ボリビアの山旅(ワイナポトシ、イリマニ、サハマ)

2013年6月21日〜7月10日の記録

南米ボリビアの山にはまだ登っていなかった。ラパスから近くて1泊2日で登れる6000m峰ワイナポトシ(6088m)からはじめて、イリマニ(6439m)を4〜5日で登り、ボリビア最高峰サハマ(6542m)につなげる。そして、その勢いでリマへ飛び、ペルー最高峰ワスカラン(6768m)をも登るという欲張りな計画になった。
メンバーはどちらもセブンサミッターである島田さんと滝口さん。昨年のルエンゾリと同じメンバーです。ワスカランは別ファイルで報告します。

6月21日(金)、ラパス着は早朝の5時過ぎ、定刻より早いくらい。一番ホテル着も予定より早く、まだ薄暗い中、経営者の南雲さん(1960年代はじめにボリビア/サンタクルス州に移住した日系一世で、2002年にホテル開業)を起こして、ホテルの鍵を開けてもらう。ラパスは今冬で寒い。室内に暖房はなく、コンクリート造りの部屋は寒さを特に感じる。それには時差と高度(標高3700mほど、富士山とほぼ同じ高さ)も影響している。午前中は部屋で休養し、午後出かける。ボリビアンジャーニー社の代表でガイドの肩書きをもつマルコが迎えにきてくれ、市内をドライブ、市内展望に良いというKilli Killiの丘で写真を撮る。すり鉢状の町の様子がよくわかる。イリマニも望める。
食事がよくないというのがこれまでボリビア登山に行った人からの評判であるが、やはり良くない。食事付きになっている昼食はボリビア料理のファ−ストフード店、夜はチキンとポテトチップの弁当をホテルに届けてきた。簡単に夕食を済ませて、お湯をテルモスにいただき、高度馴化を図るため早めに床に着く。横になっているが寝たという感じはない。小便は1〜2時間おきに行く。

ラパス市内を望むKilli Killiの丘で

イリマニを望むラパスの一番ホテル(中央)

6月22日(土)、夜が長かった。このホテルの良いところの一つが、朝食が日本食であること。毎日同じだが、鱒の塩焼き、玉子焼き、味噌汁、ご飯、お茶。これで今日一日の力が湧き、良くないという現地食をカバーする作戦をとった。一番ホテルの経営者、南雲さんは私と同年齢で日本語で何でも相談できること、日本語で可能なパソコンがあること、NHKテレビが見れることなどが他の良い点です。
今日はコンドリリ展望ハイキングに出かけ、高所馴化を図る予定になっている。マルコが迎えにきて、8時半の出発。高層ビルの並ぶ中心街からアルトと呼ばれる4000mを超える平地に質素な掘っ建て小屋の並ぶ貧しそうな町並みを通過していく。トゥニ湖の先、コンドリリ登山口に11時前に着く。すぐに出発し、50分ほどでチアルコタ湖畔、コンドリリBCを向こうに望む地点(避難小屋がある)でトレック終了、ランチとなる(4600m?)。こんなところまで毛製品を売りに来るお爺さんがいて、毛手袋を買ったが、このあと重宝した。
帰りの車からワイナポトシ(6088m)が望めたので写真を撮った(右下写真)。
夕食には中華料理が食べたいと言ってみた。マルコはどこに連れていくか?、やはりレストランという感じでなく、庶民が行く定食屋さんという感じの店で一皿盛の定食をいただいた。おいしくないねというのが感想。

コンドリリ(5648m)展望ワイナポトシを望む

6月23日(日)、朝空腹を感じ、7時30分の朝食までが長かった。腹が減るのは馴化的には良いのだが、まだ十分に寝られてない。いつもになく朝食のご飯をお変わりした、これが後々効いてくる。今日はチャカルタヤ(5395m)へ高所順応登山。ホテル発8時30分。左下写真のようにチャカルタヤは雪を少し被っている。高度が上がってくると車道の肩に雪が出てくる。前を行くバスはその雪にタイヤをとられ登れなくなった。道を空けてもらい、登山口の駐車場までくねくねと登った、我々の車はトヨタのランドクルーザーであり問題なく駐車場に着けたが、他の車には途中で登れなくなりその付近に置き去りにされているのが随所に見られた(帰路ながめると)。
チャカルタヤを望むバスが雪道を登れない

