エルブルース(5642m)登頂記

2002年9月6日〜9月16日の記録

2002年10月4日
栗本 俊和


2002年 9月6日〜16日にかけて、コ−カサス山脈(黒海とカスピ海の間)にあるロシアの、又ヨ−ロッパの最高峰であるエルブル−スに遠征し、13日に無事登頂しました。 今回は(株)ア−スデスクのツア−に参加しました。メンバ−は7名で、30才台から60才台までのバラエティ−に富んだパ−ティでした(但し、男性のみ)。

エルブルースとガラパシ小屋


9月6日 成田 → モスクワ 泊
朝、雨が降っている。メインザックは成田に先に送っているので、アタックザックを背負い、傘をさして、ピッケルとストックを入れた袋を手に持って、西武新宿線の電車で出発した。通勤時間少し前で程よく乗れ、山手線に乗り換えた後、日暮里からはスカイライナ−で成田第2タ−ミナルに着いた。アコンカグアで一緒だったYAさんと出会い、集合場所に予定時刻より少し早めに着いた。まだ仲間と思われる人達は見つけられなかった。荷物を取りに行ったり時間をつぶしている間に、それと思われる人達が数人集まっているので挨拶をした。若い人、年寄りの人、そして親子で話しているような人がいる。全員集まったところで、チェックインし、ボ−ディングパスを受取った。
ここで今日集まったメンバ−の紹介をします。年令順に。
最初は最高齢のOKさん、68才、奈良県よりの参加、モンブラン、アコンカグアと2度の登頂に失敗しており、今回は是が非でも登りたいという意欲がみなぎっている。キリマンジャロには登頂済(なお今回のメンバ−は全員キリマンジャロには登っている)。
2番手は、63才、神奈川県平塚市よりのMOさん。2年前にエルブル−スに挑戦したが、体調不良で登れなかったための再挑戦、写真が趣味でもある。
3番手は、私と一緒にアコンカグアに行き、登頂した61才のYAさん。社会人山岳会に所属しており、この中では一番登山のキャリアがありそう。ここまでは年金組みです。
現役組みの1番手が、4番手の私、53才。今年正月のアコンカグアには登頂できなかったが、海外の山はモンブラン、キリマンジャロ、キナバルに登頂している。アコンカグア再挑戦の前に、エルブル−スを腕試しと考えている。
5番目が宇都宮市からの52才のKOさん。キリマンジャロの次にこの山を目指したとか、持ってきた荷物が皆のなかで1番多そうで、登山の実力不明。
6番目、丁度40才になったばかりという秋田県のISさん。独身で100名山はとうの昔に、現在は300名山をめざし、精力的に国内の山にも登っている。昨年1人でエルブル−スに挑戦したが(ア−スデスク手配)、天気不良のためアタックの機会もなく敗退、今年再挑戦。ガイドとも顔見知りで、今回はパソコンなど持参し、余裕が見られる。モンブラン、マッタ−ホルンに単独で登ったとか、いずれアコンカグア、マッキンレ−に行きたい様子。
最後の7番目は、35才の東京都日野市のMUさん。2年前にアコンカグアに登ったとか。その時は、頂上に12時頃に着いたというから、その健脚ぶりが推し量れる。(ちなみに、YAさんは午後5時前の登頂で、C2のキャンプに戻ったのは夜10時前、もうへとへとで遭難一歩手前だった。)今回は、MU、ISさんの若手2名が、頂上アタックではかなり先行するであろうと、この時点で推測できた。
そして、日本から同行する添乗員兼ガイドは、ア−スデスクの誇る若手社員の石坂さん、32才、独身。エルブル−スには、10回以上登頂し、今年も2回目、ロシア通で、スキ−の名手でもあるとの事、若いが経験豊富で頼もしい感じがする。

