2021年3月記録

6.与那国島、石垣島於茂登岳、波照間島と竹富島

Date:2021年3月18日(木)〜24日(水)
Notes:
今回の旅は、日本の最西端(与那国島)と最南端(波照間島)を訪問することに加え、50年ぶりの竹富島と於茂登岳(沖縄最高峰)に登ることです。

18日、羽田空港から石垣空港に午後2時半頃に到着。この日は市内散歩で宮良殿内周辺を散策した。
19日、与那国島へ飛行機で向かう。石垣空港待合室から於茂登岳が正面に望めた。30分ほどで与那国空港に到着するが、その間、窓からは西表島他の島々を眺めることができた。
石垣空港から望む於茂登岳 与那国空港に到着

11時頃からレンタカーを借りて、島内一周観光です。
ティンダバナの案内板 ティンダバナの断崖

まずは最も有名なティンダバナに向かう。標高79mの切り立った断崖の中腹にある岩穴は、その昔、島を統治した女酋長サンアイ・イソバの住居だったといわれている。現在は展望スポットとして整備され、祖納集落やその奥に広がるブルーの海を一望できる。洞窟の奥からは水が湧き出ていて水槽に貯められている。地層の境界にあたり、下の地層が八重山層群の泥岩や砂岩で、上の地層が琉球層群の石灰岩です。
サンアイ・イソバの住居跡? 祖納集落、東シナ海を望む

次に向かったのが、祖納集落の東北の海に面したところにある浦野墓地群です。多くの通常沖縄でよく見られる亀甲墓の中で、目を引くのが最大のお墓です。村の有力者の墓と思われますが、広い敷地に、立派な門、中の建物と桁違いでした。
浦野墓地群最大のお墓の門 そのお墓の入っている建物


昼食は祖納集落に戻って八重山そばをいただく。祖納集落には町役場がある。与那国島一島で与那国町を形成している、人口は1700人弱。
浦野墓地、亀甲墓 八重山そば

午後は東方向から一周に向かう。東牧場にはヨナグニウマ、その中に遠見火番所(ダティクチディ)がある。海上監視や出入りする船の通報などを行った。番小屋は毎年造り替えられた。その先が東崎(あがりさき)。「東崎」と書いて「あがりさき」と読む。太陽があがる崎です。灯台があり、その先まで行ってみる。
遠見火番所(ダティクチディ) 東牧場、東崎灯台とヨナグニウマ

南西に向きを変えて向かうところは、サンニヌダイに立神岩。サンニヌダイには、切り立った岩肌は雄大な景観を呈し、与那国随一の景勝地と書かれている。この後、宇良部岳231m、与那国の最高点に向かう。電波塔が立っているが、三角点の場所には行けなかった。
サンニヌダイ 立神岩

そして、南の海岸沿いの道路を走り、比川村、陸上自衛隊与那国駐屯地を通過して、本日の目的地、最西端の地、西崎(いりさき)にたどり着く。「西」は「いり」と読む。さすがに台湾は見えなかったが、西の果てにて思いを巡らす。「日本国最西端之地与那国島」、今回は3人の旅です。
日本最西端の地 最西端の灯台と休憩所

東に目を向ければ、久部良漁港が見える。フェリーが入っているようだ。
最西端の緯度、経度他 久部良(クブラ)港を望む

その久部良漁港の先に久部良バリがある。海岸へ傾き出た大岩石の割れ目であって、全長20m余、幅3〜5m、深さ7〜8m。人頭税に苦しむ島では、人口制限のため村々の妊婦を集めて、このバリ(割れ目の意)を跳ばせるという残酷なことを行ったという伝説がつくられた地。一帯はクラブフリシと呼ばれ、景勝の地でもある。
久部良バリの案内板 久部良バリ

祖納へ戻り、伝統工芸館など見た後、空港でレンタカーを返却し、久部良の「民宿もすら」へ送ってもらう。
民宿もすら 20日、与那国空港発の飛行機

20日、飛行機で石垣島に戻る。ホテルに荷物を預けてから、タクシーで於茂登(おもと)岳に向かう。登山口から1時間半ほどで頂上に着く。
於茂登岳登山口(下山後の撮影) 於茂登岳山頂

頂上は平坦な中に3つのピークがあり、最初にNTT基地局の鉄塔、そして電波塔に着き、三角点はその横の方にあるが、高い笹に覆われここからの展望はない。電波塔、基地局からは展望が得られる。50年前、1971年3月、沖縄の日本復帰前、西表島探訪の折に登っている。
於茂登岳三角点(526m) 於茂登岳山頂の電波塔(NTT鉄塔より)

ホテルに戻る前に鍾乳洞に立ち寄る。全長3.2kmのうち約660mを公開中と書かれている。通常の鍾乳洞だが、その中の一部にはイルミネーションが施され、より一層ファンタジックな空間を演出している。
石垣島鍾乳洞 鍾乳洞がライトアップされている

21日は高速船で波照間島に向かう。前日に波照間の宿から電話連絡があり、22日は波高くなり船欠航の可能性が高いので、延泊不可なら来ない方が良いと言われた。我々は竹富島で2泊予定していて余裕があるので行きますと返答し、波照間島に向かう。21日はそれまでの好天は終了し、天気は曇りでどんよりとした空に変わっていた。実際、21日午後の2便、3便は欠航になり日帰り予定の人は波照間行をあきらめたと思われるし、22日も終日欠航となった。
石垣港を出港し波照間島に向かう 火番盛