ところが駐車場に着く(9時53分)と同時に、私は吐いた。急に車で高度を上げたための車酔いだが、もちろん高度の影響がある。今日は一番に朝食を食べすぎたことを後悔したが、後の祭りである。標高が5200mあり(昨日の到達高度は4600m)、寒さもあり、後の二人は待ちきれないという感じで登り出す(10時05分)。私はそれを追いかける形、幸い吐いてしまえば、歩くスピードは普通に歩ける。最初のピークまで20分ほど、難なく着いたが(約5300m)、マルコは先に行こうとしない。今日の昼食はラパス市内で食べましょうと言っていた。私もまだ吐いた余韻があり、先に行きましょうとも言えない、ということで、ここまでになって、下山。10時55分、駐車場戻り。でもこれは、結果的に正解なのでしょう。
ワイナポトシを望む駐車場のボリビア山岳協会の小屋

チャカルタヤのピーク(中間峰5300m?)で駐車場へ戻る

昼食はラパス市内のホテルのレストランに入った(12時20分)。マルコがどうした訳か、初めてまともなレストランに入った(結局まともな、我々を満足させたレストランは、ここだけだった)。残念ながら私はここの昼食はほぼパスせざるをえなかった。

6月24日(月)、うまい具合に休養日、ラパスの休日を楽しむことにする。今日は月曜日で、日本人会館は閉まっている。その中にある日本食レストラン”けんちゃん”もお休みです。近くのティワナク博物館も改修工事中でお休みだった。メインストリートのサンタクルス通りを歩いてサンフランシスコ教会に見学に行く。大きな教会を内部だけでなく、2Fの博物館もゆっくりと見学した(下写真)。そしてサガルナカ通りを抜けて、イリアンプー通りにある登山店”TATO”で買い物をする。
サンフランシスコ教会教会の屋上で

昼食にはバスでイザベルプラザまで乗り、日本食レストラン”よしこ”(旧名”わがまま”)へ行き、”わがまま定食”を食べた、鱒の刺身、天ぷら、など盛りだくさんボリュームいっぱいで、数日の欲求不満を解消するように(残念ながら写真を撮り忘れた)。午後はホテルで休養。夕食はまた”よしこ”へ出かけた。(”けんちゃん”が閉まっているので。近くにある日本食レストランはこの2つ)。今回はさすがに”軽く”ということで、”うどん”になった(下写真)。
きつねうどん鍋焼きうどん

6月25日(火)、高所馴化のための4日間を終了し、今日から登山活動開始。睡眠も十分取れるようになり、便も快便、4日間が順当でした。9時の出発にあわせて、今日からの登山活動を一緒するガイドのエロイとサントスがやってきた(左下写真)。ワイナポトシの登山口のゾンゴ峠(4750m)には11時に着いたが、小屋の周囲から上は雪に覆われていた。
ワイナポトシへ出発ゾンゴ峠の小屋

昼食後、12時すぎから登りだし、14時前にワイナポトシHCにあたる避難小屋(5130m)に着いた。それぞれのマイペースで登ったが、やはり島田さんが早く(5月に世界第4位のローツェ8516mに登頂してきたばかりであり、馴化はバッチリ)、2番目が私、3番目がゆっくりと登る滝口さんだった。
ワイナポトシHCの小屋Rock Camp 5130mの表示

夕食は17時から、スープ、肉入りスパゲッティ。夜吹雪になり、小屋の中まで雪が吹き込み、小屋奥の端に寝ていた島田さん、滝口さんは進入してきた雪におおわれ夜半場所を移動した(小屋は奥から予約客、手前が当日客の配置で、計10人位の宿泊客でそれほど多くなかった)。風も強く、途中トイレに行くのも困るほどで、こんな状態でアタックできるのかと思ったが、0時頃から止んできた。
夕食はスパゲティ夕食風景

