キリマンジャロ登頂記(5895m)

2001年4月26日〜5月6日の記録

2001年10月1日
栗本 俊和


サドルからのキリマンジャロ

1. いざナイロビへ
2000年4月のエベレストを間近にながめたネパ−ル・カラパタ−ル(5545m)トレッキング、2001年3月のキナバル山(4095m)に続き、2001年4、5月に、念願のキリマンジャロ登山に出かけることになった。
4月26日に成田を飛び立ち、シンガポ−ル、ドバイに立ち寄り、27日昼頃にナイロビに到着した。25時間の長旅であったが、とにかくホテルについて落ち着いた。
今回はアトラストレックのツア−に参加することにした。ここでメンバ−を紹介しょう。参加者は5名で、日本人ガイドが1名つき計6名である。男性4名、女性2名、東京より4名、大阪より2名、まず東京組を紹介しょう。
成蹊大学山岳部OBのKIさんとKAさんの2人、64才と63才でどちらも社長さんで、KIさんは百年続く下町のお菓子(おかき)の会社、KAさんはかまぼこの会社、年令からして、このあたりがギリギリのところと念願の山に挑戦されたものと推察した。
そして今年還暦を迎えるというIさんという女性、還暦記念にということであろうがよく1人で参加されたと思う。もう1人が私(52才)。
大阪からは40才代後半の女性で、Sさん、兵庫県日高町で夫が建設会社を経営していて、毎日曜日には近くの山に登っているそうでなかなか元気がよい。
そしてガイドのYさん、50才代後半で、スポ−ツ用品会社勤務から数年前にこの道に転進したとのことで、大阪の山岳クラブに所属している。ナンガパルパット遠征隊に参加して、残念ながらもう少しのところで登頂を逃がしたそうです。山ではいつもバンダナを頭に巻き、山男という風情を感じさせ、キリマンジャロは6回目とのこと。

さて、ナイロビに着いて、ホテルはHoliday Innで低層の緑に囲まれたカジノまである良いホテルであったが、2階の部屋まではかなり廊下を歩かされた。ホテルの周囲にはバラック小屋のみやげものを売る現地人のお店が何軒かあり、女性2人とひやかしでのぞきながらぶらついたが、まだ2時すぎだったので、市内観光にでかけることにした。
チャ−タ−したタクシ−に5名が半分腰を浮かして乗ることになった。まずはシティ−マ−ケットに行った。魚に蝿が群がり臭い。肉もいろんな種類があるがあまり気持ち良くない。その店の外でサファリハットを10US$で買った。ツバのある帽子が欲しかったのでこれはラッキ−だった。
次に行ったのは鉄道博物館。イギリスが丁度一世紀前、1900年頃に植民地開発した当時の貨車、客車などが広い敷地に置かれている。 そして最後に国立博物館。巨象マ−メットの模型が中庭におかれ、いろんなものが展示されているので、もっとゆっくりと見るべき所と感じた。
市内観光から戻っての夕食は、全員がステ−キを注文した。山へ入る前に食べておこうという気持ちの現れか、かなり大きいステ−キだった。ビ−ル、ワインのアルコ−ルは社長さん2人のおごりだ。結団式を行い、KIさんが自ら団長になることを表明した。隊長はYさん。
私はアルコ−ルも食事も共に少し控えめにした。昨年のヒマラヤでの教訓から、飲みすぎ、食べ過ぎなど、胃腸にはあまり負担をかけないようにしようと考えていた。