さて、フライトの方は、12時発のアエロフロ−トSU576便。約1時間の遅れで離陸した。座席は、真ん中4人掛けの中の席28F、右隣通路側にMUさん、左1つあけて通路側にISさん、私の左28Eには、何故だかわからないが、若い日本人女性が遅れて乗ってきた。少しずつおしゃべりすると、ロシア語専攻の学生で、これからサンクトペテルブルク大学の大学院に国際関係論?専攻で留学するのだという事が判った。これ幸と、着陸の前1時間程で、にわかロシア語会話の勉強となった。日常必要な言葉をノ−トに書き込んで、発音して戴き、山での挨拶にそなえることにした。この中で最も頻繁に使ったのが、「お湯を下さい」という「ダ−イチェ ガリャ−チャヤ ブアダ−(give me hot water)」。みんなロシア語がわからない中で、役に立った。
フライトは1時間半遅れで、6時半頃モスクワ、シェレメチェブオ空港着。空港の出迎えには、これから10日間お世話になるガイドのウラジミ−ルが待っていた。彼はア−スデスクが毎回使っている優秀なガイドだそうで、背が高く長髪でがっちりした体格で、英語が出来、又写真家でもあり、エルブル−スをバックにしたヌ−ド写真をプレイボ−イに掲載しているのを見せて戴いた。ISさんも、MOさんも前回お世話になったとのことです。 我々は、空港を出て、モスクワの町に入り、途中、市中の両替所で両替をした。ちなみに、100US$=3160ル-ブルであり、1ル-ブルが4円程である。
市内を通過し、ロシア外務省の前に位置する今夜のホテルに到着したのは、9時前になっていた。軽くビ−ルとおつまみを食べた。この席で、今回の参加メンバ−表を戴いた。シャワ−を浴びて、就寝。

13.09.2002 expedition(写真班作成)


9月7日 モスクワ → ミン・ボディ → アザウロッジ(2250m)泊
国内線に乗り、ミンボディに向かう。片側3列の狭い飛行機が満員だった。ミンボディ空港では到着後、パスポ−ト集める。インツ−リストで何やらチェックがあるらしい。休憩とあわせて、1〜2時間費やして、3時前になってやっと出発。車で一路アザウを目指す。最初、高速道路のような良い道を走り、途中で一般国道のような道に変わり、徐々に山の中に入っていき、高度をあげていく。鉱山の町を過ぎ、いつのまにかアザウ・ロッジに着いた。6時過ぎになっていた。
夕食の頃より雨が降ってきて、肌寒い。雨は朝までかなり降り続いた。
部屋は3人部屋で、YAさんともう一人は、秋田のISさんが手を挙げて一緒になった。我々の部屋は1階で、トイレ、洗面所に近くて便利だ。彼は早速パソコンをつないで、イヤホンで音楽を聴いているようだ。後から聞いた話だと、クラシックから歌謡曲まであらゆるジャンルのミュ−ジックを入れてきたそうだ。昨年のこの山行で、順化スケジュ−ルがゆっくりで時間を持て余したので、今年は退屈しないように持ってきたそうだ。

