ペルー最高峰ワスカラン(6768m)登頂記

2013年7月11日〜7月19日の記録

ボリビアでの登山活動を終えて、7月10日、ラパスよりリマに着いた。リマは早内夫妻の経営するポコアポコにお世話になる。鍋焼きうどんをはじめ日本料理は4年前と変わらず美味しい。ボリビアは滝口さんを含む3名であったが、ペルー/ワスカランは島田と栗本の2名で登る。ボリビアの最高峰サハマは、悪天(雪)のためアタックすらできず下山しただけに、ワスカランはぜひ登らねばならない。
7月11日、10人以上乗れる大きな車に二人が乗車してワラスに向かう。ワラスはホテルコロンバに16時頃に着いた。登山手配のエージェント、エクスプロランデスのベロニカとガイド2名体制(マンツーマンで登る)の追加料金について話す。今日ワスカランに登って戻ってきた平岡ガイドにも会った。

7月12日(金)、朝食時に平岡隊のOさんと偶然会い、登頂の様子を聞く。登りに10時間かかったとか。我々は8時の出発予定であり、話は簡単に切り上げる。迎えの車が来るのに少し時間がかかっている間に、ホテルの庭で写真を撮る(下写真)。

ワラスのホテルコロンバワラスのホテルコロンバ

ホテルの庭で(島田)ホテルの庭で(栗本)

2時間少々で登山口のムショーに着いた。標高は3000mを少し超えている。出発待ちしている間に、スイス人の若者二人パーティーがやってきた。アルパマヨから転進してきたとのことで、強そうなことはわかる。同時期アルパマヨに向かっている富山県山岳連盟隊の話をしたら知っていた。登れてないと聞いた。
出発は10時過ぎ、昼食は展望のよい大岩の上で。14時40分、BC着。BCは氷河に削られた岩盤の上にテントが張られている。

登山口ムショーからのワスカラン登山道から望むワスカラン(右が最高峰の南峰)

尾根上に出たところからのワスカランワスカランBC(岩盤の上)

7月13日(土)、8時5分の出発。今日はトレッキングシューズで出発し、途中氷河末端のところで高所靴に履き替えることになっている。ワスカラン避難小屋横(約4600m)に係員がいて、氏名、パスポート番号などを書き込むことで入山届けになる。違法登山の監視にもなっている。

避難小屋横からのワスカランワスカラン避難小屋

氷河末端に11時前に着く(約4900m)。ポータ達がランチや靴を持ってくるのを1時間ほど待つ。ポータ達が来てランチとなり、靴も履き替える。長い昼食の後、12時45分再スタートして、氷河の上を歩いて、14時05分、C1着(約5300m)。BCでは一人テントであったが、C1、C2では、ガイドのウイルダーと二人テント泊となる。夕食はテントに配膳される。

氷河末端C1からのワスカラン南峰

C1からのワスカラン北峰C1テント

7月14日(日)、4時起床、5時出発予定で今日はC2(約5900m)へ向かう。実際の出発は5時15分。少々出発が早いが、ヘッドライトをつけての出発は明日のアタック練習のようで良し。島田はアグリピーノと、栗本はウイルダーと組んでC2へ向かう。昨日の登頂組とすれ違い、天気も良くて、8時にはC2に着いてしまった。4時間くらいかというところ、3時間もかからず。今日は快晴でテント張りもすぐに終わり、9時にはC2テントに潜り込み、シュラフなども干す。午前中に本日の登頂組が下山してきたようだが、テント内でくつろぐ。午後はもっぱら昼寝。

C2からのワスカランC2テント(別パーティの)