2. 国境を越え、登山口マラングへ
4月28日、早朝の気候は、周りの緑と相まってすがすがしい雰囲気であった。サバンナ気候というのだろうか、丁度良い感じである。
朝食の後、8時に出発し、一路タンザニアとの国境のナマンガをめざす。9人乗りのサファリバンであるが、荷物が後部座席の一部を占有しており、特に一番後ろの座席は窮屈である。
真っ直ぐな道を左側から右側へシマウマの大群が横断する。車はその直前でストップ、サファリに行かなくとも動物にお会いできる。また、途中マサイ族が道路脇にバスでも待っているのか立っているのに出くわす。チョットした村でも原色鮮やかなマサイ族の衣裳が目につく。
10時頃、国境手前でかすかにキリマンジャロの最高峰キボ峰が顔をだすが、すぐに雲に隠れてしまう。国境では、まずケニヤ側の出国、そしてタンザニア側の入国、荷物をケニヤ側の車からタンザニア側の車への移し変えと、かれこれ1時間ほどかかる。その間、現地のみやげ売りがしつこく周囲を取りまとう。
国境からはアリュ−シャまで一騎に走り、ホテルで昼食、メル−山の名前のついたホテルだった。同じ飛行機で来た他のサファリツア−のグル−プも横で食事をしている。 日中の外気温はかなり暑い感じだ。ビ−ルが程よくまわっている。
アリュ−シャまでは南を向いて走っていたが、食事後は、東に向きを変え、モシ、ヒモという町を通過して、再度向きを変え今度は北に向かい、登山基地のマラングに到着する。
4時頃、マラングのナカラホテルに着いた。まだ新しくなかなか清潔そうな感じの良いホテルである。早速、ホテルの中庭では、団長KIさんが、日本から持参したキリマンジャロコ−ヒ−を、メタ燃料を使ってお湯を沸かして、入れてくれる。高原で飲むコ−ヒ−は格別にうまい。
3階のバルコニ−からは、キボ峰は木が邪魔して見えないが、岩のごつごつしたマウエンジ峰がよく見える。夕食のあとは、荷物整理を行う。必要ないものをス−ツケ−スに入れてこのホテルにデポしておく。

ナカラホテルでキリマンジャロコーヒ マラングゲートで

3. マンダラハット(2727m)へ
4月29日、5時起床。
荷物整理の残務を終えてから、また3階のバルコニ−に上がり、日の出の様子と天気の確認をする。ここからは日の出は直接見えないが天気はまずまずの感じ、山の方は、 マウエンジ峰はよく見えるがキボ峰は見えない、昨日と同じ。
SさんからIさんの胃腸の調子が良くないと聞く。Yさんにも伝え抗生物質を飲むように薬を渡す。一晩中下痢気味でよく寝られなかったようだ。早く良くなれば良いが。もちろん朝食は抜きのようだ。
9時出発。マラングゲ−トへの移動途中でキボ峰の見える所があり、車を停めて写真を撮る。Iさんも笑顔で写真におさまる。キボ峰をながめたのは、これが最初といっていいだろう。でも雲が少しあり頂上の雪を被った帽子の部分しか良く見えない。5分位のあわただしい写真休憩ですぐに出発し、マラングゲ−トの国立公園事務所(1970m)に到着。
入山許可をもらうため、登山者名簿に名前など記入する。ここで我々に同伴するガイドの紹介があった。メインガイドがMr.Jamesで年令は40才位、アシスタントガイドがMr.DeusとMr.Goodlackの2名で両名とも20才代で若い、兄弟だそうだ。この3名のガイドに、2名のコック、1名のウエイタ−、9名のポ−タ−がつく。
事務所の前などで記念撮影をして、登山開始(9時50分)。
ポ−タ−達はジ−プの通れる道を歩き、我々登山者はウオ−キング用の登山道を行くので、ガイド以外とは顔を会わさない。丁度中間地点にあるKISAMBIONI(2300m)という休憩所で昼食を摂った時に、ポ−タ−達と顔をあわした。昼食後も樹林帯の中をだらだらと登り、午後3時頃、今夜の宿泊地のマンダラハット(2727m)に到着した。
ここはのどかな感じの場所で、食事用の大きな小屋の周囲に三角屋根の宿泊用の小屋が10数棟並んでいる。食事用小屋の前のベンチで、紅茶にお菓子などを食べて休憩した。
そのあと高所順化のためにマウエンジクレ−タ−まで小1時間の散歩である。下界の今日登ってきたマラングの村がよく見える。それに比べて上の方は雲の中である。
夕食のあとは、ポ−タ−達がギタ−と共に歌う「キリマンジャロの歌」を一緒に歌った。ジャンボ!、ブアナ!なんて言葉が耳に残っている。
宿泊小屋は、真ん中が壁で2部屋にわかれていて、各部屋に2段ベットが3個、コの字型に配列されていて、定員は6人x2部屋で12名である。我々はここに3名ずつに分かれて入った。ガイドのYさんが持参した日本酒などを少しずつ口にした。アルコ−ルはこの日が最後となる。基本的には、3000m以上の高所ではアルコ−ルは控えた方が良い。
7時半頃、早くも床につく。夜12時頃トイレに起きだすと雨が降っている。夜中の2時頃にまた外に出てみると、今度は快晴、星が出ている。山の天気は変わりやすい。4月は雨期というから、雨が降る確率は結構高いのだと思う。