<エルブルース概念図>

9月8日 ガラパシ小屋3800mまで高度順化 アザウ 泊
当初の予定では、今日は対岸にあるチェゲット山へ高度順化に出る予定になっていたが、日曜日でリフトが動いている可能性があるので、ガラパシ小屋へ荷揚げしようという事になった。アザウからは、通常ロ−プウエイ2本を乗り継いで、3500mのミ−ル駅までは歩かずに行ける。そこから先は、スキ−リフトがあるが、どうも当てにならないようだ。これに乗れれば、3800mのガラパシ小屋まで歩かずに行けて、荷揚げにはもってこいだ。靴はトレッキングシュ−ズで良いと考えていたのであるが、プラブ−ツが必要(雪があるということ)ということで、急遽、荷物の仕分けの段取りを変えた。
朝7時頃散歩に出てみる。雨あがりで、ロ−プウエイの下部が見える。気温は12〜13℃程であるが、かなり寒く感じる。出発8:30予定であったが、実際に出発したのは9時40分。5分程歩いてロ−プウエイ乗り場につく。 2本乗り継いで、ミ−ル駅に着いたのは、10時40分。スキ−リフトが動くものと思っていたのだが、どうも動かない。徒歩で雪の中を歩く。順化にはこの方が良い。1時間程でガラパシ小屋に着く。今日はあまり寒くない。ジャケットは不要。
1時間休憩して、下に降りだす。ロ−プウエイで下ると、乗り場付近は、日曜日のせいか、観光客が大勢いて、昼食を食べてる人、おみやげ品を売ってる人など観光地という趣がした。我々も昼食にする。隣のロシア人がウオッカを飲んでいて、おいしそうなのでYAさんと相談し、ウオッカを注文することにした。これには、ガイドの石坂さん、ウラジミ−ル共に驚いたようだ。今までに、ここでウオッカを飲んだ人はいませんと。どうもアルコ−ルはビ−ルまでのようだ(ビ−ルは余りうまくない)。
ウオッカを半分以上残して、ロッジへ持ち帰った。
夜、また雨が降る。昼間晴れていたのに、毎日、この時間になると雨が降るようだ。3000mから上は、雪が降っているのだろう。

アザウロッジ ロープウエイ

9月9日 11番小屋4200mまで高度順化 アザウ 泊
平日は朝早く出発してもロ−プウエイが動いていないそうで、ロッジをゆっくり出発、ガラパシ小屋へ着いたのが、11時過ぎ。曇りからみぞれ、そして雪になった。
今日は、ここから11番小屋までの高度順化、高度400mを1時間半で登って、1時過ぎに小屋に着く。ガラパシ小屋と11番小屋では、やはり天気がかなり違う。3800mでは、周囲が見渡せたのに、4200mはガスであまり見えない。4000mを境に異なった世界にいるようだ。そういう意味では、3800mをベ−スにするのは、賢明な策と思われる。
1時半、11番小屋発。2時にガラパシ小屋に戻る。登り1時間半に対し、下りは30分だ。すぐに、ミ−ル駅まで下り、アザウロッジに下山する。
下は雨で、ロ−プウエイ駅からロッジまでは傘をさして歩いた。
どおしてこんなに雨ばかり降るのか、夕食のあと、ウラジミ−ルに尋ねたが、彼もわからない、天気予報もないと、つれない返事。ただ天気は、長くても1週間程度で変化するのが通例で、そろそろ変わり目に差し掛かっていると思うので、数日すれば好天が期待できるのではないかと。それを信じて待つことにしよう。

9月10日 ガラパシ小屋へ移動 泊
今日はガラパシ小屋へ移動するだけで、あとは休養の日。
前日に、このロッジに残すものを区分けし、メインザックとアタックザックの2個を持って10時に出発する。リフトも使い、歩きもないとの話。11時にミ−ル駅に着く。リフトを待つが、なかなか動く様子もない。何が原因か? 結局、リフトを動かす人が昇ってくるのを待っているとの答。1時間程待つ間に、天気が変わり寒くなってくる。今日は昨日よりは天気が良く、この辺では一部晴れていたのだが、また変わったようだ。羽毛のインナ−ウエア−が一番近くにあったので、それを取り出して着た。
12時15分ガラパシ小屋着。ガラパシ小屋は、ボチキ(樽)小屋とも呼ばれ、巨大なドラム缶を連ねたようなコンテナシェルタ−が十数個並んでいる。内部には5つのベッドに電灯、パネルヒ−タ−があり、快適そうだ。部屋割は、私とYAさんの他に、若手のISさん、MUさんが一緒になった。もう一方は、OKさん、MOさん、KOさんに、石坂、ウラジミ−ルの両ガイド。この編成でこれから数日間を過ごすことになる。
食事は、日本から持参したレトルト食品が中心になる。昼食は焼そば、お湯を注ぐだけ。夕食はカレ−、レトルト食品。お湯を作ることが、食事の最も大事な事であり、我がパ−ティは、この為にタジアナさんというお湯作りのおねえさんを連れてきている。この作業をガイドがやると、アタックの日など大変らしい。従って、我々は、お湯はいつでも頂戴でき、困ったことはなかった。この時に、先程のロシア語を毎日、使うことができ、役に立った。
夕方、アメリカ隊が雪上車で戻ってきた。登頂した様子だ。
夜、一時晴れて星がみえたが、明け方3時頃には、又曇ってしまった。

