北東インドに残るチベット世界 アルナチャル
タワン、ジミタン村、セラ峠、モンパ族

2024年3月5日〜13日、9日間の記録

西遊旅行のツアーに参加した。インドの最東北部に位置する「日が昇る場所」を意味するアルナチャル・プラデーシュ州はインド・中国の国境紛争地帯でインドが実効支配している地域です。壮大なチベット仏教僧院が点在するタワンというモンパ族の町が中心都市で、ダライ・ラマ14世の亡命ルートとしても知られている。参加者は13名の満員で(男性4名、女性9名、キャンセル待ちが6名もいたと聞いた人気ツアー)、姉妹1組を除き、皆シングルでの参加です(最高齢は82才で80才台2名、60才台も2〜3名、70〜75才が過半を占めるツアー)。

5日成田空港11時30分発インド航空で、17時45分デリー着。翌6日9時55分デリー発、アッサム州グワハティ着12時20分。
トヨタ車クリスタ5台に分乗してテズプールに向かう。まずは昼食で、定番のインドカレーをいただく。本場アッサム州の茶畑を見学する。今日は曇っているが、30℃前後あるのか暑い。
昼食のカレー茶畑

夕方近くのドライブインでティータイム、アッサム州の民族服を着た女性と写真を撮る。レストランの名前はRhino、動物の名前だそうです。休憩後には日が暮れていた。
アッサム州の民族服を着た女性レストランRhinoの玄関

テズプールではKRCパレスというホテルに泊まった。町の中のホテルです。7日朝の撮影です。前日の夕食ではビール等のアルコールは飲めなかった。州の規則なのか?アルコール類は食事とは別にBarで飲むルールだそうです。7日は8時前に出発して一路北上し、アルナチャル・プラデーシュ州のディランを目指す。途中、まずオーキッド・センターに立ち寄る。
テズプールのホテルオーキッドセンターのラン

アルナチャル州に入るには事前に申請した許可証を提示しての入州ですが、我々にはあまりわからず、ちょっとした休憩で通過した。山々を越えて道は続く。途中に70〜80mの滝があり休憩です。各車3名の分乗乗車で今日後席でご一緒したHさんと写真を撮る。
道路沿いの滝ニチブの滝でHさんと

昼食でやっとビールが飲める。インドで有名なキングフィッシャービール、なぜか100ルピーほどと安い。16時頃にディランに着いた。ここからが今回ツアーの主観光地の始まりです。最初がディランゾン、ゾンには2種類あって、一つは王族の居城としての砦、もう一つが、チベット法王政府による徴税のための役所としての砦、ここは後者の方で、徴税のための砦です。石垣にその様子がうかがえます。
昼食のビールディランゾン

ゾンの周囲には家屋があり、現在もディラン・モンパ族が住んでいます。家屋の屋根の下の壁には木製の男性器を模した物を吊り下げる風習がある。悪霊や凶眼から守られる目的がある。次に、カストゥン僧院を訪問する。僧院内の壁画が美しい。17世紀に創建されたディランの中心の僧院。
家屋の壁に男性器風木製物カストゥン僧院

本尊は薬師如来。ここからは昔の村の中心であったディランゾンの全容が望める。18時頃ホテルに到着する。夕食にはキウイワインを飲んでみる。400ルピー(1.9〜2.0円/ルピー)ほどで安かった。当地でキウイフルーツが栽培されているとのこと。
ご本尊の薬師如来夕食のキウイワイン

第4日目にあたる8日朝、ホテルの周辺を散歩する。ディランの町は標高1700mで、川沿いの雰囲気の良い町です。
ディランのホテルディランの町の風景

7時半に出発して、カーラチャクラ僧院とTDL(Thupsung Dhargye Ling)僧院の二つを見学する。
カーラチャクラ僧院ご本尊の薬師如来

どちらもご本尊は薬師如来。TDL僧院は8〜9年前の創建と非常に新しく、豪華な構えです、寄付で建てられているということは、あるところにはお金はあるということです。
TDL僧院ご本尊の薬師如来

12時前にセラ峠に到着した。標高4200mあり、周囲には残雪が多い。高度の影響で足がズキズキする。ディラン地区とタワン地区の境界となる峠で、冬は閉ざされる。立派な門がある。峠から少し下ったところにセラ湖がある。まだ雪で全面に覆われている。ダライ・ラマ14世の亡命ルートである。モンパ民族はチベット仏教とボン教を信仰しているが、ここを境として同じモンパ族でも、ディランモンパ族とタワンモンパ族に分かれ、言語が異なる。ディランモンパの言語は東ブータンとほとんど同じ、タワンモンパの言語はチベットに近いと言われている。
セラ峠、4200mセラ湖