マンダラハット 食事用小屋前でティータイム

4. ホロンボハット(3770m)へ
4月30日、5時起床。
7時の朝食予定が遅れて、7時半になる。食堂で30分待った。あとから聞くと連絡の行き違いのようだ。言葉の問題がありそう。
8時20分出発。今日は3720mのホロンボハットまで6〜7時間の行程。出発から30分ほどは昨日登ったマウエンジクレ−タ−の道を行き、そこから分かれてすぐ草原帯に出る。そのすぐ登りきった展望所からはキボ峰が見えるとの話しであったが、曇っていて見えない。
12時過ぎ、今日の昼食ポイントである休憩場所(3419m)に到着する。ガスっていて少し寒く感じるので、皆1枚ヤッケなどを着る。弁当はサンドイッチに焼きチキン、モンキ−バナナと皮の硬い青ミカンというのが定番で、毎日ほぼ同じである。
昼食後の行程も登りがそんなにきつくなく、途中小さな川を何ヶ所か渡る。道は整備されていて小川には丈夫な木の橋が架けられている。
昼食から1ピッチ目でジャイアントセネシオのそれこそジャンボなのがはえ茂っている休憩場所に到着、KAMBIYA TAABU(3485m)と書かれている。その木の下にはきれいな小川が流れている。大きなサボテンのような木で高さ5〜6mに達する。
何ヶ所か小川を渡り、三角屋根の小屋が並ぶホロンボハットが見えてくる。 3時、ホロンボハット着(3770m)、丁度、富士山の高さである。
休憩の後、高所順化のためマウエンジ小屋へのル−トに散歩に出かける。1時間程歩いて、高度計で3932mの所で引き返す。
5時帰着、5時半夕食。
9時、快晴、星がいっぱい。夜中3時,小雨。朝6時、晴れ、というように、夜中には雨が降るが朝には雨がやむパタ−ンが毎日続く。雨期のせいと言う事と、これ位の高度が丁度雲のできやすい高さなのではないかと思う。

