クンジェラブ峠越えパミール大横断の旅(その3)〜桃源郷フンザのカリマバードで過ごす〜 |
5月3日、フンザでの夕食は予定されていた和食から変更があり、伝統料理と民族舞踊が先になった。パキスタンはイスラム教の国でありアルコールは禁止で今までなかったが、ここフンザでは飲めるとのこと、但し、ビールが1本10US$(800ルピー)と高いが、今まで暑い日が続いていたので飲みたかった。二人で1本にして、フンザパニー(桑の実の蒸留酒)も味わった。こちらも1本(ペットボトル入り)10US$だが、これは飲む人5〜6人で1本で、一人2US$ということになった。
笛、太鼓の音楽と共に民族舞踊は始まり、右下写真の男性一人の踊りで、女性の踊りはなく、ドライバーさんが即興で踊り、ガイドのアリさんも踊った。最後は我々全員も参加して踊った。
5月4日は4時起床、15分出発で、ドゥイカル村展望台に朝焼けの高峰群の展望に出かける。昨日見たラカポシを少し離れて、東北方向から徐々に陽があたるのをじっくりと眺める。目を転ずれば、最後にレディフィンガーとフンザピークにも陽があたりだす。
朝食の後、フンザ対岸のナガール村へジープに乗って出かける(右下写真)。
ナガール村からはウルタルT峰とU峰が迫力ある形で望める。ウルタルU峰は91年に長谷川恒男さんがその南西壁に挑んだが雪崩のため遭難死した場所である。 ホーパル氷河の見えるところまで車から降りて1時間ほど歩いて登った。途中アンズの花が咲いていた(右下写真)。
午後は対岸に戻り、アルティット・フォートの城塞を見学した。フンザ川からそそり立つ崖の上に立つ要塞。そしてその場所が古い家屋が並ぶアルティット村として残っていて、大勢の人達が寛いでいた(右下写真)。
続いて、丘の上にあるバルティット・フォートを訪れた。フンザのミール(藩王)の居城として建てられたもの。今は住まいとしては使われていないが、いろんなものが展示されている。
バザール散策の後、ハセガワメモリアルスクールに立ち寄ってきた。さきほどの長谷川恒男さんの思いを遺族が学校の形で村に建てた。フンザと日本とのつながりを象徴する証となっている。
クンジェラブ峠越えパミール大横断の旅(その4)へ 続きます。 |