ブータン・ヒマラヤ・ハイキング、7日間

2023年4月25日〜5月1日、7日間の記録

アルパインツアーの「ブータン・ヒマラヤ・ハイキングとプナカ7日間(4月25日発)」に参加した。参加者は12名で、ご夫婦2組、男性3名、女性5名、最高齢は89才の男性です。

25日は羽田空港からバンコクに着いてホテルで1泊した。翌26日バンコク発5時でブータンのパロ国際空港に向かった。パロ着陸前の7時前後にヒマラヤの山々が良く見えた。
下写真、マカルーですとガイドの久保さんから教えられた山は飛行機からはよく識別できなかったが、日本に帰って検討するとエベレストまで見えていることが判明した。中央左奥がエベレスト(8849m)、その右手前がマカルー(8463m)、エベレストの左肩にローツエ(8516m)が見えている。
中央左奥がエベレスト(8849m)、右手前にマカルー(8463m) am6:52

そしてパロ空港に近づくと、ネパール東端に位置するカンチェンジュンガ(8586m)と、ブータンの名峰チョモラリ(7314m)が見えた。世界最高峰、3位、4位と5位の山々が飛行機から見えたことになる。
カンチェンジュンガ(8586m) am7:03チョモラリ(7314m) am7:07

パロ空港(2250m)に7時20分頃に着いた。良い天気です。
パロ空港パロ空港の建物

いったん明日以降3日間お世話になるDrukchenホテルにて休憩する。そして車でプナカへ向かう。途中ドチュラ峠(3150m)を越える。ブータン最高峰ガンガーブンズム(7570m)、マサコン(7200m)などが晴れていれば見えるはずだが、あいにく曇っていて見えない。
Drukchenホテルドチュラ峠の山案内板

休憩所で紅茶一杯をいただき、峠の山案内板、108基の仏塔とチョルテンなどを眺めて、峠を下る。
ドチュラ峠の仏塔ドチュラ峠のシャクナゲ

プナカに向かう途中にチミラカンというお寺がある。子宝の寺として知られている。その由来は、創健者の親戚の聖ドウクパクンレという僧が性のタブーを超越した存在で、農家が壁に広大な男性器を描く風習が見られる。不妊に悩む女性が参詣するとお坊さんが男性器形の棒で頭をなでてくれる。お寺までの道が手ごろなハイキングコースになっている。
農家の壁に描かれた男性器農家の壁に描かれた男性器

チミラカンプナカゾン

プナカ(1350m)は「冬の首都」であった町である。プナカのボチュとモチュの2つの川の合流点にプナカゾンがある。プナカゾンはブータン内で歴史的にも信仰的にも最も重要なゾンである。右上写真は現地ガイドのサンゲさん。2008年に再建された。屋根付き橋を渡って内部に入る。中庭に巨大な講堂がある。本尊は仏陀、左にパドマサンババ(写真は不可)。夕方17時頃に今日の宿、プナカの PemaKapro ホテルに到着した。
プナカゾン内部PemaKapro ホテル

27日は再度ドチュラ峠を越えて首都ティンプーに向かう。今日も曇っていて山々は望めなかった。途中で道沿いの野菜市場に立ち寄る。
プナカ郊外の展望地道路沿いの野菜市場

首都ティンプーの新しい町は緑色の屋根一色だった。市内に入ってまずターキン放牧場に向かう。ROYAL TAKIN PRESERVEの看板がかかっている。ターキンとは体が牛で、顔がやぎの珍獣でブータンの獣とされている。
ティンプー市内を見下ろすTAKIN PRESERVEの看板

放牧場を下るとタシチョ・ゾンが見えてくる。中央政府にあたるところで、国王、大僧正の座所があり、ブータンの政治・信仰の中心である。
ターキン放牧場タシチョ・ゾン外観

