感動のウズベキスタン

2023年10月11日〜17日、7日間の記録

JTB旅物語の「感動のウズベキスタン7日間」に参加した。ヒヴア、ブハラ、サマルカンド、タシケントのシルクロード4都市を観光した。参加者は20名で、夫婦3組、母娘2組、女友達1組、男性2名、女性6名、最高齢は77才喜寿の方が3名でした。

11日は成田空港13時20分発アシアナ航空で、ソウル経由、タシケントに20時20分着です。タシケントでは高級ホテルに一泊した。
12日は早朝4時30分ホテル発、6時発の飛行機でウルゲンチ7時30分着。バスで最初の目的地、ヒヴアに着いた。ヒヴアは首都タシケントの西約1000km、ホレズム州にあるアマダリヤ川下流のオアシスの町である。イスラムの聖都となったヒヴアの町は町全体が「博物館都市」に指定され、内城イチャン・カラ内に20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットなどがある。
今夜のホテル、オリエントスターヒヴア
ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ
カルタ・ミノルを望む

西門を入ってすぐに、現在ホテルとして使用されているムハンマド・アミン・ハン・メドレセがある。今夜宿泊する。このホテルにまず荷物を預けてから観光に出かける。あらためて西門から入場料を払って入場する。西門から東門へ通ずる道がメインストリートで、青と緑と白のタイルで飾られた未完成のミナレット、カルタ・ミノルが正面に望める。
クフア・アルクの城壁クフア・アルク内の
カラフルなアイヴァン

そして反対側にクフア・アルクの城壁が続く。古い宮殿という意味のハンの宮殿で、中に入るとカラフルなアイヴァンが目立つ。メインストリートにはたくさんの店が並んでいる。帽子を買った人がいた。昼食はシュヴィド・オシュという香草を練りこんだ麺に具を載せた料理、この地方の伝統料理だそうだ。
帽子を買っているところ、バックは西門昼食、シュヴィド・オシュ

午後はまずジュマ・モスク、このモスクの珍しいところは木の柱でできている点です。約3m間隔で213本の木の柱でできている。中は薄暗い。柱の彫刻は一本一本違う。中央アジアで最も有名なモスクのひとつとのこと、10世紀に建てられたが修復工事を重ねて今の形になったのは18世紀末とのこと。次のタシュ・ハウリ宮殿は、ヒヴァで最も豪華なタイルや装飾インテリアで飾られていて、儀式の場などが公開されている。
ジュマ・モスク内、木の柱タシュ・ハウリ宮殿内

徒歩で東門から南門へと歩き、ヒヴァでいちばん高いミナレットのあるイスラム・ホジャ・メドレセなどを見て回る。夕食のあと、カルタ・ミノルをはじめ夜景が美しかった。
ここで現地通貨の話。ウズベクの通貨はツム。現地旅行会社が一人当たり30US$=300,000ツム(手数料込みの両替率)で小型紙幣に両替を準備していて、両替し、ちょうど使い切った。トイレとビール/ワインに必要になる。ウズベキではレストラン以外はほぼ全てのトイレは有料で2,000ツム=約30円が一般的(3,000ツムもあり)、ビール/ワインは40,000ツム=4US$、毎日のビール一杯で200,000ツムが必要になる。ビール600円は日本では通常の値段だが、ウズベキの他の一般物価からするとかなり高いです。
イスラム・ホジャ・メドレセの
ミナレット
カルタ・ミノルの夜景

13日、バスでブハラに向かう。アムダリア川」を渡る。この川はパミール高原から流れ出し、アラル海(湖)に注ぐ。近年アラル海は干上り、環境破壊と騒がれていたが、意外と水の量は多かった。キジルクム砂漠の中を走り、ブハラに到着する。
アムダリア川を渡るイスマイル・サーマニー廟の概観

イスマイル・サーマニー廟は、イスラム初期の建築様式の霊廟で892年から943年にかけて造られた中央アジアに現存する最古のイスラム建築です。サーマン朝のイスマイル・サーマニーが父親のために建てた霊廟だが後になって彼も彼の孫も葬られたサーマン朝の王族の霊廟となった。モンゴル来襲で町が破壊された時、ほとんどが土中に埋もれていた。大きさは9m四方で、レンガを積み上げた構造になっている。
イスマイル・サーマニーのお墓イスマイル・サーマニー廟の内部ドーム

観光後旧市街のホテルに落ち着き、夜は徒歩でディナーショーに出かける。昨日、今日と寒い日が続き防寒対策を十分にして出かける。ライブミュージック+ファッションショーとなっていて、カラフルな衣装と踊りのショーだった。
ディナーショー夕食

14日、今日はブハラ歴史地区観光の日です。ブハラの黄金期は9世紀のサーマン朝時代に始まる。1220年のチンギスハンの来襲で灰に帰してしまったが、16世紀になってブハラは再びよみがえる。多くのモスクやメドレセが建造され、宗教的充実に多くの富が注ぎ込まれた。アルク城は18世紀の物で、歴代ブハラ・ハンの居城だった。広さは約4ヘクタールもあり、城内を歩いてまわって見学した。
アルク城カラーンモスクとミナレット