波照間島もレンタカーで島を一周する。最初に島中央部の集落のはずれにある火番盛を訪れる。コート盛(火番盛)、旧藩時代の火番所、海上監視や船の通報のため烽火を揚げたと書かれている。44.1mの三角点がこの火番盛の上に設置されている。ちょうど測量会社が火番盛の形状測量をやっていた。次に下田原城跡を見たあと、シムスケ(古井戸)を見学した。海岸のそばだが塩味は感じない、水量豊富。
火番盛の上に設置された三角点 シムスケ(古井戸)

島東方の三角点34.4mが電子基準点に変わっていた。
レンタカー 電子基準点


島の東端に波照間空港(滑走路長:800m)がある。現在定期便は就航していないが、救急患者搬送などの必要性から職員は常駐し稼働している。高速船で1時間で行けるが、波が高くなると今回のように欠航になることがあるためと考えられる。
高那崎の先、最南端に近いところに星空観測タワーがあるが閉まっていた。昼はプラネタリウム、夜間は星空観測ツアーが行われていたようですが、現在はお客も少ないためか休止中です。
波照間空港 星空観測タワー

波照間島は日本最南端の地、無人島を含まない、民間人が行くことが可能な日本の最南端である。高那崎の南に日本最南端の碑が設置されている。(地理上の最南端としては沖の鳥島があるが、数十cmの露岩2つからなる島です。)波照間島は竹富町に属し、人口は500人弱。
波照間島、日本最南端之碑 日本最南端の地、南方、太平洋を望む

12〜4月はサトウキビの収穫期、取ったキビは島唯一の製糖工場に運ばれ、波照間黒糖が作られる。製糖工場から西の浜辺が北浜と書いてニシ浜、砂浜が約1.5km続く、ハテルマブルーに感動の八重山屈指の美しさ、と書かれた海水浴のオススメスポット。残念ながら今日は曇りの肌寒い日でほんのわずかな人たちが海に入っていた。我々も食堂がお休みなので、弁当を集落の売店で買ってきてニシ浜で昼食にした。休憩所とトイレがある。
サトウキビの収穫 ニシ浜、海水浴スポット

午後は島の最高所にある灯台に向かう。波照間の灯台は島の真ん中の最高所にある。標高59.7mの三角点のそばで、周囲すべての方向から望める灯台ということになる。日本最南端の灯台です。その横に水タンクが2基ある。農業用給水所と書かれた看板がある。島の各所にある貯水池に貯められた水を一たんここにポンプアップして貯め、畑に水路で給水する。
天気も良くないので早めにレンタカーを返却して、民宿うるま家に落ち着いた。夕食は、電気工事関係で今日帰れなくなった5名の方と一緒した。
波照間灯台は島の最高所にある,59.7m 水タンクも同じく最高所にある

22日、やはり全便欠航になった。昨夜は寒かったし、今日も風があって寒い。9時頃に散歩に出かける。小、中学校は併設で村の中心部にあり、職員宿舎もすぐ隣にある。離職先生の送別会は中止になったとの貼り紙があった。幼稚園では赤白の幕を張って、卒園式をやっていた。
今日見たかったのは、海水淡水化施設だ。これも島の最高所ではないが標高50mの三角点の側にある。海の近くにある水源地から海水をポンプアップして淡水化して、50mの高所から各家庭に上水を供給している。波照間島では渇水との戦いの歴史であったと書かれている。井戸は主に農業用水として使用されてきた。理由は、井戸水は濁りと塩分を含んでいるので飲用に不適だった。雨水を天水として水槽に貯留し、飲料水としていたが、干ばつの時期が長く続いた。簡易水道も簡単ではなく何度も改良されて現在の姿になっている。
波照間小、中学校 波照間簡易水道海水淡水化施設

バナナの花 民宿うるま家

23日、波照間港9時50分発の高速船で石垣港に戻る。すぐに乗り換えて15分で竹富島に着く、11時45分。高那旅館に荷物を預けて観光に出かける。明日も雨予報なので午後の半日観光です。
波照間港発 竹富島、なごみの塔

まずは「なごみの塔」。昔は簡単な木造の展望所だったと思われるが、今は立派なRC造の展望台になっている、島観光の中心地です。昼食「そば処竹の子」が混んでいるので、先に西桟橋に向かう。海に向かって105m伸びる桟橋は夕日の名所と知られ人気スポットで、人が多い。
西桟橋 アマリリス?

昼食後、喜宝院、世持御嶽、西塘御嶽、水牛車乗り場、と見て回る。
昼食「竹の子」の前の道 水牛車の控え所

竹富小、中学校の脇に仲筋井戸がある。1976年に石垣島から海底送水が引かれるまで飲料水の供給源として利用されていた貴重な井戸でしたと書かれている。大きな井戸で、50年前はこの井戸が飲料水だった。渇水他の問題があり、石垣島からパイプで送られるようになった。その水が給水塔(貯水タンク)に貯められて、各家に送水されている。給水塔は33.1mの三角点のある竹富島の最高所に建てられている。波照間島とは少し状況が異なる。
仲筋井戸 給水塔(貯水タンク)

この後、50年前に7名で購入した土地を見に行ったが、この話は省略する。そして、今はホテル「星のや竹富島」が建つ時代で、牧場の一部を借りて?建てられた所を見に行ったが、門前で断られた。
デイゴ カイジ浜の夕陽

一たん旅館に戻り、夕方、カイジ浜、コンドイ浜に夕陽を見に出かけた。
竹富小、中学校 高那旅館

24日は肌寒い雨の天気の中、石垣港に戻った。八重山博物館を訪問した。15時過ぎの羽田空港行きで東京に戻った。

50年前、大学の3年から4年になる3月に、西表島一周と横断を目指した。総理府発行のパスポートとUS$持参で貧乏旅行をした。沖縄に1ヶ月弱の滞在、西表島には2週間ほど滞在した。今回、コロナのこともあったが、3月に再訪する強い気持ちで行ってきた。それだけの価値のある旅であった。


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