昼食を Naughiy Pigs で摂ったあと、市内散策に出かける。交差点には信号はなく、警官が手でさばいている。
昼食 NAUGHIY PIGS交差点

織物の店では、大谷映芳さんの本「辺境へ」に書かれてて、旅行前に再読して記憶にあった織子ジャンベイさんとその娘さんに偶然出会った。大谷さんが最初にブータンを訪問された1984年に10代であった女性が右の女性になる。40年近くが経過している。そしてメモリアルチョルテンに立ち寄って今日の観光は終了し、17時頃Drukchenホテルに戻った。
織物店のジャンベイさんとその娘メモリアルチョルテン

28日はチェレ峠(3810m)から天気がよければチョモラリが望める日です。チェレ峠へ着いたのは9時10分頃。6000mに近い白い峰々は望めるが、7000mを越すチョモラリは残念ながら望めない。峠での全員集合写真のあと、ハイキングに出かける。
サクラソウチェレ峠で、3810m

50分ほど歩いた3900m台の小ピークまでとなる。
3900m台の小ピークで

チェレ峠からは西側の「ハ」という村(サンゲさんの自宅がある)に下り、ある民家での昼食の後、民族衣装での撮影となった。男性が「ゴ」、女性が「キラ」と呼ばれる衣装である。
民家のオーナとその娘と孫娘民族衣装「ゴ」と「キラ」

大きな家で立派な仏間もあった。
仏間民家の外観

29日早朝散歩に出かける。ホテルから空港滑走路が良く見えており、川を渡って滑走路まで行き、フェンスのところで河原におりてみた。
パロ空港滑走路、道路とパロチュー川 Drukchenホテル、入口の門

今日はタクツアン僧院への1日ハイキングの日です。タクツアン僧院は、岩にへばりつくように建ち、荘厳な雰囲気がただよう僧院で、ブータン観光のハイライトとも言える。往復徒歩約5時間、内部観光に昼食を加えると1日コースとなる。登山口を出発したのは8時15分。
タクツアン僧院、登山口レストハウスとタクツアン僧院を望む

レストハウスを経て、いったん滝のあるところへ下って最後の登りでタクツアン僧院に達する。ちょうど12時頃だった。靴を脱いで僧院内を見て回る。
タクツアン僧院を望む滝がある

昼食はレストハウスまで戻って、13時半〜14時10分だった。15時登山口戻り。
タクツアン僧院を振り返る

タクツアン僧院のあとは、キチュラカンとパロ・ゾンを見学した。キチュラカンは新旧2堂が双子のように並ぶ。旧堂は釈迦を中心に複数の十一面千手観音が安置されている。新堂にはパドマサンババの巨像が安置されている。
キチュラカンキチュラカン

パロ・ゾンの歴史は省略して、現在もパロ県の県庁であり、県内最大の寺院。まさに「生きている史跡」だといえる。
パロ・ゾンパロ・ゾン内部


パロの町を見下ろすパロ市内の風景

30日、パロ⇒バンコク⇒5月1日、8時10分成田着で帰国した。

「しあわせの国」といわれるブータンに来て、ほんとうに「しあわせ」を感じて帰国できた。日本からのコロナ禍以降再開第1号のツアーとして、ブータン側の歓待の心を十分に感じました。チベット仏教は、ここブータンでは、ラサや、ラダック、雲南、ネパールとはまた一味違った密教文化を、男性器描写という特徴的な形で表現された。インドヒンズー文化を含めてチベット密教文化の残っていた1点を埋めることができた。

*Note1:photoshopでの画像処理中に画像処理ができなくなり、写真の掲載が途中までとなり、一部の写真が未掲載です、特にタクツアン僧院の写真がないのは残念ですが、未完のここまでとして掲載することにした。
他にもパソコン上の問題が多く、この「ブータン」掲載でHPの更新が終わることになると思います。

*Note2:新しいノートPCで写真の補充はできたが、慣れないため、時間がかかり、今後の更新のことは不明です(05/11)


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