北米大陸最高峰マッキンリー(6194m)登頂記 

2007年5月31日〜6月23日の記録

2007年6月25日、栗本俊和(記) Rev.1 : 6/28
参加者;竹下淳子(62)、酒井善樹(47)、山田鉄男(45)、細江尚司(36)、徳田進之介(27)、栗本俊和(58)、計6名(男性5名、女性1名)、平均年令46才、60才以上が1名という比較的に若い年令構成。
企画・運営:潟Aドベンチャーガイズ主催で、現地部分はアルパインアッセンツ社(AAI社、アメリカ)が主催する公募登山隊。
日本人ツアーリーダ兼ガイド;梶山宝伸(AG)
現地AAI社ガイド;David Kratsch(チーフガイド、25)、Aaron J Linnell(通称A.J.サブガイド、30才台)

行程:
1.5月31日(木) 成田空港発1700(UA876)→0943シアトル1210(CO1581)→1434アンカレッジ=ホテル(泊)
2.6月1日(金) アンカレッジ=タルキートナ(泊)
3.6月2日(土) タルキートナ→(セスナ)→ランディングポイント(LP)

4〜18.6月3日(日)〜6月17日(日)  登山期間→タルキートナ戻り(泊)
登山期間の予定は、21日(木)までであり、4日早くタルキートナに帰着した。

19.6月18日(月) タルキートナ=アンカレッジ、加藤さん宅(オッカー&オットーハウスB&B泊)
20.6月19日(火) スワードSewardへ日帰り旅行、(オッカー&オットーハウスB&B泊)
21.6月20日(水) 休養(HP原稿作成、読書)、(オッカー&オットーハウスB&B泊)
22.6月21日(木) アンカレッジ1415(AC537)→1825バンクーバ
23.6月22日(金) バンクーバ1255(AC003)→
24.6月23日(土) →1510成田空港着
マッキンリーは北米大陸の最高峰であり、一度は挑戦しようと思っていた。季節は6月がベストシーズンで、25日〜1ケ月の期間が必要とされている。
種々の公募登山隊が実施されてきているが、元々マッキンリーは、ライセンスを持たない山岳ガイドが営利目的で活動することができないエリアで、いろいろと知恵を絞って公募隊が募集されてきている。よって制約もあり、今年はアースデスクの公募隊の実施が危ぶまれる(実施されるかどうかわからない)情況であり、かつ、アドベンチャーガイズ公募隊への仮申込が昨年11月の時点で4〜5人になっているという情報を得て、直ぐに申し込むことにした。
実はその情報はその時私を誘ってくれた人がいて教えてくれたのだが、その人も申し込んでいたが、彼は結局休暇が取れず、キャンセルに追い込まれた。昨年中に申し込みは定員の6名に達していた。彼のキャンセルなどで人の入れ替えがあったが、1月には参加6名が確定したと思われる。
事前トレーニングとして、4月に八ヶ岳氷河トレーニング(八ヶ岳氷河トレーニング 参照)があり、この時に6名全員が初めて顔合わせできた。以後、6名のコミュニケーションを徐々に図っていった。また、5月の出発直前の広沢寺ユマールトレーニングで全員集合して、出発前の顔合わせができた。

5月31日(木)、午後3時参加者6名全員と日本人ガイドの梶山さんが成田空港に集合してマッキンリー公募登山隊はスタートを切った。

成田空港での出発風景成田空港での出発風景

シアトルで乗り換えて、アンカレッジに31日の定刻14時半に到着した。アラスカと日本との時差は夏時間で17時間。アンカレッジ15時は、日本は6月1日の朝8時です。
シアトルでのアメリカ入国に際し、徳田さんがイミグレーション関係のトラブルで、日本へ帰国させられるかもしれない事態となり、最終的には入国が許可されたが、彼の荷物がアンカレッジに同じ飛行機に間に合わず、次の日の朝に到着するとか、ラーメンの一部が没収され食料が不足するとか、出足はいろいろとトラブルがあった。

