた岩礫道を横断する。その氷河末端部のコラフォンKorophongという名前の場所が昼食場所で、小川が流れている。
バコルダス5810mアスコーレの橋を渡る

午後は尾根の末端を回り込むと、ラトック峰から流れてくるデュモルド川Dumordo沿いの道となり、少し上流に遡ってジョラの橋を渡って(左下写真)、ジョラのキャンプ地に着く(3200m)、到着16時すぎ。ジョラからはバコルダスが鋭く尖って見える(右下写真)。
ジョラの橋ジョラからのバコルダス

29日(6日目)、トレッキング2日目は7時前に出発して、バルトロ川沿いの道をスカムツォクのキャンプ地に12時頃に着いた(3300m)。天気も良いので、着替え、洗濯ができた。隣のテントでは、地元のポータ達のダンスや歌で盛り上がっていた。
スカムツォクのキャンプ地ポター達のダンス

30日(7日目)、トレッキング3日目は緑のキャンプ地、パイユPajuまで、短い3時間半の移動だった(3450m)。Pajuは岩塩の意味とか、岩塩が取れたのかな?カラコルムの山々が見えてくる(左下写真)。
パイユ、カラコルムの山々が見えてくるパイユ、テントを撤収したキャンプ地

7月1日(8日目)、トレッキング4日目はコボルツェまでのかなり長い行程です。パイユのキャンプ地は右上写真で、テント撤収後の状況です。Kさんが馬に乗ることになった。6年前にも来ておられる写真家ですが、体調が十分でないのか、歩行スピードがあがらないようです(左下写真)。パイユから2時間ほど歩くとバルトロ氷河の末端から氷河の上に乗ることになる。分厚い氷河の下から水が流れ出す様子を目の当たりにできる(右下写真)。
Kさん馬に乗るバルトロ氷河の末端、水が流れ出る

そしてコボルツェに着く直前のところで、支流リリゴ氷河から流れ出るリリゴ川がバルトロ氷河に流入するところが大きな氷河湖になっていて(左下写真)、リリゴ川は渡渉することになる(右下写真)。靴を脱いで、アシスタントガイドのアリさんと3人で肩を組んで渡った。コボルツェ着、16時20分、3850m。
リリゴ川の氷河湖支流リリゴ川の渡渉

2日(9日目)、コボルツエからはパイユ峰6610mがよく望める。トレッキング5日目はウルドカスまでで行程は短い。11時20分頃に着いた(4050m)。ウルドカスからグレートトランゴ峰が望める(右下写真)。ウルドカスは「割れた大岩」の意味とか。そういえば、キャンプ地の背後に割れたような大岩がある(下方の下山時のウルドカスの写真参照)。
左:パイユ峰6610m、右:ウリ・ビアホー峰6417m左:グレートトランゴⅡ峰6237m、中央:Ⅰ峰6286m
右:ネームレスタワー6239m

3日(10日目)、トレッキング6日目はゴレⅡ(4380m)まで、約8時間の行程です。出発前のウルドカスには絶景が広がっている(下写真)。
この日、Kさんが本人の判断で下山することになった。加えて60才台の女性1名も今日1~2時間ほど登ったところから下山することになった。トレランをやっているという体を鍛えている女性だったが、体脂肪率10%というヤセ型で、1~2日前から食事がとれなくなったとかで、急に失速してしまった。
左:パイユ6610mからチョリチョ6756m、
右:ウリビアホ-6417mから右端:ウリビアホ-タワー6109m
カテドラル5866m、右奥:ピアレBiale6729m

ウルドカスから少し登った氷河上から、はじめてガッシャブルムⅣ峰7925mが見えてくる。右奥にガッシャブルムⅠ峰8068mが見えている(左下写真)。そして、11時頃には、ガッシャブルムⅣ峰がもっと鮮明に見えてくる(右下写真)。Ⅳ峰の右にⅡ峰8035mが、左にはⅢ峰7952mが顔を出している。そして右の山はGⅤ峰7133mです。
GⅣ峰7925mが見える、右奥にGⅠ峰8068mGⅣ峰7925m、右にGⅤ峰7133m