6月26日(水)、ワイナポトシのアタック日。起床0時30分、出発2時。スタート時のザイル編成は、昨日の到着順?エロイからの指示は、島田、栗本とエロイ、滝口さんとサントスの組合せで出発。これは危惧していた通り、あまりよろしくない(馴化の万全な島田さんのペースが早い)。2ピッチ登ったところで私は後ろの組への編成替えをお願いした。そして、島田とサントス、滝口と栗本とエロイで再出発。夜明け前の冷え込みで寒くなり、手も冷えてきたが、日の出の6時半頃で明るくなってきて、頂上が見えてきて落ち着いてきた。頂上稜線に達し、ナイフリッジで島田Pとすれ違う。我々は8時ちょうどに頂上に立った。6時間の標準タイム通り。デジカメは1枚撮ったところでバッテリーがなくなった。バッテリーを変えても寒さのため動かない。今回は途中でも写真が撮れるかもしれないと思い、外ジャケットのポケットに入れていたのがよくなかった。やはり胸ポケットに入れておく必要があった。という訳で、変な格好をしている左下写真1枚のみでした。反省のもう一つはヘッドライトを落としたこと。2個持ってきているので問題はなかったがが(後日ラパスで1個購入)。島田Pは30分〜1時間前の登頂だが、正確な時刻は不明。頂上は寒く、10分ほどの滞在で周囲の山もよく確認しないで下山した。HC着、11時5分。荷物まとめをして12時5分HC発、ゾンゴ峠までは1時間で、13時5分着。ラパス戻り、15時40分。ラパスへ戻る途中で腹が減った。ランチは食べてないと言ったら、HCでのスープと朝の残りのビスケットなどだとの説明。
ハイドレーションシステムも試してみたがが、凍ってダメだった。
夕食は、ハンバーガー屋さんで、マルコと明日以降の打ち合わせ。
ワイナポトシ山頂でHCへ戻って

6月27日(木)、休養日。11時から出かけ、TATOでヘッドライト他を購入。歩いて、日本食”けんちゃん”で昼食。夕食も”けんちゃん”で、下写真のちらし寿司定食を食べた。休養日の食事は、各個人の好みで、個人払い。栄養補給と美味しさから、私はどおしても日本料理屋へ行くことになる。

”けんちゃん”のちらし寿司定食

6月28日(金)、今日から4日間でイリマニ(6439m)登山。8時すぎにホテル発。長い道のりを4時間ほどかけて登山口のピナヤ村(3800m)に着く。途中何度もイリマニの姿が望める(左下写真)。ピナヤ村、下車したところで、ガイド持参のランチ(パン、ハム、チーズ、トマト)。
イリマニを望むピナヤ村で、下車後ランチ

ピナヤ村から3時間半ほどでプエンテ・ロトBCに着く(15時20分)。天気良好、水のえられる高原の別天地のような場所です(4400m)。夕食はチキンとマカロニ。
プエンテ・ロトBC着BCのテント

6月29日(土)、ニドデコンドルHCへ向かう。BC出発は、ポータが下から上がってくるのを待ってからで、9時半。途中ランチを食べて、14時20分、HC着(5430m)。歩行時間は4時間。HCテントは二人泊で女性二人は1テントで、私は一人泊でゆったり。
ガイドのエロイ、とイリマニを望むHCのテント

6月30日(日)、イリマニ、アタック日。朝食0時、出発1時。前回のザイル編成を受けて、島田とサントス、滝口、栗本とエロイの組み合わせで出発。私の体調がよくない、下痢。途中でリタイアを申し出る。一人で下山すると言ったが、エロイはさすがにガイドとしてそれはできないと怒る。結局、このまま登り、登頂し下山してくる島田、サントスPに私が加わることで下山するという方法に落ち着く。下写真(下山時撮影)のような急斜面をあえぎながら登り、6200m付近の平坦部で登頂を終えた島田Pに合流して(7時20分)、下山した。HC戻り、10時15分。島田さんは6時40分の登頂、滝口さんはたぶん8時半頃の登頂であろう。
HCを12時半に出て、15時20分BC戻り。
イリマニ北峰を望む

7月1日(月)、島田さんの登山靴の靴底が剥がれていた。朝食時にサントスが紐で応急修理をする(左下写真)。BC10時すぎ出発で(右下写真)、ピナヤ村、11時半着。ランチ後、ラパス戻り、16時。
夕食はマルコ持参の弁当。
登山靴の応急修理BCを撤去

7月2日(火)、登山予備日であり、休養日。島田さんの登山靴、修理もしくは新たに購入のため、再度イリアンプー通りの登山店をまわる。高所靴はまず見つからない。修理は、普通の靴屋さんを捜し、のりつけ修理を依頼、その場で貼ってくれた。どの程度もつかわからないが(結局、ワスカランまでもった)。
昼食は、滝口さん好みのエストゥディアンテ広場のアレキサンダーカフェーで、夕食は”よしこ”で。

