パタゴニアの山旅(フィッツロイ、パイネ)と
最果ての地(ウシュアイア)

2020年1月14日〜2月1日の19日間

パイネ、フィッツロイのあるパタゴニアには何年も前からいずれ訪問する予定であった。各社のツアーではアメリカ経由が多いが、イラン訪問歴のためアメリカESTAが取得できず大使館まで行ってのビザ取得は避けて、ヨーロッパか中東経由のルートで探していた。その中で「ユーラシア旅行社」のツアーが最適と判断して前年9月頃に申し込んでいた。その時点で10名以上の参加者があり催行はほぼ決まりと思っていたが、11月に急に参加者が減少し催行中止になったため、一緒に申し込んでいた川原さんと二人の個人旅行に切り替えることになった。申し込んでいたツアー名は「最果ての地、パタゴニア物語〜三大氷河と四大名峰、1月16日発15日間」だった。その行程をほぼ踏襲する形で飛行機、バスなどをアレンジした結果、14日発19日間のスケジュールが出来上がった。ツアーになかったブエノスアイレスでのアルゼンチンタンゴショー鑑賞を追加した。フライトルートはフランクフルト、ブエノスアイレス経由、カラファテ着のヨーロッパルートとなった。
なお、パタゴニアの語源は「マゼランはグアナコの毛皮を付けた大きな足をした先住民を見て”パタPata=足””ゴンGon=大きい”といい、それが語源になったとされる。」と「地球の歩き方」にある。

14日、羽田空港発15時20分、ルフトハンザ航空で出発した。羽田出発は近いのでありがたい。今回は荷物も少ないので、国内気分で羽田だ。フランクフルト着19時10分で、乗り換えて22時15分発で、ブエノスアイレス15日8時着予定だった。しかし、15日6時頃、何やらのアナウンスと共に飛行機は急に東へと向きを変えた。そして、空軍基地かと見間違えるような空港に着陸した、6時50分。客室乗務員に聞くと、ブエノスアイレス空港が暴風Stormのため空港閉鎖になり、ここで待機することになったと言う。その空港はブラジルのCampinasと言った。乗り継ぎのカラファテ行きは12時発で乗り替えが心配だったが、とにかく空港が再開されるのを待つしかなかった。2〜3時間して再開の案内と共に再出発し、ブエノスアイレスには11時半頃に着いた。空港閉鎖ならカラファテ行きも同じく遅れての出発になるのではないかと開き直った希望的観測で対応し、結果的にその通りになったため、無事カラファテに3時間ほどの遅れで18時頃に到着し、安心した。
夕食はホテルのすぐ近くにある「すしバー藤」で寿司セットをいただいた。その前に町の両替屋で両替をした。その後、Cal Tur社へ行き、17日の自分のペリトモレノ氷河行きバスの往復券を購入した。到着が遅れたためあわただしかったが、その日の予定を終えた。

16日は、VELTRA社の氷河クルーズに申し込んでいる。ホテルまでバスが迎えに来て8時半頃にアルヘンティーノ湖のPuerto Bandera港に着いた。クルーズ料金は既に支払い済だが、国立公園入園料の800ペソ(約1470円)は現地払いだ。9時すぎに出港しスペガッツィーニ氷河に向かう。一番奥まったところから氷河末端が海に流れ込んでいる(右下写真)。水面より100mも突き出た国立公園で最高の高さを誇ると言われている。
アルヘンティーノ湖スペガッツィーニ氷河

小さな半島の裏側の波静かな場所に接岸し上陸する。Puestro Las Vacasという名前の場所で、Vacasという名前からして昔は牛を飼っていたのだろう。廃屋が残されていて、そこが見学場所となっている。そして、ウプサラ氷河を軽く覗いてからペリト・モレノ氷河に向かう。ウプサラ氷河は国立公園内で最大級の面積870km2を誇ると言うがそれは流域面積、氷河が長いことを意味するが、ここからはわからない話です。
クルーズ船で半島に上陸Puestro Las Vacasの廃屋