アンカレッジ空港、加藤さんの迎え、アンカレッジ、ビジターセンター

夕食”熊五郎”キングサーモン定食

Days Inn Downtown Hotelクックの銅像

アンカレッジのホテルはDays Inn Downtown。レストランの設備はなく、外食となる。夕食は”熊五郎”でキングサーモン定食、ステーキ定食などの定食ものをオーダした。
夕食後は、レゾリューション・パークへ散歩、クックの銅像とクック入江、クックがここに錨を降ろしたという意味でアンカレッジとなったという謂れを納得した。

6月1日(金)、皆とは別に、自前で朝食を済ませ、散歩に出かけた。シップクリーク入江で釣り風景を眺め、その後、アンカレッジ駅で出発前のアラスカ鉄道を裏から入って写真に収めた。

シップクリーク入江での釣り風景入江から市内遠望

アラスカ鉄道とアンカレッジ駅アラスカ鉄道とアンカレッジ駅

10時にホテルを出発し、市内の有名な登山店、REIとAMHで最終的な追加の登山道具の購入を行った。オーバ手袋を購入した。スーパで買出し、サンドイッチを車の中で食べながら、タルキートナに向かう。
4時過ぎにタルキートナ着。町の中を見学後、町はずれにあるペンション風の今夜の宿である Fireweed Station Inn に投宿した。

タルキートナのスナップタルキートナのスナップ

夕食は、AAIのガイドの2名と一緒だった。 David と A.J.さん。今後、どんな登山が待っているのだろうか?

Fireweed Station Inn全景左 David、右 A.J.さん  

6月2日(土)、午前中はAAI社で荷物チェックとザイルを使ったクレバスからの脱出法の演習をやらされた。。荷物チェックでは、シュラフがこの昔の遠征用ではだめということで、レンタルさせられた。230$ほどだった。また、ヘルメットが必要とのことで全員レンタルさせられた。最初から解っていれば持参したのに、本当に必要なのだろうか?
終了後、タルキートナの町で、マッキンリーピザという特大のピザの昼食。
午後1時からは、デナリ国立公園管理事務所(レンジャーステーション)で210$の入園料の支払いと環境に対する制約事項、特に排泄物の処理方法に対するレクチャーがあった。

レンジャーステーション全景デナリの入山者、登頂者数の表示
現在までの登頂率:44%
(表示の4%は間違い)  

天気が良さそうなのでセスナが飛びそうとのことで、直ぐに飛行場へ移動して、各自、冬用装備に着替える。
セスナ2機に分乗して、一気にサウスイーストカルヒトナ氷河のランディングポイント(LP)に降り立った。午後3時40分。
テント4張設置(泊)(2150m)

タルキートナ飛行場タルキートナ飛行場

セスナ機からの山々セスナ機からの氷河

夕食はハンバーガ。テントは酒井さんと2人。とうとうマッキンリーに来たという感じがする。夕方から雪が降りだした。

LPのセスナ機LPのテント

LPで、LPに雪が降ってきた

6月3日(日)、今日は、昼間は氷河、滑落停止トレーニングを行う。そして、夜中2時頃にC1に向かう予定という。昼間のトレーニングを14時頃終了して休憩に入り、15〜16時夕食、17時から就寝。18時頃晴れてきて、セスナ機が飛んでくる。マッキンリーが見えるとの声、一気にすごく晴れてきて、マッキンリーの頂上までの写真が撮れた。

マッキンリーの頂上が見えるマッキンリーの頂上が見える

6月4日(月)、LP→C1(2350m)
24時30分、起床後、朝食、テント撤収。
4時30分、出発
9時40分、C1着、曇りでガス。
11時、テント設営、完了。
12時、昼食、そして昼寝。湿っぽい雪は降り続く。
17時、夕食。おもち、梅おこわご飯の日本食。
3ザイル編成でLPを出発した。クレバス落下防止のため。各人の間を15m空けて、ザックを背負い、そりで共同装備を引っ張る。