7月3日(水)、本来の休養日。サンタクルス通りの両替屋で両替。大通りを散策し、サガルナカ通りなどをめぐる。二人と別れてムリリョ広場へ向かう。大統領官邸、国会議事堂(左下写真)などあり、人々でにぎわっている。昼食は”けんちゃん”で、評判のみそラーメンとビール(ウアリ)。
国会議事堂サンタクルス通り

7月4日(木)、今日から6日間で最高峰のサハマ(6542m)の登山。一番ホテルの良かったところもう一つは、部屋に登山に不要な荷物をそのまま置いていけたこと。また、簡単な洗濯は、屋上に干せた。私はイリマニ終了後、近くのランドリーで一括洗濯を依頼したが、朝出し夕方受け取りで、kgあたりいくらだったかは忘れたが、すごく安かった。
ホテル発、8時半。パタカマヤを経由し、サハマ村到着、14時40分(4300m)。ランチは、途中、車を停めて車中で、パン、ハム、チーズ、トマト。サハマ村のロッジは、Hostal Los Andesという表示があった(左下写真)。
サハマ村に到着、左がロッジサハマがでかい

東にはサハマ(右上写真)が、西にはパリナコータとポマラペ(左下写真)が望める。ロッジの内部はきれいだった(右下写真)。
パリナコータ(左)とポマラペロッジの部屋内部

7月5日(金)、サハマBC(4800m)へ。9時45分サハマ村発、13時35分、BC着。16時頃のおやつ、ポップコーンが美味しかった。
サハマBCサハマを望む

7月6日(土)、サハマHC(5700m)へ。9時25分BC発、12時55分HC着。ランチはHCで。小雪からだんだん雪が強まる。左下写真でテントの周囲には雪はない。16時30分、アルファー米の日本食で夕食を取る。17〜18時、雪強まる。10cmほど積もる。
サハマHCサハマHCから上を望む

7月7日(日)、夜半のトイレでテントをでるにも覚悟が必要になり、雪面にトレースが残る。出発予定の1時頃はこんな日にアタックするのかな?と周囲の様子をうかがうが、音沙汰なし。じっと様子をうかがう。5〜6時頃には風も強まる。今日は無理であろう、明日に延期だろうと思っていると、エロイから通達があった。雪の状態が悪く、明日も無理だろうから(凍った斜面に新雪が積もり滑りやすい、時間もかかる)、今日中に下山するという。”Impossible"、状況は最悪の方向に行った。アタックの機会もなしの敗退とは?残念、無念。こんなことは予想もしてなかったから、言う言葉が見つからない。下写真は7日9時頃の様子。雪は10〜20cmほどに。
サハマHC雪景色サハマHC上部の雪模様

10時40分にポータに来るように手配したから、準備するようにと。下山準備、10時頃朝食。HC発10時50分、12時35分BC戻り。HCに比べBCは天国の雰囲気。夕食はパスタと玉子焼き、満腹にならない、夜、おやつのかりんとう、おせんべいを食べる。
BC付近まで下山しての雪景色BCに戻りサハマを望む

7月8日(月)、サハマ村へ下山前に、写真撮影(下写真)
滝口、エロイ、島田栗本、エロイ、サントス、島田

10時にBCを出発し、サハマ村でなく、サハマ温泉(露天風呂、Agua Termales)の方に向かう。12時すぎに温泉に着く。自然のままの川筋からお湯がでている。入湯料、30ボリビアーノ(約500円)でバスタオル1枚は少々高いと感じる。水着に着替えて、ゆっくりと温泉を堪能した。ちょうど良い湯加減、村人や近郊の人々が結構入りにきている。(左下写真)。
サハマ温泉の露天風呂サハマ温泉から望むサハマ

7月9日(火)、サハマ村からラパスに戻る。
7月8日(水)、ラパス最後の昼食は”けんちゃん”で3人で食べてから、空港へ向かった。島田、栗本はリマへ、滝口さんは成田に戻る。

この後のペルーでの登山については、「ペルー最高峰ワスカラン登頂記」、を参照ください。

感想
1.残念ながら、ボリビア最高峰(サハマ)とペルー最高峰(ワスカラン)を連続して登るという計画は夢に終わってしまった。
2.すべては天気次第、サハマは何とも致し方ないが、本当に残念だった。もう来ることもないと思うので。
3.ボリビアでは行動食の支給はなかったので、日本から持参したおやつ類で行動食にし、アタック日の行動食も準備した。ペルーでは、行動食の支給があり、これもまた、ボリビアのサービスの状況を物語っている。南米の最貧国、ボリビアの現状である。


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