エチオピア最高峰ラスダシャン(4533m)登頂

2015年4月26日〜5月6日、11日間の記録

2012年のルウェンゾリ(ルウェンゾリ登頂とナイル源流の旅参照)以来、アフリカの山ではアフリカ第4番目のラスダシャンを考え、個人手配の見積を取って検討したが個人手配は高くなり、ツアー参加の方が有効という結論に達した。しかし、ツアーも催行がなかったり、成立しないことが多く、やっと2015年4〜5月連休のアトラストレックのツアーに照準を合わせて、当初申込者もないので、こちらから仕掛けて3名同時に年初に申し込み、催行可へ持ち込むことができた。

参加者は8名で、我々3名(栗本、島田、矢部)の他に、男性4名、女性1名の参加であった。一番若い人で50才台後半、他はすべて60才以上、平均年齢66才というどこにでもある中高年登山隊です。アトラストレック鰍フツアーガイドは手塚さん、現地ディンクネシュ・エチオピア・ツアー社のガイドはイヨブ(Eyob)、登山ガイドはマザオといい、マゾ、マゾと呼ばれていた。
ツアー募集時は12日間の予定であったが、エチオピア航空が4月20日から日本に乗り入れ(アフリカへの唯一の直行便)たため、乗り換えなしで行けるようになり、11日間に短縮された。

4月26日夜のエチオピア航空は香港まではガラガラであったが、香港からの従来からあったアジスアベバ行きはほぼ満員に近く席が埋まった。アジスアベバ着27日朝、6時55分。ホテルへ向い休憩の後、11時頃出発し、市内観光に出かけた。一番の見所は下写真のトリニティー(三位一体)大教会であった。昼食の後は、350万年前の原人の化石(俗称ルーシー)のレプリカのある国立博物館を見学した。ギオンホテル泊。

トリニティー(三位一体)大教会内部のインテリア(アダムとイブ)

4月28日、エチオピア航空の国内線でゴンダールへ飛ぶ。

国内線でゴンダールへ飛ぶゴンダール空港

ゴンダールは、かつてエチオピアの都があった都市で、世界遺産に登録されているゴンダール城がある。17〜19世紀にかけて約200年間続いたゴンダール王朝時代に建てられた6つの城と15ヶ所の城門が残されている。最初に見たのが左下写真のファシリデス城で、最も華麗な城と言われている。昼食のレストランでは、地元のダシャンという銘柄のビールで喉を潤した。ダシャンとは岩山(Rocky Mountain)の意味で、ラスがその頂(Top)の意とガイドのイヨブから聞いた。

ゴンダール城(ファシリデス城)昼食とビール・ダシャン

昼食後のコーヒは、コーヒ・セレモニー(おもてなし)を経て出される。目の前でコーヒ豆を炒るところが実演され、香りを嗅いだ後、コーヒが出される(左下写真)。午後は少し離れたところにあるファシリデス王のプール跡を見学する。昔はここでエチオピア正教の洗礼を受けてから町に入ったと言われているが、今は、写真では水はないが、お祭りの日は水が溜められ、大勢の人々が飛び込むそうです。

コーヒ・セレモニー、コーヒ豆を炒るファシリデス王のプール跡

もう1ヶ所の見学場所が左下写真のダブラ・ブラハン・セラシエ教会です。とても質素な造りだが、天井には150体以上の天使の顔が描かれ、壁画のキリスト他の宗教画とあわせて有名です。ゴンダールでのホテルはゴハホテルで、町を見渡せる丘の上にあり、庭のプールのあるテラスからはゴンダール城が見える。

ダブラ・ブラハン・セラシエ教会ゴンダールのゴハホテルで

29日、今日は一日ドライブの日で、登山口のチェンネックまで走る。最初の休憩場所が下写真のBefikir Kossoye Ecology Lodgeという所で、景色の良いリゾート地という感じで、室内は、草を敷き詰めてあり、これはおもてなし、歓迎のしるしだそうです。