船の移動中が昼食時間で、このクルーズ船は昼食付で13時半頃にほぼ全席満席状況で席につき弁当をいただく。氷河の氷を入れた水割りスコッチが人気があり一杯いただく。ペリト・モレノ氷河は明日陸上側からも見学する最も有名な氷河で、このツアーには入ってないと思っていたが、ウプサラ氷河が近づけないためにかこちらの氷河に替えられたと推測した。近づくと時々崩落の音がする。同じようなクルーズ船が近づいている。
ペリト・モレノ氷河ペリト・モレノ氷河

18時頃にバスでホテルに戻った。夕食は高級そうなレストランで大きなビーフステーキを食べた。途中から三人の音楽とダンスがすぐ脇で始まった。料金が少々高めでそれをペソ現金で払ったため、明日の行動に不安が出て、再度、両替屋(カンビオというCambio、英語のChange)に行くが時間が遅くすべてクローズだった。
夕食レストランの音楽夕食レストランのダンス

17日が本来のペリト・モレノ氷河に行く日で、65才以下の川原さんとは行動が分かれる。彼は事前に申し込んでいたツアーで氷河上を歩くトレッキング、私は陸側からの見学です。8時ホテル集合でCal Tur社のバスが迎えにきて(往復1200ペソ、約2200円)、10時半頃にバス終点、レストランのある所に着いた。その前に公園入口で800ペソを支払った。看板の地図を見て、沿岸をぐるっと先に見て、中央の展望台に向かうルートに決めた。この日は小雨が降っていて、風もあり用心してフリースの上にカッパ姿で出発した。もちろんこれは着過ぎで途中で脱ぐことになる。
ペリト・モレノ氷河の地図看板ペリト・モレノ氷河、沿岸遠目から望む

途中の展望スポットでシャッターを押してもらう。横で若い女性がポーズしているのをあわせて撮った。フランス人、韓国人、チリ、アルゼンチンの人達とおしゃべりが楽しかった。
ペリト・モレノ氷河ペリト・モレノ氷河

ペリト・モレノ氷河最大の見どころは、陸側半島の先が氷河と最も狭まっている場所で、冬は一体になって繋がっているのが崩落があり徐々に溶けはじめて、その間が空き、湖と湖の間の水の流れが見え始める。流れがありその場所が最も崩落の激しい場所で、みんなが注目して見ている。
ペリト・モレノ氷河の崩落瞬間ペリト・モレノ氷河の陸側と切断個所

少し山側に登ったところに第一バルコニーがあり、氷河の全景を見るのには一番適している。通常の観光の流れはこちら側から見学を開始する。今日は氷河の上方、国境稜線の方は曇っていて見えない。小山の上にあるレストハウスで昼食後、午後もう一度見てから、16時のバスでホテルに戻った。パタゴニアの代名詞がこのペリト・モレノ氷河で、あわせてパタゴニア三大氷河というそうです。
ペリト・モレノ氷河、上からの全景

ホテルの紹介が遅れましたが、右下写真、キホーテというホテルです。ここが我々のベースで、都合3回宿泊することになる。クラブツーリズムのツアー客にも会った。
ペリト・モレノ氷河カラファテのホテル・キホーテ

18日、カラファテ発8時のバスでエル・チャルテンに向かう。町のすぐ手前の国立公園ビジターセンターで全員降ろされ、レクチャーがあった。同時にこの場所は展望スポットで、フィッツロイの全貌をくしくも写真に収めることができた。
国立公園ビジターセンターから、右にフィッツロイ、左にセロ・トーレ

ホテルにチェックインし、昼食後、Los Condres展望台と、Las Aguillas展望台の2ケ所をまわった。この日は好天の暖かい日だった。ただし、風は吹いている。
フィッツロイ(3405m)のアップロス・コンドレス展望台で

晴天下のフィッツロイ、セロ・トーレを初日に望めて満足した。夕食はホテルのすぐ隣のレストランで摂った。小さな店だったが繁盛していた。
セロ・トーレ(3102m)エル・チャルテンの夕食