LP、出発風景LP、出発風景

C1でC1で

6月5日(火)、C1→C2(2850m)
7時20分、C1出発、12時35分、C2着。
C2手前から晴れてきて、周囲の山々の写真が撮れた。
16時、夕食、ブリトウー。
最後の3ピッチ目、先頭のザイルで快調に登れた。今日で、そり引きを含むマッキンリー登山に自信ができ、登頂できるだろうという確信に変わった。天気以外に登れない懸念はなく、天気は今はあまりよくないが、いずれ好転するだろうという希望的感触が持てた。

C2とハンター峰C2で

C2でハンター峰(4441m)

6月6日(水)、C2→C3、通称デポキャンプ(3350m)
7時40分、C2出発、11時30分、C3着。
2ピッチ目の2時間休憩なしが、長く苦しかった。途中からは、新雪でトレースが消えていて、スノーシュウーのスタンドを立てても、新雪に決まらないで滑る箇所があった。

C3デポキャンプ、雪が多い、

6月7日(木)、C3で休養日
雪降りのため行動は難しく、レスト日がぴったりだった。
午後は特に激しく、50cm以上積もった。テント周りの雪かきが何回も必要。昼は暖かだったが、日本の北アルプスの冬山のような感じになってきた。

6月8日(金)、4100mへの荷物デポと高所順化の日
幸い、雪は止み、薄日がでている。ついている。10時20分、C3出発。前夜の雪のため、そりは止めて、ザックに食料などを詰め込み、アイゼン着用で、ストックで出発する。モーターサイクルヒルを30分程で登りきる。風も吹いているが、冬山では当たり前の風だ。ウインディコーナー手前の休憩地点でストックをデポし、片手にピッケル、片手にストックスタイルになり、風予防対策をして、ウインディコーナーを通過する。風もそれほど強くない普通の強風で、4100mデポ予定地点に14時40〜50分頃に到着する。雪面を掘り、デポ完了。
帰りは15時25分発で、16時35分にC3、デポキャンプに、帰着した。

6月9日(土)、C3→C4、MCメディカルキャンプ(4330m)へ移動、晴れ
食事、テント撤収のあと、デポ品を埋め、そりを使わないため、ザックに一杯荷物を詰め込む。ガイドはそりを引く。C3出発、11時55分。2ピッチで昨日のデポ地点に16時20分に着く(4100m)。
デポ品の回収は明日行うことにして、休憩のみで出発する。途中で先行していたA.J.竹下さん以下のパーティを速度が遅いためか、David(栗本、酒井)Pは抜いて先に行く。18時35分にC4(MCメディカルキャンプ)に着いた。残りのパーティは竹下さんの調子が上がらず、15分ほど遅れて着いた。
C4では、後ろのパーティの到着までに、日本人3名に出会い話をした。宇波夫妻と本田さん。今日まで天気がずっと悪く停滞していたとの話だ。明日から最後のアタック体制に入る様子。

C3からC4へ向かう人達C3→C4間で

C4でマッキンリーを望むC4で

6月10日(日)、デポ品回収とテントの移動、晴れ
昨夜はかなり冷えて、テント内で−14℃だった。アタック態勢に入る人達がウエスト・バットレスを渋滞をなして登って行く。我々は4100mのデポ品回収組とテントの移設組に別れての作業となった。天気が良くて絶好のアタック日和だ。今日は何人が頂上に立っただろうか?明日以降の天気は如何に?