9月11日 パストホフロック4700mへ高度順化 ガラパシ小屋 泊
8時出発。11番小屋の高度に9時半に到着するが、徐々に雪が降って、ガスッてくる。パストホフロックまでの中間位のところで、MOさんが遅れだす。少し無理そうなので、パ−ティ−を別けて、ウラジミ−ルがMOさんに付き、残りでパストホフロックに向かって歩く。前も良く見えないし、雪も大分積もり、時間がかかったが、12時半頃、到着。温かい紅茶とビスケットなどで疲れを癒し、すぐに下山にかかる。MOさんを吸収し、ガラパシ小屋に3時頃、戻る。
結局、一日中雪が降っていて、30cm位積もった感じである。夕方少し晴れ間も出てきて、明日のアタックに少し希望が出てくる。アタックの場合は、3時起床、4時出発予定で、8時半に就寝した。

9月12日 アタック延期 ガラパシ小屋 泊
昨夜の状態では、少し希望もみられたが、夜中の12時頃に外に出ると雪が降っている。晴れていなければ延期といわれていたので、これはダメと判断し寝ることにした。呼び出しもなく、7時頃まで寝ている。やはり、本日のアタックは延期となる。本日沈殿。
朝食のあとは、読みかけのネパ−ル遠征記「鳥葬の国」を読み、午後には、読み終えた。4時半頃から急に晴れてきて、写真撮影班は大忙しだ。MOさん、MUさんは三脚を抱え、完全装備で出かける。夕日に近い5〜6時頃は、ついにエルブル−スが完全に姿を現わした。今回のツア−で初めて見るエルブル−スの姿だ。当地に着いて、約1週間待ったことになる。この晴れは天気の変わり目で、これからは好天の周期に向かうという期待を抱かせ、皆ウキウキしている様子。予備日の関係で、明日のアタックは好都合だが、明後日になると、そのあとが非常に強行軍になり問題も生じそうなので、どうしても明日アタックしたいと、みんな考えている。そんな事情もあり、明日のアタックはほぼ決定だろう。
MOさんが個人ガイドを依頼するとの事。パストホフへの高度順化で遅れて、頂上アタックが危ぶまれる状況にあり、本人としては2回目ということもあり是が非でも登りたいのであろう。その気持ちは理解できる。明日はガイドとマンツ−マンで最後から登る事になるのであろう。ちなみにガイド料を尋ねると、300USドルとの返事。ここまで来て、もし300ドルで登らしてもらえるのなら安いものであろう。今まで払った2回分のツア−代金に比べて、また、もし登れなくて、もう1度来ることを考えたら。
明日は4時雪上車で出発し、パストホフロックの下まで運んでもらう予定になっているが、帰りも雪上車の手配を依頼することにする。新雪が積もり、予定より時間がかかりそうであり、その上、MOさんなど遅れる人も出そうであり、ここは安全策をとることになる。1人2000円位の出費ですむなら、若い人も納得するでしょう。
夕方、8時半、準備完了。空は晴れている。