タワン地区に下っていくと、1962年の中印国境紛争で最後まで一人で戦った勇敢な兵士、ジャスウォント・シン氏を称える霊廟がある。
ジャスウォント・シン兵士の霊廟ジャスウォント・シン兵士の遺影

14時を過ぎてから、遅めの昼食となった。そのレストラン前でのスナップは、西遊旅行は若い女性の近藤由利子さんと現地ガイドのDavidさんです。
西遊/近藤さんと現地ガイドDavidさんタワン、キンメイ僧院

タワンに入っての最初の訪問地はキンメイ僧院。ニンマ派の僧院で、ご本尊は宗派創始者のパドマサンババ像。周囲の壁一面にはいろんな守護神(男性尊格)が明妃を抱く姿が描かれている。
パドマサンババ像歓喜仏、男性尊格が明妃を抱く

次のウルゲリン僧院はダライ・ラマ6世生誕の地です。
ウルゲリン僧院ダライ・ラマ6世の手形

僧院入口の右手に立つ大きな木は元々ダライ・ラマ6世の杖だったそうです。6世がラサに向かう時に自分の杖を地面に刺し、「この杖が木になり、大きく育って僧院と同じ高さになった時に、私はこの場所に戻ってくる」言い出発しました。1959年、ダライ・ラマ14世がチベットから亡命しタワンにたどり着いた時、その杖は大きく育ちちょうど僧院と同じ高さになっていたのです。
今夜のワインは、ブータンで造られたピーチワイン、昨日のワインと同じ少し甘いワインです、500ルピーでした。タワンは標高3000mあり、寒いのでビールよりワインの方が相応しい。
杖が大きな木に育ったブータンのピーチワイン

< 地図1.アルナチャル、アッサムの地図 >

< 地図2.タワン、ディラン地区のゾンの位置図 >

第5日目の9日、今日はタワン周辺の観光の日ですが、特別に許可申請を出しジミタン村に行けることになった。ジミタン出身のDavidさんの計らいで、しかもお祭りの日だとか。ホテルを6時50分に早出し、10時すぎにジミタン村に着いた。
タワンのホテルジミタン村のゴルサルチョルテンにて

僧院では祈祷が行われているが、まだ祭りの開始には少し早いようだ。ツアー全員の記念写真を撮る。
ジミタン村のゴルサルチョルテンでの記念写真

僧院の周囲の路上では露店がにぎわっている。Hさんが黒い帽子を買った。モンパの1系統でジミタン周辺に住むパンチェンパの帽子。ヤクの毛のフェルトで作っているが、そこに孔雀の羽根を竹で固定した飾りをつけている。
パンチェンパの帽子を被ったHさんジミタン僧院、近藤さん

3時頃、ルムラ村まで戻って、ドルマラカンを見学する。2017年4月ダライ・ラマ14世によって創建された新しい僧院です。
ルムラ村、ドルマラカントォングラン村、ダライ・ラマ14世亡命の道

次に、トォングラン村、ダライ・ラマ14世が亡命してきたルート/道が見える。宿泊した時は住居だったが、現在は僧院になっている。当時の写真、ダライ・ラマ14世は中央です。
14世が宿泊した家、現在は僧院14世亡命当時の写真

タワンのホテルに連泊した。夕食では今日もワインを頂いた。少し高かった(税込み1700ルピー)が、最も国境に近い村ジミタンまで行けたことを喜び、カリフォルニアの赤ワインにした(ホテルには本格的なワインの在庫はこれしかなかった)。
カリフォルニア赤ワインタワン僧院

第6日目の10日、昨日行けなかったゲルグ派のタワン僧院に向かう。チベット仏教で2番目に大きい僧院と言われている。タワンという地名には、”神の馬によって選ばれた場所”という意味がある。ダライ・ラマ14世がチベットから亡命してきた際に最初に落ち着かれた僧院として有名です。黄色い屋根の宿泊棟には500人近い僧/生徒が住む。学校も併設されている。
タワン僧院、本尊の弥勒菩薩黄色い屋根の宿泊棟