Befikir Kossoye Ecology Lodge草を敷き詰めておもてなし

デバルクにある国立公園事務所で入園手続きを行い、昼食もレストランで済ませる。そしてシミエン国立公園に入って行くが、その前に登山ガイドのマザオと銃を所持した公園見張官(スカウト)の2名が我々の車に乗り込む。デバルクまでは舗装道路の良い道であったが、ここからはオフロードの悪い道になる。途中ゲラダヒヒの群れが見られた。登山口のチェンネック(3620m)には16時頃に着いた。ロッジもあるキャンプサイトには我々のテントが既に張られていた。高所馴化のために車の通れる林道を100mほど登ってみる。すでに富士山の高度に達している。

チェンネックのテントサイト高所馴化中に出会った現地の人

30日、今日も晴れている。今までのところ雨に遭遇していない。今後も晴天が続くのか?2日かけてアタックキャンプのアンビコまで行く当初の計画を1日で行く予定に変更した。1日9時間ほどの行程を2分割していた当初計画を元の標準プランに戻した形になる。登りは馬に乗って行く計画だが、歩いても良いことになっていて、一人が徒歩を選ぶ。

チェンネックでの朝食馬で出発

8時出発で、ブアヒットのコル(4200m)まで予定通り3時間で着いた。徒歩の人も少し遅れただけで到着した。コルからの下りは全員徒歩で、チロレバ村近くの沢水のあるところ(3540m)で昼食となった。昼食後チロレバを通過して、メシュハ川まで下り、最後の村でアタックキャンプになるアンビコ(3200m)まで登り返した。着いたのは16時10分。8時間ほどで来たことになる。

ブアヒットのコルメシュハ川を渡る

我々8人は4張りのテントに2人づつ入り、ガイド用のテントが2張り、写真右上のブロック造りがトイレです。急坂を登る必要があり、行きずらいトイレだった。

アンビコのテントサイト

5月1日、ラスダシャン登頂日となった。出発は4時10分。夜が明けるまで2時間ほどは徒歩であるが、その上3750m〜4200mのラスダシャンのコルまではダラダラとした林道となり馬が可能であるが、一番足の遅い人が徒歩を選び、そのスピードにあわせることになったため、4時の早めのスタート予定となった。馬区間は馬に乗ったり降りたり、徒歩の人のスピードに合わせ、9時20分にコルに着いた。40分に出発し、この時点ではまだ頂上は見えない。

ミズマの村を望む馬のトレッキング

30分ほど歩いて、テーブル状台地の頂上稜線を始めて望むことになる。

ラスダシャンの頂上稜線ラスダシャンの頂上が見えた

ここから3名が少しスピードを早め、最後の岩場を登って、10時50分に頂上に達した。残り全員も11時すぎには到着した。

ラスダシャン山頂ラスダシャン山頂(左はガイドのイヨブ)

最後の岩場では、ガイド・マザオは後ろについていて先頭には来ず、右下写真の国立公園見張官(スカウト)が先頭にきてくれた。山頂では頂上の標識に座ったままなかなか動こうとはしなかった。

頂上からの稜線を望む銃を所持したままの国立公園見張官

全員一緒の写真が撮れました。(左端はガイドのマザオ)

ラスダシャン全員登頂(4533m)

左下写真で、山頂は台地状の左端で正面のトレースを岩壁までつきあたり、左へトラバースしながら徐々に高度をあげ、左の稜線から頂上に立つ、最終稜線部分が岩登りになる。
右下写真は、アンビコへの下りの標高3800m付近で撮影したのだが、この時カメラの調子が悪く画面にブラインドが出たため写りが悪いが、要するに、北側は絶壁になっているということです、南側から登っていたときはわからなかったが。

下山時、頂上を望む3800mで頂上を振り返る

2日、朝食後8時50分アンビコ出発、メシュハ川まで下り、登り返してチロレバ村(3150m)に11時30分に着いた。徒歩と馬が半々だった。往路を1日短縮したため、復路は半日行程のこのチロレバ村泊となる。テントサイトは学校のグラウンドを借りて張る。午後はチロレバ村探索、見学に出かけ、まずビールの飲める道端の店に直行する(右下写真)。