カラーンモスク、カラーンとはタジク語で大きいという意味で、非常に大きいモスクで、広さは約1ヘクタールある。ミナレットも高さ約46mでブハラで最も高い。ウルグベク・メドレセは中央アジアで最古の神学校で、1418年創設、1585年修復、ウルグベクが建てた。
カランモスク内部ウルグベク・メドレセ

タキとは大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールで、関所のような役割もあった。ラビハウズというオアシスの池に戻り、バスでブハラ駅に向かう。ここから特急列車アフラシャブ号にてサマルカンドへ、約300kmを約1時間半で17時頃に着いた。サマルカンドでの夕食はケバブだった。
タキ特急列車で移動、サマルカンドへ

15日はサマルカンドの観光です。"青の都“といわれるサマルカンドは常にシルコロードの中心都市としての道を歩んできた。1220年のモンゴル軍の攻撃により壊滅的な被害を受けた町をよみがえらせたのはティムールであった。
シャーヒズインダ廟群入口からの階段シャーヒズインダ廟群

アフラシャブの丘の南麓にあるシャーヒズインダ廟群はサマルカンド有数の聖地。ティムールゆかりの人々の霊廟がほぼ一直線に建ち並ぶ”死者の通り”で、その装飾の多様さ、美しさで、中央アジアでも指折りの名所といわれている。入り口の門を入って、階段を登りきると、廟群が道の両側に続く。全部で10個以上の廟が並んでいる。シャーヒズインダとは、“生ける王"という意味で、ある伝説「首をはねられても、永遠の生命を得て、救いに現れる」という、がもとになっている。
猫と戯れるシャーヒズインダ廟群から市内を望む

続いて、ビビハニム・モスクを訪問した。かつてイスラム世界で最大の規模を誇ったモスクで、ティムール帝国の繁栄の象徴と言える。
ビビハニム・モスク、巨大なアーチ門ビビハニム・モスク、大モスク

この後は、すぐ近くにあるショブ・バザールでおみやげを物色した。
バスで移動して、アミール・ティムール(グル・アミール)廟へ。グル・アミールとは、タジク語で”支配者の墓”の意味です。ティムールをはじめ、彼の息子たちが眠る霊廟である。ティムールの墓石は黒緑色の軟玉で造られ、中央に置かれている。その周囲の墓は、息子、ひ孫などの墓が並ぶ。
アミール・ティムール(グル・アミール)廟ティムールのお墓、中央の黒い墓

そして、最後にレギスタン広場に着く。
ティムールの写真レギスタン広場

レギスタンとは”砂地”の意味。主要道路の交差点であったレギスタン広場は、公共の広場として機能を果たし、謁見式、罪人の処刑なども行われていた。現在も大勢の人々の集まる場所で、結婚式前の写真撮影場所の定番としてにぎわっている。Aシェルドレ・メドレセは、向かって右側にある神学校で、左側の@ウルベルク・メドレセを模倣して造られたといわれている。
結婚式前の写真撮影に集まるカップルAシェルドレ・メドレセ

Bティラカリ・メドレセは正面の神学校であるが、この場所には最初大きなキャラバンサライが建てられていた。中庭に入って左側、青のドームの下に礼拝所があり、その荘厳さから”ティラカリ(金箔された)”という名が採られている。
Bティラカリ・メドレセティラカリ・メドレセの金箔の礼拝所

16日8時30分、バスでタシケントに向かう。約300km、5時間かかる。昼食を終えてタシケントに近いところでシルダリヤ川を渡る。この川も水量豊富に流れている。天山山脈から流れ出し、やはりアラル海に注ぐ。
シルダリア川を渡るタシケントの日本人墓地

タシケントの最初の観光地は日本人墓地。第2次世界大戦後、ソ連に抑留されこの地へ連行されて強制労働のためにこの地で没した79名の日本人が眠っている。静かな環境の中に墓碑と記念碑がたたずんでいる。市内中心部に移動して、ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場に出る。目の前の噴水は、水が吹きあがると綿花に見えるようにデザインされているとか。
タシケントの日本人墓地ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場

その後は、カフェやみやげを売る露店が続く歩行者道”ブロードウエイ”を散策しながら、ゴージャスな地下鉄駅、ムスタキリク・マイドニ駅から一駅乗り、ティムール広場のあるアミール・ティムール・ヒヨボニ駅で下車する。
”ブロードウエイ”を散策地下鉄駅、ムスタキリク・マイドニ駅

新市街の中心、ティムール広場の真ん中ににティムール像が立っている。そこから道路が放射状に出ている。国際会議場、時計台などが並ぶ一角に高層ホテルがある。ホテル・ウズベキスタン、古いがソ連時代の雰囲気を残す老舗の四つ星高級ホテルです。
ティムール像ホテル・ウズベキスタン

夕食後、空港へ向かう。タシケント発22時のアシアナ航空でソウル経由、翌日17日、11時20分、少し遅れて12時過ぎに成田空港に戻った。

シルクロードの中心都市サマルカンドを含む中央アジアのイスラム中世都市を見て回った。破壊されたり、埋もれていたりした古いモスクなどを復興、復元再現して美しくなった世界遺産。これでシルクロードの端から端までを自分なりに見終えたと思っている。

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