19日はロス・トレス湖へのトレッキングの日。前日に購入予約したバスがホテルの前まで来てくれて、登山口のエル・ピラールまで乗ってきた。9時に出発しホステリア・エル・ピラールの前を通過して、登山道に入って行く。アメリカから来た女性がこのホテル前から同伴することになった。
ホステリア・エル・ピラールトレッキングのトレール

ピエドラ・ブランカス氷河も見えることは見えるが、上部は見えない。11時にリオブランコキャンプ場(フィッツロイBC)に着く。そして、今までの平坦な道から急な山道に変わる。途中から下を眺めると、カプリ湖などは良く見えるが、上は雲で風が強くなってくる。
ピエドラ・ブランカス氷河カプリ湖など下は良く見える

強風のもとロス・トレス湖(手元の高度計は1200m、未調整で少し高め)に着いた、12時20分。急ぎ昼食で腹を満たし、記念写真を撮った。アメリカ女性にシャッターを押してもらった。湖は確かにエメラルドグリーンに輝いていた。
ロス・トレス湖に着いたが、上部のフィッツロイは雲に隠れて見えない

13時には出発して、カプリ湖方面に下山する。カプリ湖横の稜線の展望台コースを通り、フィッツロイが見えてくることを期待する。やっと雲があがってくれて下写真です。前日のフィッツロイとはまた角度、近さが異なり、どちらも絵になります。16時50分下山、17時20分ホテル戻。途中スーパに寄り、明日の食料など補給した。
カプリ湖展望台近くから、フィッツロイが見えてくる

20日、セロ・トーレへのトレッキング日。7時50分ホテル発、8時登山口、9時05分セロ・トーレ展望台、11時05分トーレ湖に着いたが、例によって直前から風が強まり、写真を撮るだけで精一杯で、とても止まっていられない。Prestadoresというキャンプ場(セロ・トーレBC)で昼食を摂った、11時30分〜12時。
トーレ湖登山口トーレ湖。風強く上部も見えない

14時頃にセロ・トーレ展望台に戻ってくると、セロ・トーレが見えてきた(左下写真)。エルチャルテンのホステリア・エルパライソ(右下写真)で3泊した。
展望台よりセロ・トーレが見えるエルチャルテンのHエルパライソ

21日は移動日です。エルチャルテン8時発のバスで、カラファテBCに11時着。タクシーで市内に戻り、街角のコーヒ/レストランでコーヒの後、昼食をいただく。午後のバスまでの時間に歴史博物館を見学した。14時頃からまた喫茶店で時間をつぶした後、タクシーでバスセンターに戻り、16時30分発バスでプエルト・ナタレス行きバスに乗り込む。
カラファテに向かう国道40号線とアルヘンチーノ湖バスがカラファテBTに到着

国道40号の舗装道路を快調に走っていたのが、急に悪路に入る。これが Rio Don Guillermo の国境に向かう道です。20時、アルゼンチン出国。20時30分〜21時、チリ入国。チリは動植物、フルーツなどの持ち込みがうるさくて、荷物検査が厳しい。それでも順調に国境を通過してプエルト・ナタレスに予定の22時より20分早く着いた。アルゼンチン、チリには時差はなく、日本と12時間遅れです。これは西経45°のリオデジャネイロ付近の経度に対応するもので、西経75°付近のパタゴニアはそれより2時間は日の入り時間が遅い、かつ夏であり、22時頃まで明るい。
アルゼンチン/チリ国境の柵 pm20:11チリ国境事務所(Rio Don Guillermo) pm20:54

22日、8時半頃から散歩を兼ねてレンタカー屋さんに出かける。港にはフェリー船が停泊している。しゃれたホテルがある。そのすぐ近くにレンタカー屋はあり、9時オープンの10分前には着いた。一番で手続きができた。ニッサンのX-Trail 4WD。それでも出発は9時半となった。
プエルト・ナタレスの港港に面したホテル

パイネ国立公園へはツアーなどは通常アマルガ湖から入るが、近道のリオ・セラノにある国立公園管理局に向かう。9号線から290号の分岐を通り過ぎ戻ったという時間的ロスがあったが、12時に管理事務所に着いた。3日間以上の入園料は 33US$ だった。リオ・セラノに着く手前からパイネの山々の全貌が望めた。今回も初日good天気です。
左:パイネ・グランデ(3050m)、右:クエルノス・デル・パイネ(2600m)

