ダナキル砂漠・塩のキャラバンとエルタ・アレ火山

2017年1月20日〜29日、10日間の記録

西遊旅行の頭書のツアーに参加した。塩のキャラバンの話は2年前のラスダシャン登頂(エチオピア最高峰ラスダシャン登頂参照)の時に、村で聞いて知っていたが、それだけでは行く気にはなっていなかった。パンフレットでエルタ・アレ火山の赤い溶岩の写真を見て、これは一度は見ておこうと思った。火山については、ハワイ島のマウナロア、キラウエア火山(マウナケア・マウナロア登頂とキラウエア火山参照)との比較を念頭においていた。
ダナキル砂漠とは、エチオピア北東部、エリトリア国境に近い所に位置する大地溝帯の一部で、海抜マイナス100mを下回る最低所を形成し(DANAKIL DEPRESSION(陥没、くぼ地)と地図に記載あり)、酷暑の過酷な世界と言われている。エチオピアの最高所と最低所を経験することになる。

1月20日(金)夜、20:10成田発のエチオピア航空の直行便で、21日(土)朝、7:45アディスアベバ着。参加者は11名で、男性4名、女性7名と女性が多い。簡単な市内観光(トリニティ教会、鉄道駅、マルカート市場など)の後、空港に向かい、国内便でメケレ16:35着、ホテルに夕方に着いた。ここは標高2000mあり涼しい。

22日(日)朝、添乗員2名(米谷、籾山)と現地ガイド1名(カメデ・カチョー)を含め、4WD車5台に分乗して、ダナキル砂漠へと向かう。いつの間にか高度を下げ、16時すぎに最初の目的地、海抜マイナス114mの塩湖、アフデラ湖(L.Afrera)に到着した。

アフデラ湖アフデラ湖での浮遊体験

アフデラ湖は死海同様に塩分が高く”浮く”ことができるそうで、さっそく水着に着替えて、全員”浮遊体験”で湖に入る。その後は、湖畔に注ぎ込む地下水が温泉になており、塩分落としと温泉浴を楽しむ。石鹸で洗うことも可能です。そして一人テント泊、陽が沈むまでは暑いが、冷蔵庫持参で夕食時にはビールが飲める。夜は風が吹いた。西洋人はもっと湖畔に野天泊していた。

川湯での温泉浴一人テント泊

23日(月)、朝食前にビューポイントから日の出の見学。朝食後は徒歩で塩田見学に出かける。
日の出、6:49塩田見学

塩水はポンプアップして一番上の第一塩田に入れる。10日放置してすぐ下の第二塩田に流し込み20日放置し、第三塩田で3ヶ月放置して、塩分を13%から20%?以上にあげここでの作業完了し、塩の掘り出し、袋詰め、トラック運搬して町の工場で精製し出荷される。
塩水のポンプアップ場塩田

10時半頃、村へ戻り休憩後、オフロードを通って、次の目的地、エルタ・アレ火山のベースキャンプに16時前に到着した(海抜156m)。
塩の掘り出しエルタ・アレ火山BC着

24日(火)、早朝4時出発で、エルタ・アレ火山に登る。溶岩大地の中、また日の出を迎える。
エルタ・アレ登山日の出、7:00

8時少し前に火口淵のシェルターに到着する。エルタ・アレ山頂は613mとあるが、どの場所かは不明です。白い噴煙が激しくなっており、これから先の行動は偵察後ということで、添乗員、ガイドが偵察に出かける。戻っての話で、まず北火口からの見学に決定する。北火口を一周する、ガスマスクを付けて、10:45〜12:05。噴煙は激しいが、赤い溶岩は見られない。
山頂のシェルター北火口

昼食後の昼寝タイムはシェルター内暑くて寝てられないが横になって休憩する。午後の見学は南火口と、2〜3日前から活動している南火口の南の新しい火口と決まる、15:30〜17:40。新しい南火口には赤い溶岩が少し見られるが、遠いこともあり昼間は写真にならない。活動は活発であるが白い煙が主体で、どちらにしても、キラウエアと比べてはいけないと悟った。火山、マグマの基本的な規模が違う。夜、19:15〜3回目のツアーに出かけた。ここでは一部溶岩の赤い燃えている姿を映せた(右下写真)。

南火口夜の新南火口

25日(水)、早朝3時出発で、下山する。ほぼ暗いうちに下り、ベースキャンプへ7時前に到着した。朝食後、荷物をまとめ、9:10分、また4WD車5台に分乗して、今日はダナキル砂漠のオフロードを一日走ることになる。向かうは、ダナキル砂漠北部のダロール地区(海抜マイナス100〜120m)アハメッド・エラへ。
砂漠を走る昼食