ブッダパークはタワン僧院のビューポイントです。タワンは敬虔な仏教徒であるモンパ族の中心地で人口5000人ほどの町ですが、多数の僧院が点在する。タワン僧院は山上に存在する。
タワンの町はずれから山々の展望が得られる。中国との暫定国境にゴリ・チェンGori・Chen(6858m)が望める、未踏峰である。その東にこのエリアKangto・Mtsの主峰であるカントkangto(7055m)、更にニエギエ・カンサンNyegyi・Kangsang(7047m)の二つの7000m峰が連なるがここからは見えない。カントは同志社大学隊が1988年に北側のチベット高原側から初登頂している。
タワン僧院を望むゴリ・チェン、6858m

セラ峠に向かう。セラ峠の南北両側下には軍隊の駐屯地が点在している。最近中国からの侵入が毎年に近く頻繁に見られる。セラ・トンネルが開通した。9日に開通式が行われ、モディ首相が出席し、10日から一般開放された。セラ峠の4200mを越えなくてもよいことになり、我々はその記念すべき初日にこのトンネルを通過した。4000m近くの最初のトンネルと3900m付近の2つ目のトンネルを過ぎて旧道に戻った。このトンネルは軍事的に大きい。雪に閉ざされる冬季にも前線拠点に部隊や装備の移動を円滑に行うことができる。観光面でも観光の期間が増える効果は大きい。
セラ峠近くの軍隊の駐屯地セラ・トンネル、開通

今日の宿泊はボンディラという町、標高2500m。今夜のワインは町で買ったインド/マハラシュトラ産のSULA赤ワイン(900ルピー)。
SULA赤ワイン(インド産)ボンディラのホテルでの夕食

第7日目の11日は、ガンデンラブゲリン僧院へ向かう。新しく豪華な装いで、内部の壁画、仏像も新しく豪華。タワン、ディランにも新しい僧院が建てられており、インド経済の良さを物語っており、実感として感じる。
ボンディラのホテルガンデンラブゲリン僧院

ルパ村に立ち寄り、古い住居に僧院を訪問した後、アッサム州テズプールに向かう。昼食のレストランには、ゴリ・チェンの写真が飾られていた。
ツブチョグ・ギャツェリン僧院ゴリ・チェン 6858m の写真

アッサム州に入って、温暖な低地民族の住居や機織りの様子を見学した。機織りは、会社組織Companyと書かれていた。
民家のお米の貯蔵庫民家の機織の様子

往路でも宿泊した同じホテルに到着、明日を含めて7日間お世話になったトヨタ車です。
第8日目の12日は、グワハティ空港まで車で行く。途中、行きにも寄ったRhinoで休憩した。
トヨタ車レストランRhino

グワハティ発17時、デリー着19時55分、発23時で、翌日12日9時55分に成田に戻った

<感想>
1.北東インドのアルナチャルと北西インドのラダック・レーは比較検討すべき場所であろう。一番大きな地理上の違いは飛行機で入れるか、入れないかの違いだと思う。レーは飛行機で簡単に入れるが、アルナチャルのタワン・ディランにはアッサム州のグワハティ空港から陸路のみで、2日かけて入る必要がある。
2.山・登山に関しては、ラダックはザンスカールを含めて登山対象の山が多くあり登山活動も活発に行われているが、アルナチャル州は中国国境との間に7000m級の山があるが登山活動はほぼ行われていない(と思う)。山が町から遠いこともあるが、交通手段・移動が大変であるからだろう。主に山の偵察活動で終わっている。
3.アルナチャルとラダック、どちらも中国との未確定国境による紛争勃発地域である。アルナチャルのタワン・ディランはダライ・ラマ14世の亡命ルートだったという特徴があり、今回はそのルートをたどることも目的の一つであったが、たまたま最奥のジミタン村までは入れ、モンパ族のお祭りにも遭遇し、地元パンチェンパ族の衣装・帽子なども身近に感じることができ、大変有意義だった。
4.タワンは高所地域であり、ビールは寒いこともあり今回はワインが夕食の友になったが、それも良き相棒に恵まれたためで、楽しく幸せに旅行を終えることができた、感謝しかない。
5.狭い道を通るので、バスでなく乗用車での移動で、車を追い越したり急停車したりと車酔いする人にはつらい行程であったと思われる。
6.新しいチベット僧院が続々と寄付で創建されており、セラ・トンネルの開通も含め、インド経済の上昇傾向を感じる。

<参考文献>
1.「神秘の大地、アルナチャル」水野一晴著、2012年3月30日発行、昭和堂
2.「インドの聖地タワンへ瞑想ツアー」銀色夏生著、2023年11月発行、角川文庫

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