ジャイアントセネシオ ホロンボハット

5. キボハット(4750m)へ
5月1日、6時起床。
いよいよ今日はアタック小屋のキボハットまで登る。そろそろ高度の影響の出てくる所であり、注意が必要である。
晴れ上がり、マウエンジ峰(5150m)が間近に見える。岩峰であり、登るのはかなり手ごわそうである。最高峰キボ峰の前衛峰のように鎮座している。
8時20分出発。草原帯も終りに近づき、ラストウオ−タ−ポイント(4120m)に到着する。キボ峰の頂上がわずかに見えている。この場所は地図の一般ツ−リストル−トの「最後の水場」の位置とは違う、別のル−トである。要するに道が地図と異なる。小屋から西北西へ行った位置である。
そこから1ピッチ行った砂礫地帯からはキボ峰が俄然よく見え出す。写真を撮る。雲に隠れたり、また晴れたりと不安定なので、出来るだけシャッタ−チャンスを逃がさないようにと心がける。
丁度12時にサドル(4350m)という広大な土漠地帯の平原の休憩場所に着く。昼食である。THE SADDLEという小さな道標がある。高度の影響か、KIさん、Iさんが少し苦しそうで、遅れて到着。(この位置も地図上のサドルの位置とは異なる)
昼食後また歩きだすが、ガイドのYさんと私の2人がおしゃべりしながら先行する形となり、後続パ−ティ−との距離があきだす。後ろが止まったので、どうしたのか聞くとKIさんが嘔吐したとの事、Iさんではなかった。
先行2名は2時半、キボハット着(4750m)。後続は20分ほど遅れて到着。
この小屋は石造りのアタック小屋である。ポ−タ−用、炊事用は別になっており、この宿泊用小屋は真ん中の通路を挟んで両側に部屋が分かれており、一番奥が食事場所になっている。我がパ−ティ−は左側2番目の部屋で、Yガイドがこの一番大きい部屋を取ってくれたそうである。2段ベッドが8個あって、真ん中窓側にテ−ブルがあり簡単な食事出来るようになっている。16人部屋で各人が下に寝られるので、上に昇る労力が必要なく有り難い。夜のトイレには助かった。
高度順化には今日も行くとの事で、KIさんを除いて出発。1ピッチ30分登った4866mの岩の場所で早めに終りにして、小屋へ戻る。(4時半)

ラストウオ−タ−ポイント キボハット

6. アタック準備
5時に夕食を簡単にすませ、高山病予防薬のダイヤモックスを半錠、まず飲んだ。この薬はホロンボハットから、夕、朝食時に半錠ずつ飲んできた。ヒマラヤトレッキングの時も同様に飲んでおり、その必要性を実感していた。これは利尿剤であり、とにかく急にトイレに行きたくなる薬であり、水をたくさん飲ませるように仕向ける。
この薬の他に自分の用意してきたビタミン剤を3種類飲んだ。B2のフラビタン、B6のピロミジンとCのシナ−ルである。ヒマラヤにも持参したが飲む機会がなかったので、今回はここで飲むことに決めていた。Sさん、Iさんにも勧めて、飲んでもらった。どういう効果があるかわからないが、昔、山でビタミン欠乏から病気になった教訓から、予防薬として持参した。良い方に効く事を祈っていた。
高山病対策には、パルスオキシメ−タ−が威力を発揮する。これもヒマラヤで使ったのでおなじみであるが、指にその計器を1分ほど挟んでおくと、血中酸素濃度と脈拍数がたちどころに数字で出てくる。酸素の値は地上では100に近い値になるが、これが高い所に行く毎に下がってくる。
私の値はマンダラハットで88、ホロンボで82であり、今日ここで計ると74で大分下がってきた気がした。60以下は問題ありという事である。KIさんが丁度その60まで下がり、やはり問題ありの状況に近づいてきた。ちなみに、KAさん、Sさんが60台、Iさんが71、ガイドのYさんが81。
KIさんは、ここであきらめてもよいという言葉であったが、Yガイドの勧めで、とりあえず明日は行けるところまで行って、ダメならあきらめるという事にして、出発する事にした。又、いままでの話し合いで、通常は夜12時出発であるが、成蹊OBとIさんは11時に出発したいという事でガイドの了解を得ていた。そして、私とSさんは30分早めて、11時半発という話になっていた。
夕食後は、予定通り、着ている衣類を下着を含めてすべて取り替えることにした。シャツのかわりに、一番下にセ−タを着ることにした。その上にダクロンの半そでTシャツを押さえにし、毛混紡のスポ−ツシャツに、フリ−ツ。アウタ−は30年以上使っている赤いヤッケを着ることになる。
夕方6時にはシュラフにもぐりこんだ。11時の起床時間までは4時間である。もともとそんなに寝られなくても良い、横になって休養すれば良いと考えていたので、すぐにトイレに行きたくなっても気にならなかった。何度もトイレに行った。1時間に1回くらいの間隔だ。少し下痢気味の感じであるが、出るのか、出そうでないのか、今一つわからない感じ、これは高山の影響でヒマラヤの時にも経験している。頭が少し重い。結局、1度あわてて下痢で小屋の外に出た時にしたが、水みたいなのが少し出てそれでおしまい。
早出組の起きだした声、お茶が入ったよの声におされて、起きだした。11時頃、再度オキシメ−タ−で測ってみると、83まで10も回復していた、これはうれしい。80以上なら問題なし、それまでは少々気になっていたのが、これはいけるぞ、という気持ちになった。