ウエストバットレスの渋滞C4、外での昼食

C4のトイレC4、天気予報の看板

6月11日(月)、休養日、曇り時々雪、のち晴れ
遅い朝食の後、ユマール登降の練習と固定ザイルの通過練習のみで終了。

6月12日(火)、C5(HCハイキャンプ、5250m)もしくはウエストバットレス(WB)稜上までのデポ日
10時40分、C4発、晴れてきて暑くなってくる。日本の春山の雰囲気。下着とスポーツシャツの2枚になる。3P目から固定ロープが200m、コル(4940m、ショルダーともいうらしいが、あえてコルと呼ぶ)まで続く。ユマールで登るが雪が絡んで、効きがよくない。なくても登れる斜度なので、形だけユマールで半分くらい自力で登る。
14時40分、WBコル着、4940m。竹下さんのペースが上がらず、30分ほど遅れて到着。梶山さんが引っ張ってたようだが、このペースではこれ以上は無理だろうと感じた。ガイドも同じ判断だったようで、竹下さんはここからA.J.が付き添いC4へ戻る。
我々は、岩稜を1時間少し登ったWashburn Thumbという岩塔のあるところで荷物をデポする。デポ地点着、16時50分。17時30分に出発して、C4に19時30分戻り。
夕食後の明日の予定で、竹下さんの下山がガイドにより決定された。原因は一言で言えば力不足、そして高度の影響が少し見られ、歩行速度が遅くなる、順化不十分とも見える。ベースキャンプといわれるこのC4(MC)には、普通の速度で入山する必要がある。ボッカを若い男性と同じように行うのは、60才台の女性にはつらいことだと思う。

ハンター峰(4442m)WBコル

WBコルWashburn Thumbデポ地点

6月13日(水)、C4、MC→C5、HC(5250m)へ移動、無風快晴
あれやこれやの整理と竹下さん下山の打合せなどのより。出発は12時40分となった。WBをユマール登攀で登っていると、私のアイゼン(右足の前部)がはずれた。Camp LC480のアルミ製軽量アイゼンを使用したが、構造的に横力に弱いようだ。ユマールの固定ロープの切り替え箇所などで踏ん張ると外れる。だましだまし、16時20分、コル着。コル発16時40分で、昨日の゙デポ地点Washburn Thumbに18時40分着。重い荷物がデポ品でまた重くなる。ここを19時頃に出発し、固定ロープ通過地点でまたアイゼンが外れる。修理が必要だ。その後の稜線歩きはだらだらで、20時20分、C5、HCハイキャンプ着。テントはAAIの前のパーティと入れ違いに入るため既に設置されているテントに入った。夕食は外で立ちながらの日本食(お湯で温めるだけのえびピラフ、親子丼)。23時就寝。

C4で竹下さんとお別れWB稜線上

6月14日(木)、無風快晴、晴れているのに休養日とは残念だが、今日はいろいろとやる仕事がある。アイゼンの修理。
昨夜は暖かかった。外で−10℃、テント内は0℃程度、HCはMCよりも暖かい(たまたま今年だけだと思いますが)。10時起床で朝食の後、アイゼン修理(はずれないように針金で縛る)、とピッケルの持ち手の部分の寒さ対策でクッションを巻きつけるなど、明日のアタックへの準備を行う。暖かくすごくゆったりとした休養日だった。おかげさまで、高度の影響で体に現れるものは何もない。

C5よりデナリパスフォーレーカー峰(5304m)