パイネ・グランデ(拡大)クエルノス・デル・パイネ(拡大)

有名なペオエ・ホテルに向かい、早速写真を撮り、景色の良い窓側の席で昼食を摂った。
ペオエ湖からのクエルノス・デル・パイネペオエ・ホテルとパイネ・グランデ、pm12:34

昼食後は、プデートの船着き場先の駐車場まで走り、豪快なサルト・グランデ(大滝)を見学する。
大滝の下流部サルト・グランデ(大滝)pm14:05

そして、クエルノス・デル・パイネ展望台の方に歩き出すが、途中で小雨が降ってきたこともあり引き返す。よって、最も近くで見た左下写真はあまり写りが良くない。次にグレイ湖の方に回る。駐車場から橋を渡るが、この橋が一時に数人までで帰ってくる人もいて渋滞している。雨が降ってきて傘をさす。グレイ湖の砂州(モレーン)の向こうが展望台らしいが、良い景色は望むべくもなく途中で引き返す。
クエルノス・デル・パイネを近くに望むグレイ湖、砂州(モレーン)

そして、リオ・セラノホテルにチェックインした。パイネには高額なホテルしかなく(一泊一人3万円に近い、山小屋は別で調べてない)、バス、タクシーもなく移動に不自由なのでレンタカーを借りた。ホテルからはウエルカムドリンクのシャンペンの差し入れがあった。本日の行程を振り返り、順調に行っていることを感謝してビールで乾杯する。
グレイ湖、pm16:43リオ・セラノ・ホテルのビールで乾杯

23日は、トーレス・デル・パイネを見るためにラス・トーレス氷河湖までのトレッキングの日ですが、朝、雨が降っていて、ゆっくりと出発しての行けるところまでとなりそうです。8時30分にホテルを出発して、アマルガ湖近くの国立公園管理局には9時40分ころに着いた。この頃には天気は曇り空でトーレス・デル・パイネも望めるようになった(左下写真、上部は曇だが)。
管理局前からトーレス・デル・パイネ管理局前のリオ・パイネ川

車で少し走って、登山口のラス・トーレス駐車場を10時15分に出発し、左下写真のラス・トーレス・ホテルは10時30分頃に通過した。
登山口のラス・トーレス・ホテルチレーノ小屋で昼食

山道になり、途中から雨が降り出し、12時にチレーノ小屋に着いた時には本降りになっていた。ホテルへ注文したサンドイッチ弁当を二人で食べた。ここでこれ以上上に行くことは止めて引き返すことにした。14時10分に駐車場に戻った。下に降りると雨はなくなる。上部の雲による雨だ。あとはドライブでアマルガ湖の絶景ポイントと言われるところでカメラを構えるが今日はあきらめる。道路脇に多くのグアナコが生息している(右下写真)。ホテル16時20分戻りで、私はゆっくりとお風呂に入り、洗濯も終わらせた。川原さんはリゾートホテルでスパがあるので、そちらでくつろぐ。
アマルガ湖とニッサン X-Trail 4WDグアナコ

24日、雨が降り続くので、出発を遅らせる。9時20分出発でアズール湖を目指す。出発してすぐの高台から宿泊しているホテル方向を撮ったのが左下写真です。蛇行しているリオ・セラノ川の真ん中にホテルはある。アマルガ湖の先にパイネの滝がある(右下写真)。それほどの落差ではないが。
リオ・セラノ・ホテルを望むパイネの滝

アズール湖は静寂な場所だった(左下写真)。人もほとんどいない。戻って、12時、アマルガ湖からやっとトーレス・デル・パイネの最高峰が望めた。一番左の塔が一番高い、2850m、次が2800mです。その右が2600mで、トーレスとは塔のことです。
アズール湖アマルガ湖から望むトーレス・デル・パイネ
(パイネの塔)

ペオエキャンプ場まで戻り、レストランで昼食を摂る(13時30分)。クエルノス・デル・パイネが見えてくる。但し、また風が強い。クエルノスとは角の意味です。
アマルガ湖ペオエキャンプ場からのクエルノス・デル・パイネ
(パイネの角)