7. アタック開始、ギルマンズポイント(5682m)をめざして
起きだしてYガイドに確認してみると、どうも出発時間が変わっているみたいだ。現地ガイドとの話で変わったのかな。先発組が11時半、本隊が12時との事だ。Yガイドと話しをしたが、あまり要領を得ない。
11時に起きて、温かい紅茶にビスケットの朝食を食べ、出発準備をした。KA、KI、Iさんの先発組が11時半少し前にでたばかりで、手持ち無沙汰である、シュラフをしまい、寒くなるかもしれないので、下もゴアの雨具を着込み準備万端である。
丁度その頃トランシ−バ−で連絡が入り、やはりKIさんが断念して下に降りるとの事。KIさんの戻るのと相前後して、12時に本隊は出発した。外は晴れていて星が出ている、12時半に先発隊に追いつく。
KAさんと、Iさんが待っていたが、Iさんは元気だということで本隊に合流、ウフルピ−クをめざす、KAさんは少し高山の影響があるとかで、ガイドGoodlackと一緒に、ゆっくりとギルマンズポイントをめざすとの事。KIさんは、キボハットに戻り、ポ−タ−1人つけて、速めにホロンボ小屋に戻るとの話しだ。
私は小屋から30分ほど歩いたこの場所で1ピッチをとるつもりであったので、まず水を飲み、メモを書いたりと休憩のつもりでいたのであるが、本隊はすぐ出発するとの事。Yさん、JamesにIさん、Sさんですぐに出発、私は2〜3分遅れてガイドのDeusと出発 (YさんからDeusをつけるといわれた)、そのあとをKAさんがガイドのGoodlackと出発という順序になった。
私はすぐに本隊に追いつき、そのままの状態で45分位程歩いた、また喉が渇いたこともあり休みたいと思いYさんに尋ねたら、好きな所で休んで良いとの返事だったので、そこで休憩をとった(1:20)。Deusが横にいる。よし、それではこれからは自分のペ−スで登ろうと思うようになった。
少し気温が下がってきたようだ。出発時は暖かく感じたので、ボタンなどはずして、いいかげんな格好で歩いていたが、ここできっちり締め直して、ヘッドライトを照らしながらひたすらDeusの後を歩く。15分ほどして本隊が休憩しているのに追いついたが、Yさんにあいさつしてそのまま先行することにした。
2時5分、5000mの標識の場所に到着した。、Deusにも自分の考えを伝え、30分歩いて、5分休む、のペ−スで行く事にした。
2時40分、ハンスメイヤ−ケ−ブ5151mに着く、休憩。50分頃に本隊が着き、休憩をとる。高所のためか、Yさんも、Iさんもあまり話したがらない感じた、15分程休んで55分に先行して出発。 相変わらずあたりは真っ暗で何も見えない、そこにいつのまにか雪が降り出したようで、道が白くなってきた。一部凍っている個所もある。気温が下がっているようであるが、身が引き締まる感じだけで、実際には寒さを感じない。衣類が十分なのだと思う。快調である。温度計は−5〜−10のあたりを指している。かなり道は急になってきたが、様子はよくわからない。
5時20分に休んだ所でガイドに聞くとギルマンズポイント(5681m)はもうそこだと言う。6時には着くと思っていたが、あっという間に到着した(5:40)。
まだ真っ暗で、キャノンEOSはシャッタ-が落ちない。やり方が良くわからない。あきらめて、ペンタックスのコンパクトカメラの方はシャッタ−が落ちるので、このカメラで写真を撮った。といっても周りは暗いのだからあまり良い写真は撮れてない。
本隊を6時まで待つことにしていたが、まだ見えない。出発する事にした。少し明るくなりかけてきたので、また何枚か写真を撮ったが、どっちみち十分明るくなった下りの時に、また撮れば良いのだと思った。