アンビコのテントサイトで朝食チロレバで登頂後の初ビール

チロレバ村のあるお店で、コーヒセレモニーをゆっくりと見学しながら、コーヒを味わう。

チロレバの子供達チロレバでコーヒセレモニー

3日、左下写真は朝の馬への餌やりで、枯れ草を食べている様子です。ブアヒットのコルまで5時間もかかるとか言われたが(元々3時間くらいの行程)、さすがにそんなにかからず早い人で3時間半でこれた(コル10時55分着)。それでエチオピア第2の高峰になるブアヒット山まで希望者は登ることが可能となった。

朝の馬への餌やりブアヒットのコルからブアヒット山方向を望む

ブアヒット山も1時間半ほどと言われたが、早い人は45分ほどで登った(コル11時25分発、頂上12時10分着)。遅い人で1時間ほど(5人が登った)、天気が悪くなってきており急ぐ必要もあった。実際あられが降ってきて周囲も見えなくなり、カッパ上下を着込んだり一時はバラバラ状態であった。ノンストップで4100m付近の安全地帯まで下山して簡単な昼食となった(13時)。下山はコルに戻るとの話であったが、道はコルでなく、チェンネック方向に付いておりそちらの方に戻るとのマザオの指示もあり、早い人は道を遠回りさせられた。チェンネック(3620m)着、14時7分。
雨は前日の2日に午後少し降ったが、今日3日の午後は本降りで、この後テント場でかなり降った。やはり、乾季から雨季の変わり目に来ており、ちょっとした登頂日の違いで明暗を分ける可能性がある5月だと思う。今回は登頂日を1日早めるなど恵まれました。
4日朝、すぐ近くのコンクリート製の飲用井戸を見学したが、雨の降った様子がコンクリートの表面にうかがえる。現地の人が飲み水を入れるのを手伝っている様子です(右下写真)。

ブアヒット山頂(4430m)チェンネックの井戸

4日はシミエン国立公園の景色を楽しみながらデバルクまで2時間ほどで下った。そして、舗装道路をゴンダールまで走り、デポ荷物を回収し、昼食をいただき、また車上の人となり、タナ湖畔のバハルダールに16時半に着いた。宿泊はアバイミンチロッジのコテージに落ち着いた。

チェンネック全景シミエン国立公園の景色

5日の観光は何と言っても青ナイル川の滝であったが、水量が少なく「地球の歩き方」などにある幅何百米もあるという状況でなく、下写真にある二条の滝に狭まっていて、迫力がなかった。流路が水力発電の方に向かい、滝への流量が大幅に減っているそうです。ナイル川の源流は、ビクトリア湖から流れ出す白ナイル川の方が本流であり(ルウェンゾリ登頂とナイル源流の旅(その6) 参照)、これでどちらも見ることができて、ナイル川を制覇した感がある。もちろん、エジプトのアスワン、ルクソール、アブシンベル、カイロへはその昔、1981年1月に行っている。

青ナイルの滝青ナイルの滝

バハルダール19時発、アジスアベバ20時着の国内線が少し遅れ、国内線荷物の受け取り、第二ターミナルから第一ターミナルへのバス移動があり、アジスアベバ22時15分発の東京行きには、ぎりぎり間に合う状況ではらはらさせられた。それでも直行便であり、乗り換えなしで、6日19時30分予定の20時頃成田に戻った。5月連休最終日であったが、高速道路は渋滞なく、1時間少々で自宅に戻れた。

ラスダシャン、登山的には馬で登る部分あり、難しい箇所もなく、高度的にもそれほどでなく、ゆったりと国内の山気分で登れました。エチオピア高原の山、現地の村々をはじめ、その自然と雄大さとは十分に登る価値のある山と感じました。仲間との楽しい満足した登山、山旅でした。



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