9月13日 アタック → エルブル−ス登頂 ガラパシ小屋 泊
星が一晩中、きれいに輝いていた、やっと好天に恵まれたようだ。予定通り、雪上車でパストホフロックの下部4500〜4600mまで一気に登る。じっと座っていると、寒さが身に凍みてくる。5時、懐中電灯を点けてアタック開始。
登る順序は、トップグル−プがウラジミ−ル、ISさん、MUさんに、ガイドの石坂さん。若手とガイドが先行する形になりトレ−スを作ってくれる。少し遅れる形で、2人目ロシア人ガイド、KOさん、YAさん、私、OKさんに、ラストが3人目ロシア人ガイド。その後に、MOさんと個人ガイド。私は、オ−バ−ペ−スにならないように、最後の方でついていくのが良策と考えていたので、何となくこういう順序での登行となった。
6時40分、日の出。振り返ればウシバを始め、コ−カサスの国境稜線の山々がよく見えるが、それどころではない。ひたすら遅れないように、前について歩く。
我々の横に写真をとる人がいる。その時はわからなかったのだが、後で聞くと、ウラジミ−ルの手配した写真班だそうだ。翌日、ロッジに写真が届けられたが、さすがにプロらしく良く撮れていて、30ドルで全員が購入した。

アタックに向かう サドル少し上

単調な斜面を登り、途中からトラバ−スになりひたすら歩いて、9時40分にサドルに着いた。西峰と東峰のコルに位置し、予定では4時間と考えていたので、40分程遅れている。雪のせいなのか、我々のスピ−ドが遅いためなのか、また、その両方かもしれないが--- 。先行グル−プは30分以上前に着いていたと思われる。
ここで、私は、ガイドに、我々グル−プに対してガイドが先導してくれるように要求した。というのは、2人目ロシア人ガイドが先行グル−プに加わり、我々4人の日本人には、最終についているガイド1名となってしまい、このガイドは遅れ気味のOKさんに同伴しているので、結局、我々中間の3名にはガイドがいない状態になっていたからである。これから急斜面で、トラバ−スしながら登っていくことになるので、ガイドの先導が必要であった。それに、天気も悪くなってきていた。
サドルからは、ガイドを先頭に6名が一団となり、ゆっくり急斜面を登った。どれ位登った所か、はっきり判らないのであるが、突然、頂上アタックを終えた3人(若手2人とウラジミ−ル)に出くわす。最初は意味が理解できなかったが、そうかもう降りてきたのか、早いな- と感心した。11時半頃、かなりきつくなってきた。MOさんパ−ティをケア−していた石坂さんが上がってきて、ザイルを出して、かなり疲れているOKさんのハ−ネスにザイルを通してアンザイレンする、そして、ぐいぐい引っ張って歩く感じだ。
急斜面が終わり、なだらかな斜面に変わって、20分程歩いたところが頂上であった。先に着いた人のシルエットでそれとわかり、頂上へと心は急ぐが、実際の歩みはそれ程変わらないと思う。やっと着いた、あ- 終わったと、うれしさが込み上げてくる。12時10分だった。

エルブルース頂上 プレートの埋め込まれた岩

ガスッていて、何も見えない。頂上には、プレ−トが埋め込まれた岩があり、それが頂上の記しと思われた。写真を数枚撮る。すぐに下山かと思われたところで、下を見ると、ぼんやりと2人の姿が見える。MOさんとガイドだ。彼らを待つことにする。2人が着いたのは、12時半頃。握手をして、よく頑張ったと声をかけるが、本人は立っているのが、一杯一杯の状態で、声もあまり出ない様子。すぐ下山にかかる。
下りは、もっと大変になった。石坂さんが、OKさんとKOさんをアンザイレンし、MOさんとガイドは遅れ遅れで、周りが見えにくく、先導グル−プは、後ろを待ちながらの下降となる。サドルには先行のISさん、MUさん、ウラジミ−ルが待っていてくれた。彼らは1時間以上待っていたそうだ。
このあと、MOさんは自力歩行が困難となり、両肩にガイドが支え、もう一人のガイドがザイルで確保する状態での下山となった。時間も大幅にかかるようになり、最終的に、パストホフロック下部の雪上車の待つ場所に全員が下山できたのは、5時10分になってしまった。ありがたい事に、雪上車は、我々を20分で、ガラパシ小屋まで運んでくれた。5時35分、ガラパシ小屋着。長い一日は終わった。