ギルマンズ・ポイント 日の出

8. 最高峰、ウフルピ−ク(5895m)登頂
5月2日、am5:40にギルマンズ・ポイントに到着し、一応これでキリマンジャロ登頂の証明書はもらえる。しかし、ここはピ−クではない、あくまでもポイントだ。富士山でもわかるが、頂上の火口壁の一端に登ったまでで、まだ剣が峰に登る必要がある。それがウフル・ピ−クであり、アフリカの最高点である。
ここからは稜線歩きで、一部にはかなり雪があり、1時間半ほどの行程だ。 6時に出発し、15分程歩いたところで、Deusが日の出だとせつく。稜線まで5mほど雪の中を登る。あわてて日の出の写真を何枚か撮る。急ぐと息が苦しい。はじめて息苦しさを感じ、深呼吸をして5分ほど休む、少し眠気を感じる。Deusが目をつぶるなとアドバイスする。
休んでから、ゆっくりと登りだす。その点自分1人だから、すべてが自分のペ−スでゆっくりと動ける。稜線を、写真を撮りながら歩いていると、今日早く頂上に着いた日本人2人の若者パ−ティ−と香港人3人のこれも若者パ−ティ−と行き違った。どちらも前夜までの小屋で顔を合わせており、おしゃべりをした仲であり、あいさつをして分かれる。どちらも、日の出前に頂上に到着したそうだ。香港人は我々より早く出発したが、日本人は我々よし少し遅れて出発し、抜かして行ったから、いかに足が速いかがわかるというものだ。
すばらしい氷河が目の前に広がっている。ビルのように大きな氷河が横たわっている。東側氷河は階段状に50m位の高さがありそうだ。

キリマンジャロ頂上 キリマンジャロ北側氷河

ジャスト8時に、ウフルピ−ク(5895m)、アフリカ最高点についに登頂した。
ガイドのDeus と握手する。南側のKersten Glacier が、どでかく映る。北側氷河は東側と同様に階段状である。頂上には大きな標識があり、写真を撮る。本隊はまだ見えない。標識の横に箱があり、その中にノ−トがあり、その登山者名簿に名前を記入した。
太陽が照ってきて、だんだん暑くなってきた。下の雨具を脱ぐ。
30分経ち十分に堪能したので、下山を始めようとした時に、本隊がすぐ近くまで来ているのが目に入った。でも十分休んだので下山する事にした(am8:30)。
下りだしてすぐに、本隊に会う。頂上をバックにSさん、Iさん、James と記念写真に収まる。ガイドのYさんとも握手をしてすぐに別れる。