ゴレⅠで昼食(左下写真)、ゴレⅠからはマッシャ-ブルム7821m(K1)の鋭く尖って少し傾いた三角形の山が近づいて見える(右下写真)。
ゴレⅠで昼食マッシャブルム7821m

ゴレⅡ(4380m)キャンプ地に着いて、夕陽に染まる山々です(下写真)。
マッシャ-ブルム7821mガッシャーブルムⅣ7925m

4日(11日目)、トレッキング7日目はコンコルディア(4650m)まで、4時間ほど登るとアーミィキャンプを通過する。5~6人の姿が見える。更に前線のインドとの国境に向けては、ヘリで食料が運ばれる。トレッキングルートも雪道になってくる。正面にはコンコルディア南西部に位置するランドマークのミートルピークが大きくなってくる(左下写真)。振り返れば、ムスターグタワーも見えている(右下写真)。
トレッキング、正面ミートルピーク6025mムスターグタワー7284m

雪のコンコルディアに15時すぎに着いた。南東方向、チョゴリザは、クマール・グリ山稜に遮られて見えない(右下写真)。行程表では6時間のところ、8時間ほどかかっている。雪道のためと考えられ、かなり疲れている人が目についた。
コンコルディア近く、雪の斜面になってきた雪面のコンコルディアキャンプ地
背景はクマール・グリ峰6851m

5日(12日目)、トレッキング8日目はコンコルディアステイで、休息日になった。残雪が多く馬での荷揚げが難しいことや安全性を考えて、ガッシャブルムBC行は中止となった。明日はシャグリン方面、明後日はブロードピーク方面の半日散歩となった。ガッシャブルムⅠ峰、Ⅱ峰を間近に見たいと思って参加した人にとっては本当に残念であろう。私もチョゴリザを間近に見たいと思っていたので残念です。
5日早朝のK2峰8611mコンコルディアのテント場とミートルピーク

コンコルディア、登ってきた西方向、パイユ峰を望む5日朝、晴れてきたK2峰

コンコルディア周辺の散歩に出かける。写真好きの人達が池に写る逆さK2を撮りたいというので、池を探して出かける(左下写真)。
K2(8611m)は、ご存じの通りカラコルム最高峰で世界第二位の高峰、初登頂は1954年7月31日のイタリア隊です(南東稜)。日本人の初登は、1977年8月8日の日本山岳協会隊(南東稜、第二登)。最近では、2006年8月1日の東海大学隊が日本人女性初登頂として話題を集めた(南南東リブ)。
コンコルディアの池に写る逆さK2ブロードピーク8051mを望む

6日(13日目)、トレッキング9日目は、シャグリン方面への散歩です。2時間半ほど登った4700m付近まで、ゴンドコロラ方面に向かうヴァイン氷河の見えるところまでです。
6日朝快晴のK2峰8611mシャグリン方面散歩
右:ヴァイン氷河、左:クマールグリ山稜

7日(14日目)、トレッキング10日目は、ブロードピークBC方面方面への散歩です。こちらも2時間半ほど登った4730m付近までです。こちらからは、チョゴリザ方面の写真が撮れました。
左のバルトロカンリ7270mから中央のコンダスピーク6756mを経て、下写真のチョゴリザに続く

チョゴリザ7654mは、1958年8月4日に京都大学学士山岳会が初登頂した山です。初登頂したのは今では北東峰と呼ばれている台形の左側のピーク、頂上部は岩峰です。左側、北チョゴリザ氷河から登ると鋭く尖って見える。当時の地図では北東峰の方が高かったが、現在の地図は南西峰が高い標高で示されている。
コンウェイは、この山をブライド・ピーク(花嫁の峰)と呼んだ、もちろんK2峰の花嫁です。チョゴリザの左に見えているのはスノードーム(7150m)で、ナンガパルパット初登頂者のヘルマン・ブールが、1957年チョゴリザ目指して登攀中、スノードームに最終テントを残して転落死した場所です(そのテントを1958年登山隊が発見した)。
チョゴリザChogolisa 北東峰NE 7654m(左)、南西峰SW 7668m(右)