6月15日(金)、頂上アタック日、C5→頂上→C5。
午前7時で、外気温−20℃、テント内−12℃、天気快晴。C5ハイキャンプを10時10分に出発した。暖かいので、上は3枚しか着ていない。寒くなれば羽毛服がある。下は途中で着れないのでインナー羽毛をアウターの下にはいてパンツを入れて4枚。羽毛服の下は用がなさそうだ。既にデナリパスへ向かう斜面は渋滞で人がぞろぞろと登っている。直ぐ前の渋滞でストップする。固定ザイルのカラビナの架け替えがずっと続くが前がつかえているため気にならない。あとは、ちんたらちんたらとデナリパスに向かう。デナリパス(5550m)着、12時30分。
デナリパスの直ぐ上は岩稜帯でユマールの架け替えがあるが、すぐに終了して、斜面はゆるやかになり、5750m地点での1Pをはさんで、15時45分、フットボールフィールド(5950m)と呼ばれる平原に着く。ここは風があり上3枚では寒さを感じたので、早めに羽毛服上を着た。そして、ガイドの指示で、荷物をデポし、テルモスのみをガイドに預け出発する。16時15分。
1時間ほどで頂上稜線の肩へ登りつめる。カシンリッジを登りつめればここに出るのかと思いながら、最後の狭い雪稜を歩くが、また渋滞で進まない。我々の隊だけで100m近い長さになる。固定点でのカラビナ架け替えで時間がかかる。だから、そんなに苦労もなく頂上に着いた。18時30分。トップのDavidのすぐ後ろにいたので、我々では一番乗りだ。最後の人の到着を待って、握手と写真撮影だ。撮影時間は十分とはいえなかったが、水、食料の補給をして、帰路に着く。19時10分。
ハイキャンプ戻りは、22時45分。15日の登頂は、予定より2日早い登頂だった。予備日を使うこともなく。C3まで1day pushし、C5からは天気に恵まれ、言うことなし。

頂上を目ざして頂上まじかの稜線

2007年6月15日午後18時47分、マッキンリー登頂(6194m)の5名

2007年6月15日、マッキンリー登頂(6194m)のガイドも入れた8名

マキンリー頂上頂上からの眺め

6月16日(土)、C5(HC)→C4(MC)→C3(DC)。
C5を12時30分に出発。Washburn Thumbでデポ品を回収して、Fixでの渋滞を経て、C4へ16時15分に帰り着いた。ここで夕食を食べてから、C3へ移動するという。夕食後、C4を出発できたのが、20時30分。C3着が22時40分となった。後続は23時頃の到着となった。
C4からC3への移動は、C4のデポ品などを積むためソリを引いての下山となるが、ここでのAAI社のシステムは歓迎できない。6台のソリに対して、顧客6名にソリを引かせ、ガイドはソリを引かないという、顧客を無視したようなシステムは受け入れられない。事実、私はあまりにも急ぎすぎの下山のために、今度は左足のアイゼンが外れた。急ぎ足の下山で前後のソリをコントロールするのは私には無理だった。怒りを覚えた。特にウインディーコーナーのような斜面で。今後の改善を求めたいと思う。
登頂に関しては、特に問題はなかったが、下山に関しては、16、17日と苦しい日が続いた。もう少し苦しくない下山にする必要があると思う。最初から2日で下山すると決めてかかっているところに問題があり、日程的に余裕があるのだから、3日間かけて下山すれば、何の問題もないのである。2日間で下山するために、16日夜はテントを張らず、野宿するとう。C3といういつも雪の降るテント場で野宿、仮眠の指示である。八甲田雪中行軍を思い出させる。何の事故も起きなかったから良いものの、一人でも弱い人がいれば、危険なことになっていたかもしれない。下山なのだから、もう少し顧客に焦点をあてた計画、行動が求められる。

WBのユマール使用斜面を振り返り
今日も大勢の人が登って行く
C4からC3への出発風景
各人にソリが分担された

6月17日(日)、C3は3350mにあり、雪の多いところだ。ここでテントも張らず仮眠後、LPへ戻るとの事。我々は寒さ対策のため、テントは建てた、固定はしないが、テントに潜り込む。途中雪が強く降り出し、野宿していた人もテントに潜り込んでくる。
4時起床(寝たのは24時を勿論過ぎている)。雪の中ラーメンの朝食を食べ、テントの撤収に続き、雪、ガスの中、ゴーグルを着けて、6時半出発。2回の休憩を挟み、LP到着は13時だった。最後のピッチは10時半から2時間半休憩なしの歩行だった。トップのDavidは最後は疲れているのか(先頭はクレバス対策がある)、後ろから見てもスピードが極端に遅くなっているのに、休憩は取らなかった。ここにも改善の余地が見られた。

