オリサバ(5700m)登頂とメキシコ旅行記

2004年4月28日〜5月8日の記録

2004年5月29日
栗本 俊和


2004年5月連休は、メキシコの最高峰ピコ・デ・オリサバ(5700m)を目指すことに決めた。メンバーは、私と矢部達雄さん(62才、エルブルース、チンボラソなどで一緒)の2人で、アースデスクに手配を依頼し、現地ガイド、MR.アルマンド・ダットリ(36才)を加え、3人で登ることにした。
5月4日、無事オリサバの頂上に立つことができた。くしくも、1年前にチンボラソに登頂したのと同じ日だった。
オリサバの標高に関しては諸説あり、どれが正しいのかわからないが、現地ガイドに確認して、メキシコで公式とされている 5700m をここでは採用する。ちなみに諸説を数字のみ紹介すると、高い順に、@5760m、A5744m、B5700m、C5699m、D5675m、E5611m となる。
いずれにしても、北米大陸では、マッキンリー(6194m)、ローガン(6050m)に次ぐ、第3の高峰であり、メキシコ最高峰である。メキシコでは他に、今も噴火し富士山に良く似たポポカテペトル(5465m)とイスタシワトル(5230m)がこれに次ぐ山で、上部に雪を抱いている。

2004年5月4日、ピコ・デ・オリサバ(5700m)登頂


4月28日 成田→ダラス→メキシコシティー
成田1810発のAA060便でダラス1535着(時差は-14時間)。乗り換えて、ダラス1911発のAA409便で2143メキシコシティー着。ダラスまでのフライトは連休ということで満員であったが、メキシコ行きは割と空席が目立った。
空港ではガイドのアルマンドとドライバーのクリストバルが出迎えに来てくれていた。午後11時頃ホテル、マリア・クリスティナに着いた。挨拶と簡単な自己紹介の後、明日の予定のみ決めて別れた。

4月29日 メキシコシティ市内観光
高所順化をかねて、今日は市内観光。メキシコシティは海抜2240mある。まずは有名なメキシコ最大の都市遺跡といわれるテオティワカンに向う。太陽のピラミッド、月のピラミッドなどを歩いてまわる。ピラミッドの登り下りは、ちょうど良い順化行動になる。

太陽のピラミッドと死者の道を望む、

月のピラミッドと左アルマンド


昼食後市内に戻り、ソカロに向うが政治デモがあり車の進入禁止、渋滞で進めず一旦ホテルに戻り、そして少し距離があるが徒歩でソカロに向う。
アラメダ公園、ベジャス・アルデス公園などを通り、ソカロに到着、4km以上あったと思われる。途中デモに出くわす。メトロポリタン・カテドラル、テンプロ・マヨール、国立宮殿などを見学した。この中では、テンプロ・マヨールがメキシコの歴史が実感でき見ごたえがあった。そして来た道をホテルに戻った。

市内の政治デモ

テンプロ・マヨール


4月30日 メキシコシティ→ラ・マリンチェ山麓のロッジ(3080m)
明日予定のラ・マリンチェ(4462m)順化登山のために、その登山基地の山麓のロッジに向う。TLAXCALAという町で昼食後、IMSS RESORTと書かれたリゾート施設のロッジに到着した。
ロッジに荷物を置いて、1時間程順化のため、明日の道を登る。3500m地点で引き返す。帰りはにわか雨のため、雨具を着て、あわてて引き返した。

TLAXCALAの町

ロッジからのラ・マリンチェ


5月1日 ラ・マリンチェ登頂(4462m)→プエブラ(2160m)
昨晩は、夕食のメキシコ料理をあまり腹が減っていないにもかかわらず少々食べ過ぎかなと思いながら、10時頃に寝たが、吐き気が少しあり、寝ながら少しおかしいと感じていた。案の定、明け方の6時頃吐いた。またまた高度影響の出現だ。今日の登山が心配されたが、何回も経験しているので食事抜きでもなんとかなるだろうという気持ちだった。
朝食はもちろん抜きで、とにかく、ゆっくり歩くぞという気持ちで、7時半に出発した。3900mあたりで森林限界を抜け出し、4100mの稜線上に飛び出した。そこから急坂をあえぎ登り、1225ラ・マリエンチェ頂上に着いた。約5時間の登りだった。
下の写真で、左がガイドのアルマンド、後ろ矢部、右がドライバーのクリストバル。