7月15日(月)、ワスカランアタック日、12時起床、1時出発予定。その前に夕食は17時頃。スープは止め、日本からの豚汁、夕食はライス系、きっちりと摂る。便はゆるめのため、下痢になっては手遅れなので、ロペミン1カプセルを予防的に飲む。また、朝食はシリアル、オートミール系なので止め、アルファー米五目御飯を夕食時お湯を注ぎ作っておき、12時起床時に半分ほど食べ朝食とした。どちらもボリビアの時の反省を込めて。
今日のアタックは、我々とスイスの若者二人+ガイド。島田、アグリパーティが先に出発する。続いて1時10分、栗本、ウイルダーP、その後をスイス隊という順に出発した。1時間ほどした平坦地で私は水、補給、島田Pはもちろん休みなし、スイス隊が我々の前に。続く核心部で1ヶ所、氷河の裂け目を乗越すところで、上からの確保で登るところがある。後は急斜面2箇所を突破するとまた平坦部に出る。ここが4年前退却した場所だが(約6300m?)、ここまで3時間くらいだろう、4年前はその倍の6時間以上かかっている。もちろん周囲は暗いのでよくわからないが、ここからは、急斜面はなくなり、ひたすら歩けば着けそうな雰囲気に。途中高度計を見た。6400mを超えている。あと2時間少々歩けば登頂か?とほぼ登頂を確信したのが午前4時半、稜線に出てきたので、風が強まり、それに小雪が混じっている。鼻のあたりが凍傷になりそうに感じる。目出帽をちゃんと被りたいと思ったが、もうすぐに頂上じゃないか?と思い、ウイルダーにも休憩を言わないまま、結局3時間くらい歩いたか?、登頂を終えたスイス隊とすれ違う、ピッケルを挙げて答える。島田Pはすぐ前で、ほぼ同時刻、7時ちょうどに、ワスカランの平坦な頂上に着いた。6時間かかっていない。シャツの胸ポケットにしまっておいたデジカメを取り出し、写真を撮った。島田Pはカメラを持ってないので、一緒に撮れてよかった。
ワスカラン登頂(島田)ワスカラン登頂(栗本、島田、アグリ)

ワスカラン登頂(ウイルダー、栗本、島田)ワスカラン登頂(栗本、島田)

下山は3時間で、10時15分、C2着。途中、3ヶ所でロアーダウンした。C2テントは小雪に覆われていた(右下写真)。あとはテントでゆっくり休養できた。

下山C2テントへ帰還

4年前の「ワスカラン登山」の様子は、「南米ペルー、イシンカ、トクヤラフ、ワスカラン登頂記」の8月1日からの「ワスカラン登山」の部分を参照ください。

7月16日(火)、C2からBCへ下山、前夜風強し。6時20分出発、C1を過ぎ、氷河末端に9時着。靴を持ったBCテントキーパが上がってくるのを待つ。到着後ランチ。そして、11時20分、BCに戻った。下の写真は、氷河末端(4900m)からの写真です。

ワスカラン北峰(6664m)ワスカラン南峰(6768m)

7月17日(水)、BCからムショーへ下山、7時30分発、9時50分、ムショー着。ポータ達が戻ってくるまで長時間ムショーのレストランでビールを飲み、歓談する。ガイドのアグリピーノ、ウイルダーにはお世話になった。どちらも35才の良きガイドである(実は私の長男も35才と同年齢だった)。

ムショーへ下山ウイルダー

アグリピーノワスカランを振り返る

ワラスには14時頃に戻った。ホテルではゆっくりと風呂に浸かった。バスタブにお湯を張って。夕食は「クレープ・パトリック」で、アルパカの肉と牛肉の二つをオーダーし比較してみたが、アルパカの肉は少し硬いように感じた。

アルパカの肉ロモタルサード(牛肉)

7月18日(木)、もともと予備日だったので、ホテルで休養、町の散策に出かけた。ワラスは市制150周年?のパレードをやっていた。昼食は中華料理「JIM HUA」。
7月19日(金)、リマへ。ポコアポコの夕食は親子丼がメインだった。JICA関係の上水道のコンサル業務で来ている二人と夕食。夜出発、20日02時10分発のアメリカン航空は2時間遅れで、ダラスの乗継便も変更になり、成田着も2時間ほど遅れ、21日16時15分着に変更となった。

ワラス市制150周年?記念パレードポコアポコの親子丼

感想
1.私にとっては4年前のリベンジ、島田さんは8年前の難ルート、エスクード敗退を受けてのリベンジを果たせた。
2.4年前、登頂者は20〜21時のC2帰還となり、私から見ればやはりよろしくない登頂であり、いろいろな条件が重なってそうなったわけであるが、午前中にC2に戻れた今回はコンプリートな山行ができたと思う。
3.ボリビアでの6000m峰登山の経験を経て、高所馴化ができたと同時に反省点を生かせて、幸い高度に対して特に問題になることはなかった。

前半のボリビアでの登山活動については、「ボリビアの山旅(ワイナポトシ、イリマニ、サハマ」を参照ください。


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