夕方天気は良くなり、ホテルの庭からクエルノス・デル・パイネが良く見えるようになった。角も良く見えるように。
クエルノス・デル・パイネ(パイネの角)

25日、今日はパイネを去る日、やっと晴れた朝を迎えた。パイネグランデの最高峰が初日以来で久しぶりだ(左下写真)。プエルト・ナタレスまで戻るが、パイネを眺めながら帰れる。
陽の当たりはじめたパイネグランデ am6:38クエルノス・デル・パイネ am6:38

リオ・セラノホテルの窓から am7:27リオ・セラノ川 am8:19

ペオエ湖からのパイネ・グランデ am8:44ペオエ湖からのクエルノス・デル・パイネ

トーレス・デル・パイネ am9:25アマルガ湖から、左の最高峰が見える am9:41

11時30分頃にプエルト・ナタレスに戻った。ガソリンを満タンにする。ガソリンは62リッター入った。630km走った。燃料計はすでに警告を発していてもう残りは2〜3リッターだったはずだ。パイネにはガソリンスタンドがなく、給油できなかった。それよりもガソリンスタンドはチリペソでないと受け取らないという。チリペソには両替してなくて、3日半なのでカード払い主体で対応してきた。車の返却期限は12時、あわてて両替屋を探すが、土曜日でクローズの店が多く、看板も出てない店を探すのでらちがあかない。やっと見つけ出し両替し、レンタカー屋に戻ったのはちょうど12時になっていた。
14時30分発バスでカラファテに向かったが、国境で時間がかかり、1時間20分遅れて20時50分にカラファテBCに戻った。出発が14時半だったのでまだ良かった。夕食時間に間に合った。

26日、カラファテ発12時10分の飛行機で、13時半にフエゴ島のウシュアイアに到着した。ホテルチェックインの後、昼食後、町の散策、明日のクルーズ船の集合場所など確認する。また、Rumbo Sur社に出向き、ティエラ・デル・フエゴ(火の大地の意味)国立公園の午前からの半日ツアーバスを予約/購入した。左下写真はウシュアイアの中心通り、サンマルティン通りです。
ウシュアイアの町世界の果て号列車と駅

27日、8時迎えのバスで国立公園に向かう。まず「世界の果て」駅で下車する。ほとんどの人が列車に乗車するが、我々は写真を撮るだけで、バスで列車の終着駅に行く。この線は、ウシュアイア監獄での炊事や暖房などに使う薪を森から運ぶために敷設された、1910年。廃線後7kmが観光鉄道として復活した。まさに世界最南を走る列車だ。バスは途中で入園料560ペソを払い、列車終着駅、国立公園駅で全員が乗り、ラパタイア湾に向かう。
世界の果て号列車の看板
TREN DEL FIN DEL MUNDO
世界の果て郵便局

ラパタイア湾には「世界の果て郵便局」がある。外にはポストがあり、中では、スタンプを有料3US$でパスポートに押してくれる、これは記念になる。
郵便局内部郵便局、外のポスト

また、ここで国道3号線は終点となり、未舗装道路で終わる。ブエノスアイレスから3079km、アラスカから17848km(パンアメリカンハイウエイの終点)の看板が立っている。
国道3号終点、ブエノスアイレスから3079km3079kmの道路標識

13時30分にウシュアイアに戻る予定が少し遅れたが、近くのレストランで昼食後、クルーズ船の集合場所に向かう。集合時間は15時、出港は15時30分だった。
クルーズ船へ乗船ウシュアイアの町

ビーグル水道ツアーは、まず近くのロスロボス島付近で海鳥、アザラシの生息地を見学し、少し離れたマゼランペンギンの生息するゲーブル島へ向かう。海峡の向かい側はチリ領のウイリアムという町だ。18時半頃になっているから3時間は経過している。無数のマゼランペンギンを間近で見ることができる。
マゼランペンギン pm18:36マゼランペンギン拡大

