ルウェンゾリ(5109m)登頂とナイル源流の旅(その1)

ウガンダの首都カンパラから登山基地のカセセへ移動

日程 :2012年2月12日〜2月27日までの16日間
参加者;3名(私と女性2名、SさんとTさん)
潟Aドベンチャ−ガイズによる個人手配(現地手配:ルウエンゾリ マウンテニアリング サービス(RMS))

アフリカで氷河のある山は、キリマンジャロとケニア山とルウェンゾリの3山で、5000m以上の山と一致する。ルウェンゾリは、アフリカ中央部のウガンダとコンゴの国境に位置し、紀元2世紀には、地理学者トレミー(プトレマイオス)が「常に雪をかぶった高い山から流れる水を集めた大きな湖、あふれ出る水はナイルになる」と記し、この山を「月の山」と称し、ナイル河の水源として地図上にその位置を書き記している。
ルウェンゾリ山群は、スタンレー山塊、スピーク山塊など大きく7つの山塊から形成され、最高峰はマルゲリータ峰(5109m)でアレクサンドラ峰(5091m)とアルバート峰(5087m)と氷河を隔てて並び立っている。ルウェンゾリ山群は、琵琶湖の百倍におよぶビクトリア湖から発生する多量の水蒸気のため年間を通して雨が多く、地元の人々さえもめったにその姿を見ることができない。そのため、「幻の月の山」と呼ばれている。
「幻の月の山」が発見されたのは、1888年スタンレーによってである。アルバート湖の西南岸にいて、偶然ボーイから「塩でおおわれた高い山が見える」と教えられ発見につながった。初登頂は、イタリアのアブルッツィ公爵隊で1906年である。ちなみに、ルウェンゾリの意味は「そこから雨がやってくる場所(山)」、あるいはバコンジョ語の崩れで「雪の丘」とも言われる。

右マルゲリータ峰、左アレクサンドラ峰、その左スタンレー氷河上にドイツ隊が見える。
スタンレー氷河からアレクサンドラ東南稜を一旦下り、右のマルゲリータ氷河を登りつめ、最後に右の岩稜に取りつき、頂上に達するという変化に富んだルートです。2012.2.20.17.22

2月13日、エミレーツ航空ドバイ乗換えでウガンダ・ビクトリア湖畔に位置するエンテベ空港に降り立ち、車で首都カンパラに着いた。カンパラのホテルはスピークホテル。イギリスの大探検家ジョン・ハニング・スピークは「1862年に、ビクトリア湖の水がナイルに通じること」を発見した人で、ルウェンゾリ山群にもスピーク山塊の名で残っている。そのスピークさん、ビクトリア湖とナイル川を描いた絵画がロビーに大きく飾られていた。登山後のナイル源流の旅が待ち遠しく感じられた。後日この絵の姿に対面でき、実感できた。

カンパラ・スピークホテルの絵画「ビクトリア湖とナイル源流」(中央の人がスピークさん)

14日、カセセへ向けて出発、フォートポータルまではかなりの距離があり5時間ほどかかり、ドライブイン(ガーデンズ・レストラン)で昼食。

町の道端の露店途中に現われたモンキー

車はトヨタのハイエースで、3列座席に3人でゆったりとドライブできた。メンバー紹介、右がSさん、2005年エベレスト登頂のセブンサミッター、左がTさん、同じく2009年エベレスト登頂のセブンサミッターという強力メンバーです。

昼食のレストランとトヨタハイエースメンバー紹介、左:Tさん、右:Sさん、

16時30分頃、カセセからイバンダ村へ入ったRMS(ルウエンゾリ マウンテニアリング サービス)の事務所前を通過し、17時前に本日の宿舎の、RMSサファリーロッジに到着した。

ロッジの食堂棟ロッジの部屋

ルウェンゾリ登頂とナイル源流の旅(その2)へ 続きます。

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