★山の歌「放浪の歌」の変遷について

(2004/9/26掲載の暫定版に書き加えました)

2005年3月15日
栗本 俊和

1.「放浪の歌」探求を思い立った動機

京都大学山岳部でこの歌に出会った。部の歌集に歌詞は載っていたが、楽譜はなかった。先輩の歌うメロディーを聞きながら憶えたが、先輩により少し違いがあり、また歌う度にメロディーが少し変わったりした。そのために今でも定かでない部分がある。
部歌として4つの歌が載っていたが、「放浪の歌」はその3番目にあった。

1)「原始林」   本多勝一 作詩
2)「パンの神様」 田附重夫 作曲
3)「放浪の歌」  作詩・作曲 不明
4)「雪山讃歌」  西堀栄三郎 作詞  となっていたが、3)「放浪の歌」のみ、出どころがはっきりしていなかった。

2000年4〜5月にカラパタールトレッキングに行った時、日本人ガイドのMさん(法政大学出身)が、この歌を口ずさむのを聴いた。その時、あれなんでMさんは関東の出身なのにこの歌を知っているのかと疑問に感じた。あー関東でも知れ渡っている山の歌なのだ、いずれ調べてみようと思った。

そして、何年か時が経ったが、昨年(2004年9月)ネットで、「居酒屋轍」のHPに出会った。そこには、「放浪の歌」「雪山讃歌」は両方ともワルツで京大ACの歌です、とあり、続いて、立教大学を出た数学の先生がこの歌を教えてくれたとあった。
即ち、戦後すぐ頃にこの歌が関東で歌われていたことが推し計れた。また、そこには2番までしかないと思っていた歌に3番以降もあるという内容も書かれていた。
この歌のルーツを調べる良い機会だと考えた。
そこで、笹ヶ峰会(京大AC)のMLで問い合わせたところ、高村奉樹様から中村純二氏の「放浪の歌」談義(5.参考文献参照)のコピーが送られてきた。
この文献により、歌の変遷が理解できた。以下、その内容を中心に話しを進めます。

2.歌の誕生と戦後すぐ迄の変遷

1)歌詩に関しては、ドイツの作家W・シュミットボンの戯曲「母なる街道−ある若者の死」の幕開けに唄われる「旅の歌(1901年)」(図−1)旅の歌1901楽譜の歌詞を森鴎外が日本語に訳したものが出発点となっている。

2)この歌詞を用いた最初の「放浪の歌」が(図−2)放浪の歌1925一高楽譜の1925年頃一高旅行部で唄われていたという「放浪の歌」です。(但し、採譜は1992年)
シュミットボンのドイツ語の詩は、日本語に訳すと一つの曲の一番と二番という形に収まった。メロディーは現在の曲と少し違うが、この曲の作曲者は現時点まで不明です。
なお、(図−1)の曲はメロディーが現在の「放浪の歌」とは明らかに異なる。

そして、戦後、2つの「放浪の歌」の楽譜が世に出た。
3)1つ目が、1952年刊「三高歌集」に納められている「京大山岳部歌」としての「放浪の歌」(図−3)放浪の歌1952楽譜です。
メロディーは放浪の歌1952(ヘ長調)で、聴くことができます。

4)2つ目が、1954年刊、東大山の会の戸野昭・朝倉宏編集の「山で唄う歌T」に納められた「放浪の歌」(図−4)放浪の歌1954楽譜です。
メロディーは放浪の歌1954(ト長調)で、聴くことができます。

一高から東大の流れで、(図−2)から(図−4)の変遷を見ると、(図−4)1954東大は(図−2)1925一高と比べて格段に美しい曲に変わったと感じるのは私だけだろうか?別の曲のように生まれ変わった。従って、この曲(図−4)1954東大を作った人を作曲者として良いと思われる。ト長調は変わらず、譜の2行目が4小節から5小節に変わっている。
一方、(図−3)1952京大はト長調をヘ長調に変えた。一音下げたため、歌い易くなっている。そして、譜の5行目を加えた。即ち、2番にリフレーンを付けたのである。これが大きな変更となっている。
メロディーは(図−3)と(図−4)では、微妙に異なる。(図−3)と(図−4)の違いは、譜の2行目の2小節目の違いではっきりしてくる。