28日は、ウシュアイアからカラファテに飛行機で戻った。午後時間があったので、ニメス湖方面に散歩に出かける。最後に国立公園管理局に入ったが、なかなか良かった。地球の歩き方に記載がないが、入れた方が良さそうです。夕食に「すしバー藤」に行ったが、「店を閉めたのです」と言われたのには驚いた。私と同年齢位のご夫妻でやっておられたからそれは理解できるのだが、先日来たばっかりなのにビックリした。

29日、カラファテから飛行機でブエノスアイレスに到着し、サボイホテルに落ち着いた。サボイホテルはアインシュタインも宿泊したという四つ星の100年の歴史があるという老舗ホテルです。そして、夜のタンゴショーに出かける。ラ・ベンタナLa Ventanaという有名なお店です。バスでの送迎付きで、20時から夕食、そして22時からショーが始まった。音楽とダンスショーはやはり大変楽しく良かった。
ブエノスアイレス、サボイホテルタンゴショー(ラ・ベンタナ)

タンゴショー(ラ・ベンタナ)タンゴショー(ラ・ベンタナ)

30日、午前市内観光、タクシーで大聖堂まで行き、内部をゆっくりと見学した。五月広場をぶらぶらと歩き、大統領府はお休みだった。第3ドッグも見学した。徒歩でホテルに戻った。
ブエノスアイレス、大聖堂ブエノスアイレス、大聖堂内部

ブエノスアイレス、五月広場ブエノスアイレスの街並み

ブエノスアイレス18時05分発ルフトハンザ航空で、フランクフルト31日11時15分着。18時発に乗り換え、羽田空港に2月1日13時05分着予定に30分位遅れたが、荷物が出てくるのに1時間位かかり、受け取れたのは15時をすぎていた。何やら羽田空港国際線の弱点を見た気がした。これでは、ハブ空港にはなれない、国内線乗り換えにも支障をきたしていた。

☆参考文献、地図
個人旅行の参考文献としては、やはり、「地球の歩き方」が一番だと感じました。観光、バス会社情報など、そして観光案内地図も充実しています。各社のツアー会社の模式的な地図や絵地図も参考になります。
購入した地図は、パタゴニアとフエゴ国立公園の両方が収まった@「PATAGONIA & TIERRA DEL FUEGO 75万,220万分ノ1」INTERNATIONAL TRAVEL MAPS社、と、
Aフィッツロイ、パイネ地域のトレッキングマップ「PATAGONIA, Fitz Roy, Cerro Torre, Perito Moreno Glacier, Torres Del Paine 16万分ノ1」Terra Quest社、をアマゾンで購入した。
@は全体把握に、Aはトレッキングに役立った。

☆費用
費用について少し触れておきますと、飛行機、ホテル、バス、レンタカーに、食事/飲み物など全部込みで、約60万円でした。ツアーの約90万円に対して、2/3で行けました。
ホテル代はパイネが飛び切り高く¥29,000円/人日、カラファテなどの町のホテル代は¥6,000円/人日前後、そしてブエノスアイレスのサボイホテルが一番安く¥5,400円/人日なのは、なぜなのかはわかりません。

☆感想。
1.久しぶりのスペイン語圏の個人旅行を十分楽しみ堪能できました。二人旅行では相棒との協力がうまく行ったと思います。それぞれの長所を生かしてお互いの気づかない所を補ってスムーズに個人旅行が遂行できた、感謝です。
2.フィッツロイ、パイネの山々は、その鋭く尖った鋒は魅力的だが、標高1000m付近の氷河湖に登るトレッキングは、雲に近づき雨が降る確率が高くなり、しかも強風が吹くのでトレッキング的にはあまり向いていない気がした。一方で、そういう厳しい環境/状況を味わうとい両面があると思った。やはり、南の果ての地がそうさせているのだろう。
3.最果ての地、ウシュアイアは行って良かったと本当に思った。世界の果て号列車のいきさつや、郵便局、国道の終点、ペンギンクルーズなど観光地として見るべきものが多かった。
4.ブエノスアイレスのアルゼンチンタンゴショーはやはり必見のものであり、入国審査の厳しいアメリカ経由でなく、ヨーロッパ経由が良かったと感じた。



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