ラ・マリンチェ(4462m)頂上


13時に頂上を後にして、1540にロッジに戻り、1625ロッジ発、1800にプエブラのホテルに着いた。夕食はやはり抜きにする。3食抜きになるが(行動食は少し食べた)、この方が良いと判断した。矢部さんと2人は夕食に出かけたが、自分はシャワーのあと直ぐに寝た。

5月2日 プエブラ→トラチュチュカ→ピエドラ・グランデ(4260m)
明け方少し食欲が出てきて、7時に早めに朝食に出かける。きっちりと朝食を食べた。だいたい1日食事を抜けば治るものだ。
朝食後市内観光に出かける。ここプエブラの町も世界文化遺産に登録されているとかで、コロニアル造りの町並みと教会とが観光名所となっている。
カテドラル、アルマス広場からサントドミンゴ教会と回る。下左の写真は、サントドミンゴ教会のロザリオ礼拝堂に飾られた黄金のマリア像、下右の写真は、ソカロのアルマス広場で、左アルマンド、右矢部さんに、真ん中にマウリシオ・ヘレーラという26才の男性(アルマンドの友人)が今日から加わった。オリサバに登りたいとの事。我々の後ろを登るものと思われる。

サントドミンゴ教会

アルマス広場で


市内観光のあと、10時過ぎに車に戻り出発。12時前にTlachichucaトラチュチュカ(2650m)というオリサバの登山基地となる町に到着した。ここでパンなどの食料を買い込み、準備をして、昼食後、四輪駆動のジープに乗り換えて、1330出発した。
途中からなる程これは悪路だと思わせる、とても普通の車ではどおにもならない程の悪路となり、時間をかけて登り、1505にピエドラグランデの小屋前に着いた。
夕食は、パスタを少しと、日本から持参したフリーズドライの御飯に漬物、味噌汁などを食べた。胃腸薬を飲んで、2030にシュラフにもぐり込んだが、今度は下痢が止らない。
約1時間おきに、トイレに出向く。水状のものがほんの少し出るだけで、その後は約2時間おきに小水に立った。今回は胃腸の調子がよろしくない。

5月3日 4800mまでの高所順化
7時起床。昨日から雲っていたのが、この頃から晴れてきて、オリサバが見え出した。あわてて写真を撮る。0820出発。
2時間程登った10時20分、4800m地点にテントサイトがあり、今日の高所順化はここまでとのガイドの言葉で、アイゼン、ピッケルなどをデポする。ガスがでできて見晴らしはよくない。ルンゼの急斜面の始まる場所で、雪が少しあり、このあとのルートがわかりにくい。
1110に下山開始し、12時に小屋に戻った。昼食はメキシコ風ヌードルで、チキンラーメンに似ていておいしい。1時頃からひょう、みぞれの類が降りだして、あたり一面真っ白になる。天気はあまり良くないようだ。オリサバが見えたのも、今朝の1回きりだ。

<オリサバルート図>


オリサバが見える

4800mデポ地点

ピエドラグランデ小屋


5月4日 アタック日、オリサバ登頂→トラチュチュカ
前夜1130起床、0050出発、0305デポ地点着。アイゼンは着けないで、ストックをピッケルに持ち替えて出発。
今日のアタックは我々3名の後に2名が登っている。マウリシオにクリストバル。クリストバルはラ・マリエンチェに一緒に登ったし、オリサバにも何回も登っているという。斜面が急になった所で、ガイドのアルマンドのあと我々2名は続いたのだが、アルマンドがザイルを出してクリストバルにザイルを投げて確保して登ってきた。次のピッチは我々2名をまず確保し、その後またクリストバルにザイルを降ろし登ってこさせた。そんなことをしているものだから、5000mのテントサイトに着いたのは、0435になってしまった。
私はここでガイドにクレームした。我々は3人パーティなのだから、そんなに難しくない我々は必要としていないような斜面でザイルを出して、クリストバルをザイルに入れて、時間が2倍かかって遅くなってどうしようもない、こんなことしていて頂上にたどり着けなかったら、おまえの責任だぞ、余分なことはするな、と言った。彼は少しびっくりした様子だったが、クリストバルに伝え、以後このような事はなくなったから、一言言って良かったんだと思う。