昭和初期から歌いつがれ、いろいろな変遷を経て、戦後すぐのこの2つが「放浪の歌」として形を残した。実際にはもっといろいろな所でこの「放浪の歌」の楽譜はあるのだと思う。八高及び二高から山形高校への伝播、松本一中、二中、又、慶応への伝播などが伝えられている。全国的に山の愛好家の間に口移しに伝えられたため、各大学、地域で少しづつメロディーに違いが見られるようだ。

3.1954年以降の変遷

次に、1954年以降の変遷をみてみよう。変遷というより、手に入った3種類の楽譜から、その変遷を考えてみたい。
3種類の楽譜とは、次の通りです。

5)野ばら社発行「青年のうた」1963年9月初版、1974年9月、23刷(図−5)青年のうた(野ばら社)1963楽譜
6)山と渓谷社発行、土橋茂子編「山のうた150」1981年10月1日、第1刷(図−6)山のうた、土橋茂子(山と渓谷社)1981楽譜
7)北大山の会発行/編「歌集 山の四季」1993年3月31日(図−7)山の四季(北大山の会)1993楽譜

5)「青年のうた」(図−5)は、(図−4)1954東大の楽譜通りです。ト長調であり、2部の下の音には一部違いがありますが、主旋律はまったく同じです。2行目も5小節となっています。
6)「山のうた」(図−6)は、(図−4)1954東大のト長調をヘ長調に移調しただけで、メロディーは変わりません。下部の音もまったく同じです。(図−3)1952京大と同じヘ長調に変えました。これは先程も述べたように、この方が歌い易いからだと考えています。
7)「山の四季」(図−7)は、(図−6)土橋茂子さんが変えたヘ長調を踏襲し、更に少し変更を加えた。3小節目のミ→ドです。そして、11、12、15,16小節目に16分音符を使用しました。この変更は明らかに1952年の三高歌集の楽譜の影響を受けて、両方の良い所を採用しました。
これら3つに共通しているのは、出発点が(図−4)1954東大の楽譜がベースになっています。1954東大と1952京大の違いは、6小節目で変わります。ファソララかラララファの違いです。

8)それでは、その後京大の方はどのように変わったのでしょうか?1970年前後に我々が歌っていたのを再現したのが、次の京大修正版(図−8、2004年10月)です。
人によって歌い方が少し違ったので、まだ微妙な変更があるかもしれませんが、私の原譜に松沢哲郎さんの指摘を加え採譜しました。
放浪の歌京大修正版2004.10(図−8)放浪の歌2004.10楽譜メモ付きです。
メロディーは放浪の歌2004.10(ヘ長調)で、聴くことができます。
ヘ長調で、2行目が5小節あり、最後のリフレーンが高くなる、などの特徴があります。

9)最後に、最初の方で触れた「居酒屋轍」版があります。これは居酒屋轍(わだち)のマスターの山田芳男さんが記憶に基づいて楽譜を書かれたものです。
2004年 轍山田版(図−9)、放浪の歌2004轍楽譜です。
メロディーは放浪の歌2004轍(ヘ長調)で、聴くことができます。
これは、楽譜の3行目に特徴があります。高い音ではなやかな感じになっています。

先にも書いたように、この他にもいろんな所に各自の「放浪の歌」があるかと思います。
美しい大好きな「山の歌」が消えないように願っているところです。

4.歌詞

歌詞に関しては、現在はどこの楽譜も基本的に同じ歌詞を使用しています。
W・シュミットボン作、森鴎外訳の元歌詞の4ケ所訂正版です。
下記に歌詞を示します。

1.そんなにお前は何故なげく
草のしとねに寝ころんで
私の言うことおききあれ
人の浮世の見栄を捨て

2.口笛吹いて気を晴らせ
うつつの夢を見ていあれ
くたびれ休みに山を見て
腹が減ったら又歩け

轍の山田さんは、3番以降の歌詞があったと言われています。もし、3番以降をご存知の方があれば、お知らせください。

5.参考文献ほか

1)東京大学スキー山岳部75周年記念、輝けるときの記憶、山と友U、の「放浪の歌」談義、著者中村純二
2)三高同窓会発行「三高歌集」1952年初版
3)野ばら社発行「青年のうた」1963年9月初版、1974年9月、23刷
4)山と渓谷社発行、土橋茂子編「山のうた150」1981年10月1日、第1刷
5)北大山の会発行/編「歌集 山の四季」1993年3月31日

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