LPに到着、山行終了LPに到着、山行終了

LPでセスナ機を待つセスナでタルキートナへ

セスナを待つこと6時間で、やっと夕方に、タルキートナに飛んで、帰還した。
AAIの事務所でレンタル品の返却などを行い、Fireweed Station Innに20時過ぎに到着した。竹下さんの笑顔の出迎えがあった。
6月18日(月)、9時朝食。加藤さんの迎え12時で、アンカレッジに向かう。4日早いアンカレッジ帰着で、カナダ航空にフライトの変更、空き状態の確認をしてもらう。19、20日に空席なく、21日の1席で私は帰国の途に着くことにした。
夕食は、”やまや”の予定が休日のために、”熊五郎”となり、刺身、やきとり、餃子、天ぷら、ラーメンなどを皆で美味しくよばれた。

6月19日(火)、スワードSewardへ日帰り旅行。
レンタカーを山田さんが借りてきて、6名で出かけた。

Portage湖スワードSeward

スワードSewardスワード港

6月20日(水)、休養日
18〜20日まで、加藤さん宅というか、オッカー&オットーハウスB&Bにお世話になった。B&Bとは Bed & Breakfastの略で、民宿的ホテルと言える。和食の朝食が美味しくて、余ったご飯でおにぎりを作っていただいたり、アットホームなもてなしで日本語で何かと融通が効き、予定が定かでないような時の良きアドバイザーにもなる。

加藤宅からのクック入江加藤宅前で

加藤逸郎、京子夫妻と

6月21日(木) アンカレッジ1415(AC537)→1825バンクーバ(泊)
6月22日(金) バンクーバ1255(AC003)→
6月23日(土) →1510成田空港着


感想
1.AAI社は、もう少し顧客に焦点をあてたシステムを作る必要があると感じた。25才の若いガイドの独断のみで良いのであろうか?日本人の意見も時には聞いたらどうだろうか?
2.”案ずるよりは産むが易し”、”備えあれば憂いなし”ということになるのか?出発前は装備に関して異常なまでに精力を費やした。”エベレストより寒いし、風が強い”との言葉。シュラフ、手袋は入山前に解決した。アタック当日はそんなに気温が低くなく風なしの好条件で、日本の冬山とそんなに変わらない感じで、結局、マッキンリーの寒さのことは実感できなかった。
3.登頂した5名は、50才以下が中心であり、若さで登ったと感じる。自分的には、今回は高度の影響はなく、よく順化していたと感じた。
4.アイゼン、Camp LC480 は軽くてよいが、このような厳しい山行では使用できないといえます。
5.AAI社の食事は良かった。質・量共に豊富であった。しかし、これは逆に荷物が多くなることを意味する。我々はC3まで3日で入って、荷物デポをすることなく済んだ(one dey push)。但し、これはAAI社の直前のパーティーがガソリン、テント、食料の一部を荷揚げしているから成り立っているとの説明だった。最初の予定はC3まで荷揚げの3日を余分にとっている。one dey pushできたから、好天の日に登頂できたが、ボッカをやっていたら、どうなっていたか解らない。やはりone dey pushできたことが、気持ちよい登頂に繋がったと思う。2日目に登頂を確信したと感じたのは、このone dey pushができたことと相通じている。同時に3日の余裕までできた。従って、今後は、行動食を含めて荷物の軽量化を図り、こういう好条件でなくてもone dey pushできるようにする必要があると感じた。
6.今回不要だった物:ハイドレーション(LPにデポした)
  今回役に立った物:Pボトル(おしっこボトル)
7.何はともあれ、マッキンリーを、高度の影響を感じることなく登れた事は、次へと繋がる大きなステップと考えられる。


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