さて、5000mのテントサイトを4時50分に出発したが、ここでもまだアイゼンを着けなかった。ゆるい斜面を右側の稜線(北稜)の方にトラバース気味に登り、5時20分に稜線の5100m地点でアイゼンを装着した。
そして3人がガイドをトップに、私がセカンドで矢部さんがラストのタイトロープとした。このあとは、稜線をひたすらに登る。傾斜が急になってくると、アルマンドはジグザグに登路を選ぶ。
雪は凍っていないで、くるぶしあたりまで靴は潜る、滑り落ちるという心配はそんなに感じない、ただひたすらに登れば頂上にたどり着くという気分だった。雪量が増えだし20〜30cm位雪に潜るようになったが、雪は柔らかで、休憩時にも簡単にカッティングできた。
途中、風が出てきて、下に1枚着込み、5450mあたりで、矢部さんは腹が減ったというが、私の方は下痢気味変わらず、ちびりそうで力が入らない。早く頂上に着いてトイレに行きたいというのが正直な気持ちで、がまんして火口壁のリムに到着したのは、10時10分だった。
すぐにバーニョスと声をかけて、岩陰で用たしをしたが、ほとんど何も出ない。それでもこれは大仕事でハーネスをはずし、戻ってくるだけで10分位かかった。
頂上はそこだから、すぐに行こうという。確かに頂上はすぐそこに見えている。10時30分、オリサバ頂上着。ガイドはきっちりと我々2名を先に頂上に立たせてくれた。

オリサバ登頂

火口壁内を望む


頂上にいる間は晴れてきて、暖かくなってきた。火口壁内がよく見える。矢部さんはタバコを吸っている。写真を何枚か撮り、記録を書いたりしている間に時間が過ぎ、11時05分に頂上を後にした。
雪はくさってきていて、滑落する感じはないが、アンザイレンして下り始めた。途中で必要ないと思うよと言えば、アルマンドもわかったらしく、ザイルはほどいた。今度はアイゼンの下に雪がダンゴに着きだし、それをピッケルで落とすのが、忙しくなった。
5000m地点でアイゼンを解いた。後は、道のわかりにくい斜面を下り、デポ地点でストックを回収し、14時30分に小屋に戻った。登り9時間40分、下り3時間25分。登りはロスタイムを差し引くと9時間位か、それでも早くはない。
小屋でコーヒなど飲んで、3時半に小屋を後にした。トラチュチュカに4時50分着。

5000mからのオリサバ

四輪駆動車の前で



5月5日 チョルーラ見学→メキシコシティー
今日は、プエブラの西隣にあるチョルーラの遺跡(これも世界文化遺産)を見学して、メキシコシティーに戻る。
11時過ぎにトラチウアルテペトル神殿跡に到着。1辺439m、高さ59mを誇った大神殿跡ということで見ごたえがあり、見学にかなりの時間がかかった。時間がかかった理由のもう一つは、神殿跡の中心の一番高い所に、現在Los Remedios教会があり、そこで viva la virgen de los remedios というお祭りに、たまたま遭遇したからです。
また、ここからはポポカテペトル山の美しい姿が望める。

トラチウアルテペトル神殿跡、

ポポカテペトル山を望む


Remedios教会とお祭り、

チョルーラの町と教会


5月6日 メキシコシティー市内観光
観光のために、モデルプランより1日延泊して旅程を組んだ。チャプルテペック城と国立人類学博物館を見学に行く。
お城までの登りは、朝の気持ち良い散歩ができ、お城からは市内が一望できた。内部は、メキシコ革命勃発期の大統領の住まいだったとかで、当時の調度品、室内装飾がよく保存されている。
国立人類学博物館は、テオティワカン、マヤ、アステカなどの各遺跡から、選りすぐって展示されている。館内は広大で、見るのに疲れる。
昼食、夕食は、日本料理店”東京”で、カツ丼、豆腐、寿司などを食べた。夜はシェラトンホテルのナイトクラブでマリアッチなどの演奏と音楽を楽しんだ。

チャプルテペック城、

国立人類学博物館


5月7日 メキシコシティー→ダラス→東京
仮眠の後、午前3時半に起床して、空港に向う。
メキシコシティー7時発AA106便でダラスを経由して、8日15時10分にAA061便で成田に帰りついた。

体調が良くない割に、ゆっくり登ることで登頂できた。又、天気の方もそんなに悪くならず、頂上では晴れていて、暖かくなり有り難かった。アコンカグアとは1000m以上の高度差があり、それも安心して登れた理由だと思います。


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