ラダック山脈6000m峰登頂の山旅(その1)ラダックのレーから最初のテント場Ligcheへ移動 | |
日程 :2012年7月28日〜8月18日までの22日間 参加者;NZ人:Jamie Mcguiness隊長、スコットランド人:Jaime Acutt、カナダ人:Murray、NZ人:Trevor Heslop、Fiona Blair、日本人4名(平岡竜石、平岡朋子、白井和美、栗本俊和)、現地ガイド:ロブサンLobsang、コック:Chanden、キッティンボーイ;Sitaram,Hiraの2名、馬方3名、馬17頭。 |
この隊は、ニュージーランド人のJamie Mcguiness(エベレストに4回登り、Project-Himalaya.com,という会社を運営している)の募集に対して、外国人4名と日本人4名が参加、日本人は、平岡ガイドの遠征募集に応じたもので、チーム内チームを作っている変則的な編成である。 平岡さんからの日程表は最初にパンゴン山脈の6000m峰に登り、次にラダック山脈を東から横断しながらラダック山脈の6000m峰にアタックするという計画であったが、実際には、ラダック山脈に西側から入り、6000m峰に2つ登ったが、結局パンドン山脈には入れず、パンゴン湖を眺めてきたに終わった。最初から計画がはっきりとしない遠征隊であったが、とにかく未踏のエリアに行けることを優先した。 許可関係については、ジェイミーは、IMF(Indian Mountaineering Foundation)からPAP(Protected Area Permit)と3つの山(ラダック山脈)の登山許可を取得していた。ラダック山脈のこのエリアから南のチャンタン地域については、2010年にオープンされたばかりとのことです。 7月28日、成田からエアインディアでデリーに着いた。1日先行してデリーに着いていた平岡さん達と合流した。 7月29日、早朝のフライトでレーに着いた。ホテルで、外国人の参加者と隊長のジェイミーに会った(右下写真)。
7月30日、2年前にレーに来た時に行かなかったレーの街を見下ろす岩山、砦跡とゴンパ、ナムギャル・ツェモと旧王宮を高所順化を兼ねて訪れた。下山後は、町の本屋で、スイス製のOlizane地図とイギリス製のLeomann地図を買った。Olizane地図については、日本で平岡さんから借りてコピーをたくさん焼いてきていたが現物を手にした。今回はこのOlizane地図(15万分1)を中心とし、Leomann地図(20万分1)にロシア製地図(20万分1)も参考にした。
7月31日、やはりまだ行ってないヘミス・ゴンパを訪問するグループの車に乗った。
昼食はUbshiで。Ubshiはレーからマナリーへと抜ける街道の重要ポイントで、ここに検問所がありパスポートチェックがある。ここからマナリー道路と分かれて、道の悪くなったインダス川を遡ってLigcheに着く。支谷を少し入った草地が本日の最初のテントサイトになった(3660m)。
ラダック山脈6000m未踏峰登頂の山旅(その2)へ 続きます。 |