キリマンジャロ南側氷河 キリマンジャロ頂上直下で

写真を撮りつつ、丁度1時間でギルマンズポイントに着く。登りの時はまだ暗くてあまり写真を撮れなかったので、またDeusと取り合いっこをする。下を覗いて、真っ暗な中を登ってきたガレ道を確認した。
9:50分、出発。ザクザクした道を一気に下る。足がガクガクいう。
11:35分、キボヒュッテ着。
本隊を待つため、シュラフに少し潜りこむ。うとうとっとした頃、1時間程して、本隊到着。 急ぎ昼食を取り、荷物をまとめ、着替えをして下山開始(1:40)。今日の泊りは、ホロンボハットだ。できるだけ下に行った方が、空気が多くて快適である。
途中から雨が降りだした。傘の在り処が思い出せない。どうもザックの一番下になったような気がする。探したが見つからないので、あきらめる。ヤッケでは雨に対しては偉力なし。かなりの雨になり、ずぶ濡れになるがどうする事もできず、そのままホロンボハットに到着した(4:40)。

ホロンボハットで全員集合

9.下山
5月3日、昨日よく降った雨もやんで、一転して快晴、昨日登ったキボ峰が朝日に輝いている。下界の方に目をやれば、一面の雲海。その中に、ホロンボハットの少し古臭い感じのトタン屋根の小屋がいくつも目に入る。その小屋とキボ峰をバックに、ポ−タ−も全員入れた記念撮影。
ホロンボハット、8:20分出発。キボ峰に少し雲がかかってきた。今日は1日下って、マンダラハットを通過して、マラングゲ−トの登山口まで下山である。 あっという間に、入山時の昼食場所を過ぎる。11:40、マンダラハット着。軽くクラッカ−などで昼食とする。香港人がいたので、話をした。下山後のサファリにどこへ行くかなど、雑談をした。
下山の順番はバラバラで、Sさん、Yさんが早く、その後KAさん、私の順でここまで来て、Iさん、KIさんが少し遅れている。軽食後、一人トボトボと出発し、途中ポ−タと話しをしたりしながら(彼らは私の持ち物をなんでもねだる。最初はストックをくれだったのが、何でもよい、食べる物をくれにかわる。)マラングゲ−ト着(2:30分)。
無事下山である。キリマンビ−ルで乾杯する。二人は1時間程遅れて帰還。登頂証明書を戴いて、ここを出発し、明日のサファリの基地になるモメラロッジに向かう。
モメラロッジ着7:10分、だいぶ遅くなったようだ。
夕食を8時にいただき、シャワ−を浴びて、荷造りがまた大変。ス−ツケ−スに入れて飛行機に預ける物、手荷物にする物、着替えなどの仕分け、一連の用事を済まさねばならない。そして気懸かりなのは消灯時間で、このロッジは10時半に消灯するとの事、ジェネレ−タ−を自動的にオフにするそうで、実際、一度警告の消灯の後、本当に11時には消灯され真っ暗になった。
あとは懐中電燈と部屋に置かれているロ−ソクで、何やらこそこそと荷物分けを終わらして、寝たのは12時頃になった。

アリューシャからナマンガへ ナマンガ国境

10. サファリ
今日はサファリのあと国境を超えて、ナイロビまで戻り、飛行機に間に合わねばならない。かなり忙しい行程だ。 5時起床の6時朝食、7時の出発である。雨が降っている中出発し、すぐにアリュ−シャ国立公園のモメラゲ−トに着く。早朝で一番乗りで、サファリ−の開始。キリンさんはいっぱいいる。背が高いのでよく目立つ。雨が降っているので、あまり元気は出ない。 8時半には一回りが終わり、このショ−トサファリは終了。一路、アリュ−シャ、そして国境のナマンガを経由して、ケニヤに向かう。
ナイロビは焼肉レストランに到着(1:40分)。昼食はこのレストランでワニの肉など10種類以上の肉を食す。隣の席には、来る時一緒だった日本人のツア−客とまた一緒になる。たら腹になったところで、空港に向かい、今回のキリマンジャロの旅も終了となった。

ナイロビの焼肉屋 レストラン Carnivore

このあと、シンガポ−ルのトランジットで、プ−ルで泳いだことを付け加えておこう。

帰りの飛行機からは、ケニヤ山が見え隠れしていた。

おわり

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