9月14日 アザウへ下山、チェゲット山へハイキング アザウロッジ 泊
6時起床、晴れている。名残り惜しそうに写真を撮る。パッキングして、10時出発。雪のだらだらした斜面を、皆それぞれのペ−スで下る。11時に、アザウロッジに戻る。

朝日に輝くエルブルース東峰


荷物を置き、すぐに、空身でチェゲット山に向かう。車で10分程行ったところが登り口だ。観光客と混ざってスキ−リフトに乗る。リフトを乗り継いで、3050mの展望スポットに到着する。対岸のエルブル−スを眺める。全体が見渡せるので、ガラパシ小屋から眺めるのとは、また少し違った趣がある。ガラパシ小屋、11番小屋、パストホフロックそして頂上と自分達が通ったル−トを確かめる。リフトで下山した後、登り口で昼食を戴く。シシカバブのように肉を焼いている。その焼肉とビ−ルでの軽食だ。
ロッジに戻る。風呂は、シャワ−の他に、4時まで待てばサウナ風呂がオ−プンするというから、それを待ってオ−プンと同時に皆でサウナ風呂に出かける。少し離れた別棟にサウナ風呂はあり、右に脱衣所兼休憩所、左手前がシャワ−、そして左奥がサウナ室になっている。北欧風のサウナとはこんなものかと妙に感心する。確かにサウナは熱く、汗が吹き出してくる。シャワ−と違い、アカが落ちそうだ。中は暑いので、屋外に出て涼みながら服を着る。
夕食の時、ウラジミ−ルから登頂証明書が皆に渡された。また例の写真もこの時に渡され、皆アタックの様子を思い出していた。
明日は夜中に出発して、帰国に向かう。

9月15日 アザウ → ミン・ボディ → モスクワ、 観光、夜モスクワ発
夜中2時出発予定が、寝坊した人がいて、2時15分発。途中何ヶ所かの検問、そして交通事故の現場に出くわして停まったりしたが、まだ暗い5時半には、空港に着いた。
予定通り8:50ミンボディ発。11時にモスクワ、ブヌコブオ空港着。ウラジミ−ルの奥さんと中学生位の息子さんが出迎えてくれた。荷物をピックアップし、車に積んで、観光に出かける。まずはモスクワ大学前の広場、マトリョ−シュカを買うのが目的だ。サイズ及び5個入り、10個入りなどの数、表情、色合い、柄などいろんな種類があり、買うのに戸惑う。安いのを一杯買う人、品定めをして良いのを少し買う人と様々。次は地下鉄に試乗。クレムリンから乗って、クレムリンに戻ってきた。そして250ル−ブル払ってクレムリン見学に赴く。中は広くて、教会が多い。5〜6の教会を見学する。中は壁一杯の絵画が貼られているのが多い。
外に出て、レ−ニン廟、赤の広場などを散歩し、チキンバ−ガ屋で休憩。そして、一路空港へと向かう。おみやげに考えていた銘柄(ペテルブルク大学の女子学生からのリコメンド)のウオッカ、コニャックは捜してもみつからないので、適当にウオッカ3本を買う。19:10 モスクワ空港発。

マトリョーシュカ(モスクワ大学前) 赤の広場

9月16日 モスクワ → 朝、成田着
午前10時成田着。これで今回の遠征は終わったが、全員登頂できて、まずはめでたしでした。高山病の方は、今までの経験が生きたのか、特に問題になることもなかった。ア−スデスクのゆったりした高度順化スケジュ−ルが好影響を及ぼしていると思う。薬も一切飲まず、血中酸素飽和度も測定しなかった。
つぎは、前回登りきれなかったアコンカグアを目指すことになるのか? それとも中国の横断山脈にでも行く事になるのか? また楽しい次の山探しが始まる。

以上

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