昼食は、数少ない予定された木陰で、いただく(右上写真)。16時、アハメッド・エラ着。

昼食時に集まってきた村人早朝のキャラバンの出発

26日(木)、また早朝に出かける。塩のキャラバンの出発風景を見るためです(右上写真)。ここからラクダ群がアサレ湖へ塩の板を取りに向かいます。下写真はアハメッド・エラ村のバラック建ての家と、我々の宿泊したテントです。ここでは簡易トイレが設置され、また水あびもでき、数日間の過酷な状況が一部改善された。それでも、海抜マイナス100mの重い、どんよりとした暑い状況は変わりません。気温35℃ほど、昼間は40℃ほどです。
アハメッド・エラ村の家屋アハメッド・エラでのテント泊

朝食後、今回の主目標の一つ、ダロール火山の見学に出かける。アサレ湖の脇を通って向かうと、車の終点に、新しい黄色〜硫黄色の小さな池があった(左下写真)。昨年はなかった新しい火口の出現となる。
ダロール火山入り口の小池ダロール火山の奇観

そして小さな丘を登ると、そこにはダロール火山の極採色の奇観と呼ばれる景色が大きく展開している。その間を徒歩で歩き確かめる。温泉水の吹き出しているところもある(上下写真)。これはやはり「百聞は一見にしかず」、見て確認するしかない姿です。Wikipediaによれば、「ダロール火山は、爆発により生じたマールと呼ばれるクレータ−状の地形で、中新世に玄武岩質のマグマが堆積した塩に侵入し、その後の熱水活動により形成された。1926年に起きた水蒸気噴火によりダロール火山は形成された。火口は海抜マイナス45mほどで世界で最も低い噴火口として知られる。」とある。
ダロール火山の奇観ダロール火山の奇観

車に戻り少し移動して、塩の奇岩と言われている左下写真の塩でできた岩山と、右下写真の硫黄泉と呼ばれている硫黄のほかにも毒素の含まれる水が湧き出ている池を見学した。
塩の奇岩硫黄泉

その後、アサレ湖畔の広く平らな塩で覆われた個所で行われている、塩の掘り起こし、整形、ラクダへの積み込みの作業を見学する。この塩は塩田で作られる塩と異なり食用でなく家畜用とのことです。夕方、ここから塩のキャラバンが出発する。それは、午後あらためて見学に来る。
塩の掘り起こし塩の整形

出直して16時すぎの出発で、塩のキャラバンの写真を撮りにでかけてきた。湖の向こうから、ラクダの一群が、順番に歩いてくる。ラクダ一頭で、最大1枚6kgを32枚、192kgまで運ぶそうです。
キャラバン開始

昔はメケレまで二百数十kmを運んだそうだが、今は舗装道路ができたため、近くのベルハーレまでに短縮された。そのうち、この塩のキャラバン自身がトラック輸送に取って変わられる日が来るのは遠くないことと思われる。

27日(金)、今日で、運転手、コックとはお別れとなるので、全員の記念写真が撮られた。
全員の記念写真

9時出発、海抜マイナス120mのダナキル砂漠から抜け出すと、明るい空が待っていた。ベルハーレで、コーヒ−タイム。
ベルハーレの町アファール族の村

イスラム教徒の住むアファール族の村に立ち寄り、続いて、見事な壁画で覆われたアブレハ・アッバ教会を見学した。また、キリスト教徒が暮らすティグレ族の民家も訪れた。メケレのホテル泊。久しぶりにシャワーを浴びた。しかしながら、お湯はそれほど暖かかくなく、ゆっくりとは入れなかった。
アブレハ・アッバ教会内部の壁画

28日(金)、メケレからアディス・アベバに戻り、ショッピングと、今回のツアー会社のTedy Tours & Travel service plc.でのコーヒーセレモニ−を楽しんだ。町にはジャカランタの花が咲いていた。
コーヒーセレモニージャカランタの花

アディス・アベバ22:25発でエチオピアを離れ、日本に向かう。成田29日(日)19:05着。

1.ビールはほぼ毎日飲めた。種類も豊富で美味しかった。小びんで、テント泊では、40ブル=2US$、ホテル・レストランでは、30〜40ブル=1.5〜2US$でほど良い値段と思われる。
2.エルタ・アレ火山では赤い溶岩が少なく物足りなさがあったが、アフデラ湖、ダロール火山、アサレ湖の塩のキャラバンは前評判通りの見事さでした。これらすべてを含めて海抜マイナスのダナキル砂漠、アフリカ大地溝帯の姿を堪能した10日間でした。



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