K28611mをバックに記念写真を撮った。K2の左はエンゼル峰6394m、本日の参加者は7名だった。コンコルディアまで12名で来たが、疲れからか高度の影響か体調を崩した人、ゆっくりしたい人は参加しなかった。


今日も快晴の天気が続き、ブロードピークに夕陽が映える
K2とコンコルディアのテント夕陽のブロードピーク

8日(15日目)トレッキング11日目からは、下山に向かう。ゴレⅠ、ウルドカス、コボルツエ1泊、パイユに2泊、ジョラ1泊して、14日(21日目)トレッキング17日目にアスコーレに戻った。9日のウルドカス近くで最後のGⅣを眺めた。
ガッシャブルムⅣ峰の見納め

10日の朝のウルドカスのキャンプ場です。
ウルドカスのキャンプ場ウルドカスの裏の山
右後方に、割れたような大岩

11日は氷河の上を歩き、所々氷河湖に出会った。そして氷河末端でバルトロ氷河におさらばして、パイユに着いた。
氷河湖


バルトロ氷河末端パイユのキャンプ場

ジョラの橋を渡って下山アスコーレに戻った

15日(22日目)は、1日余った日を温泉で過ごすことになり、チャルトン温泉に向かった(最初の予定にはなし)。左下写真が男性の露天風呂だが、地元の人は下着を着た状態で入っており、ゆっくり入るには内湯の感じの右下写真の奥にあるまさしく内湯でゆっくりと温まり、体を洗えた。ただ洗い場がない構造で温泉の中で石鹸を落とすことになるので、温泉内の排水口近くで洗った。
チャトルンChutrun温泉チャトルン温泉でテント泊

チャトルン温泉での全員集合写真

16日、スカルド戻り、11時半。ホテルマッシャーブルム泊。
17日、イスラマバードへの飛行機が午後のフライトになったが、うまく飛んでくれた。イスラマバードのホテルヒルビュー泊。
18日、フライト予備日、多くの人は、タキシラ遺跡のオプショナルツアーに参加した。私は2011年に行ってるのでパスし、1日イスラマバード滞在。
19日午後、市内観光(ファイサルモスクとダマムエコー展望台)の後、空港へ向かう。イスラマバード20時30分発。
20日、北京乗り換え、17時25分羽田空港着。

今回使用した地図について紹介します。

<地図1.「ヒマラヤ名峰辞典」より「バルトロ山群」>

<地図2.「ヒマラヤ名峰辞典」より「マッシャーブルム山群山群」>

主に上記地図の標高を採用した。地形図としては、下記のソ連製地図を使用した。

<地図3.ソ連製20万分ノ1地図、K2付近など>

<地図4.ソ連製10万分ノ1地図、バルトロ氷河付近など数枚>

下山後、購入した地図。

<地図5.カラコルム、トレッキング&登山MAP 20万分ノ1 byFoto Bank>

地図6.CKNPのトレッキングマップ、40万分ノ1(国立公園事務所で販売、スカルドからコンコルディアまで入っている。使い易い。CKNPは、Central Karakoram National Park の略)
CKNPのトレッキングマップ表紙

CKNPのトレッキングマップ、40万分ノ1

注記1、地図1、2は、「ヒマラヤ名峰辞典」編者:薬師義美、雁部貞夫、写真:藤田弘基、1996年11月13日初版第1刷から抜粋した。ほとんどの山の標高はこの地図による。CKNP地図の山名、標高ともほとんど一致している。
参考文献としても、「ヒマラヤ名峰辞典」の文章が各山に関して詳しい。地形図としては、ソ連製地図(岐阜図書館)を参考にした。


感想、①10数名という大人数を安全に連れて行くのは、平均年齢が70才に近いことを考慮すると、なかなか大変なことだと感じます。②今回は晴続きの好天に恵まれましたが、何回も来ている現地ガイドの話では、めったにないことだそうです。6月末にコンコルディアより上部では降雪を見たそうですが、それ以降雨らしい雨は帰国するまでなかった。③K2、GⅠ、GⅡを撮りたい写真愛好家と、8,000m峰14座を見たい愛好家が多かったように思います。昨年天気が悪くて撮れなかった/見れなかったから再訪したという人も何人かおられました。


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